JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 1

概要

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群の地図 遥か水平線には弥彦山も望める絶景の展望台。
足元には旧線の隧道も望める絶好のロケーションなのだが・・・その足元には・・・

1-1 「なんで?」

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 17 うそだうそだうそだうそだ。
きっと何かの見間違い。
このあたりの旧線は整備された遊歩道、なんら危険などあるはずがない。
夏には海水浴の親子連れが波と戯れ、ある者は旧線を歩いてその情緒に触れる、そんな穏やかな場所であるはずだ。
足元のそれは、幻に違いない。そうだ、幻なんだ。

見間違いであることを信じて、該当箇所を拡大して写真を撮ってみた。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 18
!!!
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 19 Nooooooooooooooooooooo!!!!!!!!!!!

隧道が、
埋まっとるッッッッ!!!

ここって旧線跡地を遊歩道に転用されたんでしょ?整備されてるんでしょ?
ちょっと物知りなパパの、「息子よ、パパがお前くらいの頃、ここには汽車が通っていたんだよ」 「へぇ〜、すごいやパパ!」なんていう会話が聞こえるようなところでしょ?
間違っても、「息子よ、パパがお前くらいのゴフッ」なんていうところじゃないでしょおおおお!?


ああ、なんてこった・・・正直、「遊歩道になった廃線跡なんてサビの効いてねえスシみたいなもんだぜ」とかいって、 ここで紹介できるかどうかも疑問視していたというのに、効いてねえどころか効きすぎて涙もろとも目ン玉まで吹っ飛ぶ衝撃だ・・・

新年早々、私の"新春!のんびりサイクリング"計画はいきなり頓挫した。
間違いない、あそこは目指す信越本線旧線、米山第二号隧道だ。
あそこいくのかよ・・・はあ。

隧道はまあ後で行くとして、ひとまず旧道の先を見てみる。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 20 旧道にはこれまで通行止めの類はなかったが、広場から先には車止めが設置されていた。看板が置かれていた痕跡もある。
隧道を埋めている土砂崩れは隧道の頭上に位置する旧道ごと飲み込んでおり、そのために通行止めとなっているようだ。
ただ、紅白に塗られた車止めはかなり本格的なもので、設置されてから時間を経過しているような印象もあった。
土砂崩れ以前から、ここは自動車の往来を禁止していたのかもしれない。

引き返して旧線に向かってもよかったのだが、もう少し国道旧道を進んでみる。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 21 整備されていた米山側に比べ、こちら側は小さな土砂崩れや路肩の崩落が見られ、舗装こそしっかりしているものの多少荒廃が見られた。
山陰に隠れたこのあたりは一部路面が凍り付いており、スリップすれば崩落した路肩に吸い込まれる恐れもある。油断はできない。
新潟の冬というと九割の人間が豪雪を思い浮かべるだろうが、海岸付近はほとんど積雪がなく、人の手が入らない旧道にもほとんど雪はなかった。
わずかに残る雪につけられた無数の足跡が、この辺りがなお景勝地として多くの人を集めていることを示している。
どう見ても犬の足跡もあって、周辺の人々の散歩コースにもなっているようだ。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 22 スリップに十分注意ながら、ほとんど勾配を意識できないほどの下り坂をややも下れば、例の崩落地点に達する。
崩落箇所の両側に、更に車止めが設置されて注意を促している。

しかしこの崩れ方はひどいものだ。
崩落は道の更に頭上から発生しており、道を丸ごと消し去ってしまっている。
自転車はおろか、徒歩といえども往来はきわめて困難。
ただ上から土砂がかぶさっただけならば、それを乗り越えれば済むことなのだが、ここは道そのものが本来の道幅以上に山側に深く抉り取られてしまった。
仮にここを復旧しようというのなら、元のように路盤を形成するというよりも橋をかけるような形にせざるを得ないだろう。
完全に観光目的となった旧道にそれだけの予算がつくわけもなく、この場所はおそらくこのまま放置されるはずだ。
この場所に、かつては国道8号として多くの往来を捌いた姿が戻ることはない。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 23 足元には確かに例の隧道が半ば埋まった形で見えている。
幸いにして坑口上部には隙間があり、何とかもぐりこむことはできるだろう。

当初はこのまま旧道を進み、現道のトンネルで再び米山駅側に戻るつもりであったが、この崩落ではとても先へ進めない。
一度引き返し、現道トンネルで峠を越えて崩落現場の反対側に回ることも考えたが、本来の旧線探訪から大きく外れてしまうため、 旧道の探索はここで終了とした。
またいつか、"国道8号 米山トンネル旧道 聖が鼻"とでも題したレポができることもあるかもしれない。

1-2 米山一号隧道

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 24 峠から米山駅側に降りてゆくと、集落にショートカットする細い脇道がある。隧道に向かうため、私はここを降りた。
おそらくこの道は旧道が現役だった頃、ふもとの集落が国道に最短路で出られるように造られたものと思われる。
もっとも、道幅は非常に狭く、また周囲の状況から見て、関所があったという古き徒歩道時代に由来していてもおかしくはない。

