JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 1

概要

JR室蘭本線旧線 伏古別隧道の地図 JR室蘭本線は北海道長万部町を起点として室蘭市、苫小牧市を経て内陸の岩見沢市に至る延長211kmの鉄道路線である。
今回紹介する伏古別隧道は室蘭市と苫小牧市を結ぶ路線中にあり、本路線でも最も古い歴史を持つ区間に属する。

室蘭本線の起源は明治時代、「北海道炭礦鉄道会社(後に北海道炭礦汽船に改称。この略称を北炭といい、レポではこれを用いる)」という会社によって新設された「室蘭線」に由来する。
北炭は当初より炭鉱開発と石炭輸送を担って設立されたもので、明治23年には今何かと話題の夕張に炭鉱を開設し、この年の10月には室蘭線が着工された。 室蘭線は付近の炭鉱から産出される石炭を良港である室蘭港まで輸送することを目的としていた。
二年後の明治25年(1892年)8月に岩見沢〜室蘭間が開通し、夕張に分岐する支線は同年11月に開通。室蘭〜長万部間は北炭とは関係がなく、昭和初期に開通している。

今回紹介する伏古別隧道は室蘭市の近くにあり、開業当初に掘削された3つの隧道のうちのひとつで、延長は約600メートル。
記録によれば、明治23年11月起工、25年2月竣工を迎えており、明治13年に北海道に初めての鉄道が敷設されてからそう時間を置いたものではない。

路線自体は明治34年に岩見沢〜室蘭間を室蘭本線、支線部分を夕張本線と改称し、明治39年には鉄道国有化法によって国有化された。
以降、昭和中期にいたるまで、石炭を満載した何十両もの貨車を引く蒸気機関車がひっきりなしに往来する産業路線として活躍する。

時代が下ると、北海道の二大工業都市である室蘭と苫小牧を結ぶ路線として、さらに、他の路線と連携して札幌〜苫小牧〜室蘭〜函館を結ぶ路線としても重要視され、昭和52年ころより電化計画が持ち上がった。
苫小牧〜室蘭間は昭和55年10月に電化を完了し、いまでは北海道でも一二を争う特急街道となっている。


伏古別隧道は大正15年には早くも複線化されていたが、電化に際してはこれらの古い隧道を放棄してすぐ横に新トンネルが掘削されることなり、明治期の煉瓦隧道は役目を終える。
しかしこの古隧道、現在線のすぐ脇にあって密封もされていないため、列車に乗って窓の外を眺めてると確実に目に飛び込んでくるのだ。
しかも、開業当初の隧道はもとより、大正15年に完成したもうひとつ隧道もオール煉瓦である。
「あっ」と言う暇もないほどの一瞬、二つ並んだ煉瓦隧道の真っ黒な坑口が視界に入ってくる。
これを誘惑と言わずして何と言おう。
建造から100年以上を経た廃隧道が、私を妖しく誘っている。

1-1 北の大地の冬の風

伏古別隧道周辺図 現地はJR室蘭本線登別駅から東に歩いてすぐのところにある。
氷に閉ざされた冬の北海道では、さすがに自転車には乗れない。
アクセスが容易であることから、以前から存在を認識しつつも冬の探索用にと取っておいた物件で、探索は登別駅に降り立ったところから始まる。


列車内から確認できる坑口は西側のみで、東側の坑口は現在線とは離れており、どうなっているかわからない。
首尾よく貫通していれば問題ないが、閉塞していて反対側からのアプローチとなれば面倒なことになる。
地形図によると東側坑口周辺は荒地マークで、車内から動体視力を駆使して凝視しても、合流するはずの旧線の痕跡は皆無であった。
・・・夏の藪漕ぎと、冬の雪漕ぎ、体力を使うのは断然後者なのだ・・・
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 1 ささささささささびい。

出掛けに見た温度計は零下7度を指していた。
この日の予想最高気温は、零下6度。

私だって北海道生まれの端くれ、厚手の服やウィンドブレーカーで4枚の重装備とホッカイロまで完備している。
それでも露出した顔面にはこの日の強く冷たい風が容赦なく襲ってくる。
フードがなければまず耳がやられる。

登別駅前にいた鬼はこんな寒風の中パンツ一丁。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 2 登別駅から東に500メートルにある伏古別隧道は、駅構内からも確認できる。
写真に大きく写るのが現在線のトンネルで、その左に煉瓦隧道、さらにその隣にもうひとつ煉瓦の隧道があるはずだ。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 3 近くの踏切から、現在線に沿って隧道に向かう道路があった。
形としては旧線の路盤を転用したようにも思えるが、はっきりしない。


探索前日の気温が高かったため、前日の雪解け水が今日の寒気でスケートリンクのように凍っていた。
一歩一歩が異常に遅い。寒い。滑るし。

1-2 並んだ煉瓦隧道

JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 4 隧道前には橋がかかっている。
手前の橋台は石組みで貫禄があり、当時の遺構かもしれない。
イントロにあるとおり、大正15年、明治時代に完成した路盤のすぐ北側に、下り線となる単線を並列させて複線化している。
電化前の航空写真を見ると、この橋も単線規格のものを二つ並べており、位置関係からして大正時代のものと思われる。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 5 駅から凍結してテッカテカの路面を歩くこと10分、真っ白な雪氷とはあまりにも対比的に真っ黒な、新旧三代のトンネルが出迎えてくれた。
一番右が昭和55年に電化のために造られた新トンネルで、これの完成により左二つが放棄された。

