JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 3

概要

JR室蘭本線旧線 伏古別隧道の地図
寒風吹きすさぶ林間の路盤を歩き続け、現れたのは壁のように聳え立つ総煉瓦製の二つの隧道。
その迫力たるや見るものを圧倒する。

3-1 二つあわせて200年前の煉瓦隧道

JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 32 「でけえ・・・!」

真っ白な吐息を混じらせながら、思わずそうつぶやいた。
目の前には総煉瓦製の二つの隧道が、ぬおーんと構えている。
立ちはだかる煉瓦の壁は見上げるほどに巨大で、横幅10数メートルはあろうかというポータルは重厚かつ圧倒的な迫力を感じさせた。
周辺にはこれ以外の人工物が無く、そのことが山中に眠る隧道の存在感を何倍にも際立たせている。
木陰に隠れるその様も、「能ある鷹が爪を隠した」ように映え、百戦錬磨の老兵の鋭い眼光のようで、心臓が貫かれるような思いをした。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 33 これだけ大規模な煉瓦建築はなかなかお目にかかれるものじゃなく、物が物なら重要文化財になってもおかしくないはずだ。
まして、大正末期の煉瓦建築といったら日本でも数は限られるだろう。
もう少し宣伝してもいいのではないか?


写真は両隧道間にあった銘版もどきのペイント。
左右でそれぞれ明治隧道、大正隧道の名称や延長などが書かれていた。
左の明治隧道は掠れた字で「伏古別隧道」、右の大正隧道は「伏古別トンネル」とある。
その他の数字は両者で違いはない。

・・・ってあれ?なんで大正隧道のほうに「上り」って書かれてるんだ?(右のトンネルは奥から手前へ、すなわち東京から札幌へ向かう列車が通過する)
反対側のペイントには大正隧道の脇に下りと書かれていたのに・・・
ひょっとしてこれらのペイントは上り線、下り線を意味するのではなく、見る者に上り方向、下り方向を示しているのだろうか?
左のペイントが見難くなったので、新たに右側に書き加えたのかもしれない。だとすると上記の「左右でそれぞれ云々」というのはちょっと違ってくる。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 34 左、明治25年竣工の伏古別隧道上り線。
西側と同じく、意匠に乏しいことが悔やまれる。
しかし、分厚い5層のアーチはこちらも健在。
隧道のアーチは3〜4層くらいで構成されることが多く、これもまた非常に珍しい部類に入る。

煉瓦は欠けの一つもなく、シンプルではあるが剛健ともいえよう。
冬の積雪、凍結融解という環境としては厳しい中でよくも100年以上も耐えているものだ。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 35 右、大正15年竣工の伏古別隧道下り線。
単一の隧道として見ると、追加の施設よろしく、そのポータルの幅は明治のそれに比べて窮屈そうだ。
内壁の最も内側の層はコンクリートによって塗り固められているが、西側で確認した限り、こちらも5層アーチ。
何から何まで異例づくしの、貴重な隧道である。


心配された密封閉鎖はないものの、大正隧道のこちら側の坑口だけ、封鎖用の金網がまだ残っていた。
どーすべ・・・

3-2 幽霊列車が走る!

JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 36 困難が予想された大正隧道は後回しにして、まずは明治隧道から。


「・・・エゾシカさん、もう道案内はいいですから・・・」

路盤も不明瞭な旧線跡を案内するように続いていた動物たちの足跡は、隧道の中にまで続いている。
坑口付近に刻まれたそれらは黒く汚れており、明らかにこれは隧道内の煤だ。その濃さから察するにかなり頻繁な出入りがあると見える。


私にとって探索において最も脅威となるのは、崩落や滑落よりも野生動物だ。
エゾシカは襲ってこないだろうし、つい今しがたまで隧道内にいたとしても、人間の接近を感じ取ってとっくにいなくなっているだろう。
しかしなあ・・・ヒグマは冬の間は洞穴で寝てるんだよ・・・
しかもそれは冬眠というほど深いものではなく、冬山登山中に洞穴のそばを通って襲われた、なんてことは稀にあるんだよね・・・
まあ、エゾシカが出入りする穴にヒグマが眠っていることはあるまい。GOだ。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 37 レールの柵をすり抜けると、暗闇へと道が一直線に続いていた。
向こう側との光は通じているはずなのだが、小さすぎるせいかここからでは確認できない。

向こう側の閉塞地点から推測するに、ここから閉塞地点まで400メートルくらいはあるだろう。
坑口に足を踏み入れた瞬間に外の寒風は感じられなくなり、ぬめぬめした独特の廃隧道放射線が代わりに体に突き刺さる。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 38 それでもこのあたりはまだ氷点下。足元には小さな氷筍ができていた。
数はたったの二つで、漏水は多くないらしい。
ただ、こちらにも隧道中心を走る排水溝と枕木の跡が残っており、排水溝には水がたまっている。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 39 外壁と比べて内側の煉瓦は劣化しており、所々に剥離した煉瓦片が散らばっている。
煤煙という垢を落としたその場所に晒した血肉のような赤い色が痛々しい。
さすがに100年以上の時を経た隧道の劣化は避けられないといえるが、明治の隧道がろくな補強もなしに残っているというのもまた驚異である。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 40 一直線の隧道でも、入り口から30メートルも入れば、明かりなしでは手元も見えなくなってくる。
そこには距離票があり、96と書かれていた。これは起点である長万部側からの距離だ。
長万部まで全通したのは昭和初期なので、少なくとも明治時代のものではない。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 41 遠くにただ一点見えてきた光に向かい、歩く。