旧道の峠の先が通行止めとなってしまった今となってはこの道を自動車で行くメリットは全くなく、事実上付近の住民の散策路程度にしかなっていないようだ。
通常の車道というより、徒歩往来をメインとした古道の匂いがする。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 25 つづらになったその道を降りきったところは丁字路になっており、現在線の複線トンネルの坑口真上であった。写真奥が出発地点となった米山駅方向。
左は先ほど関所跡があったところで、右に進めば旧線の遊歩道に出られそうだ。

さすがに線路真上とだけあって巨大なコンクリートの壁が立ちはだかり、撮影に難儀したが、半ばよじ登って撮影すると、 現在線と旧線の位置関係がはっきりと見て取れた。
写真奥の米山駅を出た列車は、ここで右に大きくカーブを描いて足元の複線トンネルに吸い込まれてゆく。
一方で、旧線はそれほど大きなカーブを描く事無く、緩やかな形で写真右の路盤を進んでいたらしい。
現在線の右側には架線柱と思われる柱が立っているが、単線時代の線路はそれよりももっと右側、青い建物が建ち、砂利道となっている辺りである。
旧線と現在線の間にある柱の正体はよく分からない。そもそも、単線時代は非電化だったはずだが・・・?
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 26 上の写真の場所から旧線までは目と鼻の先。散々寄り道した挙句、やっと米山第一号隧道へと到達した。

早速にして出迎えてくれたのが、「この先土砂崩壊の為 通り抜け出来ません」の看板だ。
もちろん土砂崩壊というのは、峠で見たあの光景のことだろうが・・・久しぶりの探索ということもあって、この看板が挑発的というよりも、むしろ恐怖を覚えた。
遊歩道として明かりがついていたはずの隧道内に光はなく、緩やかにカーブしていることもあって真っ暗で先が見えない。
ふ、不安だ・・・

ポータルに注目してみれば、やはり目に付くのがアーチ上の分厚いコンクリートだ。厚さは50cm近くあるだろうか。
煉瓦(あるいは石)をはがしてその代わりに設置したのか、煉瓦の上にコンクリートを塗り固めたのかは現地ではよく分からなかったが、 改めてみてみると要石の部分が盛り上がっており、煉瓦を剥がして張り替えたとあればわざわざあんな施工はしまい。
おそらく、このコンクリートの下には煉瓦か石が埋まっているはずだ。
そのほかの構造は石組みであるが、開通当初から石であったのか、後に煉瓦から石組みに置き換えたのかは不明である。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 27 車止めを乗り越え、振り返って撮影。
旧線上には建物や砂利道ができ、その遺構は全くない。
足元を見ても、ブロック上の舗装がなされているし、ベンチまで置かれている。
それでいて、「土砂崩壊の為云々」というのが実にミスマッチ。

遊歩道のはずのこのトンネルも、光もささぬような有様ではとても家族が笑顔で散歩できるようなところではなくなってしまった。
こんなところ、子供なら泣くぞ。

そんな隧道に、私は足を向けねばならない。
先は崩れているというのに。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 28 内部には蛍光灯も数箇所に設置され、本来ならば明かりもついていたのだろうが、通行止めとなった今では消えている。
隧道はさほど長くなく、後ろまたは前に常に光が見えるので、暗闇はたいした問題でもなかろう。

壁にはケーキの上に塗り固められた生クリームのように、白いコンクリートが吹き付けられている。
退避抗もしっかり残っているが、その上にもべったりとコンクリートが塗り固められ、画一的な白さは一種異様だ。

ちなみに隧道名はどの案内板や書籍でも「○号トンネル」という味も素っ気もない紹介の仕方をしているが、正式な名前も概ねその通りである。
隧道を建築した北越鉄道会社発行の「北越鉄道案内(明治36年刊)」でも、「米山第一號隧道」とある。
別のページで"隧道"の振り仮名に"とんねる"とあるので、当時からトンネルと発音されていたのかもしれない。
同書によるこの隧道の延長は「六三三、六尺」≒192メートルほど。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 29 中間付近は流石に足元も見えないほど暗かったが、一応整備された遊歩道というだけあって、舗装された足元に不安はない。
反対側から隧道の先を見てみれば、もう例の二号隧道が見えている。
もちろん、その下半分を覆い隠す土砂崩れも・・・

ここで私は驚くべき光景に出会った。
なんと、その土砂崩れを向こう側からひとりの老婆が乗り越えてくるではないか!
この隧道が貫く地山の上からその惨状を目の当たりにし、愕然とした私であったが、彼女は平然とこちらへ向かってくる。
なんか、してやられた感を感じるとともに、どこかほっとしたのもまた事実だ。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 30 一号隧道柏崎側坑口。
坑口は10メートルほどロックシェードと見られるコンクリート構造物で延伸されており、本来のポータルはここからは見えない。
頭上に目を向ければ、先ほど私がいた国道の旧道が見える。

隧道の左側に写るお婆さんが土砂崩れ現場を越えてきた方だ。
話をうかがってみると、なかなか興味深い情報を頂くことができた。
その内容は次回紹介するとして、土砂崩れの現場を見てみようではないか。

重厚なコンクリート製の落石防護柵以外に鉄道の痕跡がほとんどなくなった、1.5車線ほどの舗装路を進む。
そして問題の・・・
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 31
ココ
廃線後に与えられたはずの遊歩道としての使命もなしえていないこの惨状。
いったいこの地に何があったというのだ。
[ 06' 1/1、06' 1/21 訪問 ] [ 06' 1/27 作成 ]
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