ここまでは自動車の轍があり、保線などに使われているようだ。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 6 探索時において既に117年を経過した初代(右)と83年を経過した二代目(左)はいずれも見事なまでの煉瓦建築である(木が邪魔してよく見えないが)。
単線並列の隧道で両方とも煉瓦というのはかなり珍しいのではないだろうか。
石炭輸送に重要な路線として早い時期に複線化された結果だが、一方で二代目は大正15年という煉瓦建築としては非常に遅い時期にできている。
もはや昭和にもかかっている時期に、延長600メートルを超す大規模隧道が総煉瓦製というのも他に見たことが無い。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 7 まずは初代、明治25年(1892年)竣工の伏古別隧道上り線のポータル。
五層の煉瓦アーチは一世紀以上の時を経てもなお健在である。
多少の汚れはあるものの剥離の一枚も無く、建造当時のままだ。
反面、いささか飾り気には乏しく、ピラスターや要石、帯石などといった構造は皆無。
同じ煉瓦隧道である北越鉄道の米山隧道群と比べると、竣工年は5年ほどこちらが早いが、美しさの点では北越鉄道に軍配が上がりそうだ。
新潟と東京を結ぶ旅客路線という性質であった北越鉄道と、石炭輸送の貨物線としての性格が強かった室蘭線との違いかもしれない。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 8 初代の左には、大正15年(1926年)竣工の伏古別隧道下り線。
こちらも五層の煉瓦アーチと質素な構造だ。
明治の隧道よりも断面が少し縦長で、卵形に近くなっている。


大正隧道には距離を示したペイントが残っており、延長は609.6メートルとある。
明治隧道もほぼ平行しており、延長は等しい。

1-3 明治伏古別隧道

JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 9 まずは初代明治隧道から見ていくことにした。

レールを用いた鉄骨と金網、上部には返しとなかなか厳重に封鎖されていたはずの坑口も、経年により金網は剥がれ、足元に横たわっていた。
おっぴろげになった坑口を覗き込んでも、一直線の先にあるはずの出口の明かりは見えない。
というか、よく目を凝らすと数十メートル先で閉塞しているようだ。
うーん、せっかくの明治隧道で、しかも煉瓦隧道が二つ並ぶというステータスでありながら、これではつまらんなあ。
なにより、反対側の坑口確認が困難になってしまうじゃないか。

なんてぶーたれつつ、明かりを装備して侵入。117年前の隧道というのは、竣工年がはっきりしている隧道の中では自身最古となる。
所々に残された鮮やかな煉瓦の赤と、何万何十万という蒸気機関車を通した証であるこびりついた煤が、一世紀以上という時間の流れを感じさせる。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 10 特徴的なのは足元だ。
バラストは存在せず、中央の排水溝を挟むように枕木を埋め込んだ跡が続く。
バラスト軌道でもスラブ軌道でもない、妙な施工だ。
30年近く前までは現役だったはずだが、不思議な路盤である。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 11 内部まできっちり煉瓦製で趣きある100年物の隧道も、数十メートルであっけなく封鎖されていた・・・

失意を胸に砂利と土嚢の山を登ってみると、土嚢の向こうに光が見えるではないか!
隙間は進んでいくには少々狭く、向こう側が閉塞されていないことが確認できたので、反対側からのアプローチを試みることにする。

1-4 大正伏古別隧道

JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 8 反対側に向かう前に、大正15年竣工の伏古別隧道下り線を探索しよう。
ここが貫通していてくれないと、反対側坑口に到達するには、その前に広がっている雪原をわたらなくてはならない。

こちらもレールと金網で封鎖されていた形跡がある。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 12 だめだこりゃ・・・

目を凝らすまでもなく、先に見える無情な閉塞。
・・・雪原歩き決定だな。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 13 消沈しつつも内部へと進む。
オール煉瓦であった明治隧道とは異なり、側壁はコンクリートに改築されている。

天井を覆う煉瓦からはもはや往時の朱色は消え失せ、そこに目立つのは煤煙の黒よりも、真っ白な石灰華だった。
人の手が作り上げた隧道に、自然が手を加えた芸術作品だ。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 14 上の写真で白化が途切れているところで、側壁に加えて天井までコンクリート製になった。
その端にはこの改良工事が行われた際の銘版が残されている。
・・・が、その文字はほとんど解読不能なまでに汚れている。
一番見たい施工年の項目には「昭和○○年10月1○日」。
ぱっと見・・・昭和55年か53年?しかしこの隧道が放棄されたのが昭和55年なので、ここまで汚れている以上、改築は放棄の何十年も前のはず。
昭和35年か33年だろうか。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 15 改築された地点で、明治隧道と同じく砂利と土嚢でふさがれている。

大量のほこりが舞う中その山に登ってみるも、向こう側の光は一切見えない。土嚢の山はかなり長く続いている。
這っていくのは最後の手段にしたい。まずは向こう側の坑口を確認してからだ。
こちらの隧道に関しては、反対側の坑口の開口が不安視された。
残念ながら明治隧道、大正隧道ともに通り抜けは叶わなかった。
おとなしく隧道を脱出し、反対側の坑口を目指すことにする。

高々600メートルの隧道を迂回するのに、併走する国道を経由すると数kmも行かなくてはならない。
氷点下の海風が吹き付け、さらに凍結した路面を歩くのはキツいぞこれは・・・
[ 09' 1/24 訪問 ] [ 09' 2/3 作成 ]
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