JR函館本線旧旧線 初代伊納隧道 3

概要

JR函館本線旧旧線 初代伊納隧道の地図 隧道の延長はおよそ100メートル。
わずか5分の入洞時間ではあったが、これほどまでに濃密な5分をすごしたことはない。

3-1 初代伊納隧道出口

JR函館本線旧旧線 初代伊納隧道 34 出口側のポータルも、入口側同様に見事なつくりになっている。
内部の氷に魂を抜かれてしまったが、これはこれで非常に美麗かつ貴重な遺構である。
明治時代に完成した鉄道隧道といえば、伏古別隧道(明治25年)米山の廃隧道群(明治30年)を探索してきた。
両者とも煉瓦の隧道でありながら、前者は石炭輸送線としての性格からか飾り気の無い無骨なもので、後者は東京と新潟を結ぶ旅客路線としての性格からか見事な意匠が施されていた。
伊納隧道はどちらかというと旅客路線の性質が強いこともあってか、その意匠は米山の廃隧道群をもしのいでいるといっても過言ではない。
JR函館本線旧旧線 初代伊納隧道 35 だって要石にまで意匠を施すなんて、他の隧道で見たことないすよ!

入口の要石には北海道鉄道部の紋章である動輪が、そして出口の要石には「北」の一字が刻まれていた。
現代ではトンネルすらも無個性な大量生産で造られていく中、入口と出口でデザインを変えるという、手作り感の漂う隧道だ。
隧道という構造物に対する気概が、一世紀以上を経ても伝わってくるようである。
JR函館本線旧旧線 初代伊納隧道 36 坑口より先はやはり雪に埋もれていた。
足元に踏み跡のように続く道は、人間のものではなく、鹿の足跡だ。
ほぼ旧旧線の路盤に沿い、旧線であるサイクリングロードに向かって続いている。
この先はこの踏み跡を利用させてもらったが、融雪期の雪の上は落とし穴と同じで、時折膝までズボッと埋まってしまった。
JR函館本線旧旧線 初代伊納隧道 37 夏は藪、冬は雪と、旧線までのわずかな距離ながらなかなかに困難の多いところ。
坑口から100メートルも行かずに、旧線に合流する。
この区間も大きな木々が立ち並び、路盤から旧旧線の痕跡を見出すことはほとんど不可能であろう。
JR函館本線旧旧線 初代伊納隧道 38 合流地点を振り返って撮影。
2年前の春に訪れたときには、合流地点があることにも気づかず、旧線の隧道は明治の物を改築した姿だと思ってしまった。
今こうして見ても、予備知識なしにここが旧/旧旧線合流地点であるとはとても判断できない。


この後、旧線であるサイクリングロードを戻り、自転車を拾い上げて納内駅方面に走り出した。
雪の量はまだまだ自転車で動けるものではなく、サイクリングロードの開放期間でないにもかかわらず除雪されているから走れるだけ。
その除雪がなくなった時点で引き返さねばなるまい。

この日は納内駅の向こうに車を止めてあるので、できればこのまま抜けてしまいたかった。

3-2 冬の自転車の限界

JR函館本線旧旧線 初代伊納隧道 39 旧線であるサイクリングロードは崖と川に挟まれた狭い敷地に延びている。
そんなウナギの寝床のようなところにも、旧旧線の痕跡はいくらか見られた。
旧線よりも川に近いところに、築堤らしき路盤があり、旧旧線の痕跡と思われる。
緑が茂る時期には気づかなかった。

そのほかにも、旧旧線の煉瓦製の橋台などはそこかしこに見られるが、先輩諸氏のサイトにお任せしたい。
JR函館本線旧旧線 初代伊納隧道 40 あう・・・
JR函館本線旧旧線 初代伊納隧道 41 隧道から1.5kmほどで、自転車で進む上での生命線であった除雪がなくなってしまった。
この場所から山側に林道が分かれており、そちらのほうには除雪車が入っているのに・・・

サイクリングロードの終点まではまだ8kmはあるため、とても雪の上を進んでいくことはできない。
残念だが、引き返すよりなさそうだ。
JR函館本線旧旧線 初代伊納隧道 42 山に入っていく除雪された道。
この先は現在線の長いトンネルに挟まれた明かり区間があり、保線用の通路と思われる。


なお、現地の探索は3月31日で、サイクリングロードの開放まではまだ1ヶ月近くあった。
ここまでこれたのも運が良かったというよりあるまい。
JR函館本線旧旧線 初代伊納隧道 43 サイクリングロードを引き返し、伊納駅から輪行して納内方面に行くことにした。
石狩川を渡れば国道が走っているが、交通量が多いためパス。

ちなみにこの伊納駅、集落が対岸にあるために利用頻度が低いらしく、扱いは哀れ。
特に探索時のような冬期には、工場の敷地のような砂利道を通る以外に駅に通ずる道がなくなってしまう。

3-3 消え行く旧旧線

JR函館本線旧旧線 初代伊納隧道 44 今回の探索は上の写真までとなってしまったが、サイクリングロードを納内駅側に進むと、あと2つ隧道がある。
それらの様子は2年前の5月に訪れたときの写真を用いて簡単にお伝えしよう。

ひとつはこの写真のもので、伊納隧道から3km強のところにある春志内隧道
ポータルの構造は旧線の伊納トンネルと酷似したコンクリート製であり、昭和時代の路線改良の結果誕生したものである可能性が高い。
しかし、ごらんのとおり坑口近辺には旧旧線へと分岐するようなところは見当たらない。
JR函館本線旧旧線 初代伊納隧道 45 トンネルを通過し、反対側の坑口。
坑口右側に平場とも取れるスペースがあり、旧旧線の存在を匂わせるものだ。
2年前の訪問時には「あやしい」と思ってこの写真を撮りつつも、トンネルが明治時代にものを改築したものだと考えていたため、探索はしていない。
ネットで見てみると、旧旧線には隧道はなく、掘割らしい。
JR函館本線旧旧線 初代伊納隧道 46 さらに4km近く進めば、サイクリングロード最後のトンネル、神居古潭隧道がある。

前2つのトンネルと違い、唯一、サイクリングロード上にある煉瓦隧道である。
ピラスターなどの構造からして、明治時代の開通当初のものだろう。
内壁をコンクリートで厚く巻きたてているが、数年前までは内部もバリバリの煉瓦であった。■参考サイト
ううむ、一足遅かったか。
JR函館本線旧旧線 初代伊納隧道 47 反対側の坑口。

旧旧伊納隧道での最大の意匠といえば、なんといっても紋章まで刻まれた要石だ。
開通当初の煉瓦隧道ということでこの隧道にもそのような意匠があったことは想像に難くない。
・・・が、現在ではこのように巻きたて構造になっており、要石の部分を確認することができなくなっている。
改築前は石組みのアーチであったようで、伊納隧道との意匠の違いが気になる。
中も外も芸術の塊のような初代伊納隧道。
冬の芸術の源となっている流水は、確実に隧道の寿命を縮めているものだ。
あの氷の祭典は、消える前の最期の灯火なのだろうか。
[ 11' 3/31 訪問 ] [ 11' 7/31 作成 ]
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