静かだ・・・
漏水もない、風もない。
足を止めれば、自分の心音や呼吸音がこの隧道内で最も大きい音のように思えてくる。

ただ、そんな静寂な廃隧道内で、地鳴りのような轟音がだんだん近づいてきた。
正直言ってかなりびびったが、正体はすぐ横を走っている現在線の列車の音。
その音は以前米山八号隧道探索中に遭遇した列車の音よりも遥かに大きく、目の前を走っているようにすら聞こえる。
放棄された明治の隧道には、今でも音だけになった列車が走っているようだ・・・

3-3 タコ部屋労働

JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 42 さて、ここで少し怖い話をしよう。

開拓時代の北海道の土木工事には、俗に「タコ部屋労働」といわれる劣悪な労働条件が付きまとっている。
特に明治時代中ごろまでは、囚人が道路工事や鉄道工事に駆り出され、昼夜に及ぶ過酷な労働や瑣末な食事に加え、寒さによって命を落とすものが大勢いた。
そうして斃れた者は路傍に打ち捨てられ、後年になって鎖につながれた人骨が発掘されたというニュースは平成になった今でもときどき耳にする。
それでも路傍に埋葬されればまだマシなほうで、時には動けなくなったものを見せしめと称して殺害し、死体を壁や柱に塗りこめることすらもあったという。
あまりの惨状に明治27年、囚人の外役労務が禁止されるが、被害の対象が囚人の代わりに集めてきた人足になっただけで、実態は変わらなかった。

北炭による室蘭本線の工事は明治24年頃のことである。
詳細は定かではないが、北炭は囚人を使役する特権を与えられていたという。
そして、室蘭本線の工事は難工事で、脚気、マラリア、そして熊による被害が多発し、多くの死者を出した(日本鉄道請負業史より)。
当然、この隧道工事も例外ではないだろう。
身動きできなくなった者や殉職者が、適切に処置・処理されたのか、あるいは前述のように隧道の煉瓦の内壁に塗りこめられたのか、いまや知る術はない・・・
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 43 私は怪談めいた話が嫌いである。
不必要に恐怖するのは、時に命を賭して作業に当たった人達や、そうして出来上がった物に対して失礼だし、何より現場での冷静な判断を狂わせる。
だが、実際にタコ部屋労働というものが事実として存在し、また道東のある鉄道隧道において、 実際に煉瓦の裏から外傷のある人骨がでてきたことを記録する書籍もある(常紋トンネル 北辺に斃れたタコ労働者の碑;朝日新聞社;1991)。
この隧道にそういった残酷な事実が存在するかどうかはわからないが、可能性としては0とは言いがたいと思う。

3-4 漆黒なる天井は歴史の証人

JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 44 進入から10分近くを経過。
進行方向に向かって左側、今では現在線のあるほうに向かって、ひときわ大きな待避坑があった。
奥行きも通常のそれとは明らかに異なり、深いぞ。
まさか、現在線への横穴かっ!?
勇んで駆け寄った。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 45 残念。

後設の物らしい待避坑は車一台ほどの大きさもあり、待避どころか卓袱台広げて一家団欒すらもできそうなほどに広かった。
一般の道路トンネルの車両転回所のようだ。

歩いた時間から察すると、おおよそ隧道の中間地点だと思う。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 46 「うおー見事じゃー」

星屑のように散らばる石灰華の中心に、一直線に引かれた暗黒星雲のような黒い天の川。
かつて、北海道の、いや、日本の石炭運搬路線として大いに賑わった時代の名残が、今でもしっかり残っていた。
ここに最後の蒸気機関車が走ったのは昭和50年で、その5年後にはこの隧道は放棄された。
まさに、北海道の石炭、SLとともに歩み、そしてその最期まで共にしたのである。
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 47 進入から15分弱で、土嚢が前を塞ぎ始めた。閉塞地点だ。
これまでは完全閉塞した隧道のように空気の流れを感じなかったが、閉塞地点手前では頬に冷たい風を感じる。

閉塞手前にあった待避坑も明らかに奥方向へ拡張されていた。
明治の待避坑では、その後の安全基準に足らないのだろうか?
JR室蘭本線旧線 伏古別隧道 48 だいぶ深部まで来たというのに、すきま風は冷たく、あまり温もりを感じられない。
土嚢の山を登ってみると、先ほど私がいたはずの閉塞地点の向こう側が見えた。
あふれる光の量は多く、出口は手が届きそうなほど近くに感じられても、私が目指すものは前ではない。
もうひとつ、大正時代の伏古別隧道が私を待っている。
大正15年竣工の伏古別隧道下り線。
それは、定期旅客列車としては日本で最後となった蒸気機関車を通した隧道でもある。
[ 09' 1/24 訪問 ] [ 09' 3/3 作成 ]
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