JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 4

概要

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群の地図 遊歩道化した区間も残りわずか。
最後の"生きた"廃隧道、五号隧道はどんな姿をしているのだろう。

4-1 後光差す五号隧道

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 62 四号隧道を抜けると、もうすぐ目の前に五号隧道が迫っているのだが、その前に周辺を見てみよう。

小さな浜辺になったその先には、隧道が口をあける岬が存在する。
現地には案内板も置かれており、それによるとこの岬の名は田塚鼻。
牛が寝そべって水を飲んでいるようにも見えるところから、牛ヶ首とも言われる。
露出した地層がぐねぐねと曲がる「層内褶曲露頭」が見られる世界的にも珍しい奇岩であるそうだ。

このような奇岩と連続する隧道は、鉄道の旅に非常な重きを置いていた当時からセールスポイントとされていた。
「北越鉄道」の一節を引用してみる。
「・・・近く危巌松天下の奇観を極め、隧道の出入は更に斯の奇観をして變幻の妙を添へ、右方を仰けば、神話の如き歴史的趣味を帯べる、 海抜三千尺の米山は車窓を壓して兀立す・・・」
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 63 「右方を仰」いでみると、「海抜三千尺の米山」よりも目に付いたのが、この巨大なチューブ。
これは現在の信越本線である。
上輪集落からは旧線が三号隧道、四号隧道、そしてこれから入る五号隧道と三本の隧道で海沿いを走るのに対し、 現線はたった一本の長大複線トンネルでぶち抜いている。
地図上では一本に見えるトンネルも、このように実際には二本のトンネルを接続した形になっていたのだ。

いずれにせよ、かつて「近く危巌松天下の奇観を極め、隧道の出入は更に斯の奇観をして變幻の妙を添へ」た景色を、 車窓から望むことは永遠になくなってしまった。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 64 そしてこの遊歩道のハイライト(一般的な意味で・・・)とも言うべき箇所が、この五号隧道であろう。
今までの隧道は補強の中に埋まっていたり、コンクリートのロックシェードが付属していたりと、 まともに煉瓦のポータルが見えるところは一つとしてなかった。
それが、この五号隧道だけは、北越鉄道の開通当時、明治の姿を鮮明に残していた。
それまでべたべたに塗り固められ、変わり果てた隧道の姿を見てくると、この輝くような煉瓦の芸術品に目を覚まさせられること間違いなし。


ただ惜しむらくは・・・
手前の建物が美観損ねすぎ!
建物は公衆トイレのようなのだが、それももう築30〜40年くらいは経過していそうな古びた"便所"である(小便器がなく、壁にぶち当てるだけって・・・)。
せっかく100年以上を経過してなおこれほどまでに美麗な建造物が残っているのだから、このトイレは撤去すべきだと思う。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 65 いくつかの煉瓦は剥離したりしているものの、大きな改良もなく築100年以上を経た古隧道としてはよく現状をとどめている。
今までの隧道にあった乱暴ともいえるべたべたの補強もここでは最小限であり、アーチ部分に薄いコンクリートが吹き付けられているだけ。
これぐらいであれば、そう見栄えに影響することもない。

アーチ部分は笠石や帯石などと同色の黒を用い、頑丈な四重構造がよく分かる。
明瞭に色分けされた"黒"と"赤"のコントラストに、私は震えが来るような感動を覚えた。
がっしりした要石も、往年の職人がこの隧道と鉄道への期待を込めてはめ込んだのかと、そんな見たこともない建築当時の情景が脳裏に浮かぶようであった。

全く同じ外見の隧道をたった今造ったとしても、震えるような感動は感じられまい。
100年という時間の熟成が、この隧道から後光のような輝きを放たせているのだ。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 66 五号隧道の最初の写真をとってから、内部に進み始めるまで、写真のタイムスタンプを見る限り5分を経過している。
その間、数枚の写真をとりつつも、私はこの隧道に見惚れていたわけだ。

これまでの隧道に設置された明かりは片側にだけ、それもぽつぽつとある程度だったが、この五号隧道は両側に設置され、数も多い。
やはり一連の隧道の中でも最も当時の姿を残す隧道として、管理側もこの隧道を大切にしているのだろう。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 67 隧道はこれを抜けた先にある笠島駅に向かって緩やかな右カーブ。
整備はされているのだが、他の隧道に比べて多少漏水が多い気がする。足元には水溜りもできていた。
まあ致命的ということはないが。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 68 五号隧道の延長四六六、〇呎≒142メートルで、長くはない。
長くないことが、保守管理を容易にする理由のひとつでもあると思われる。

右側に架線柱が見えているように、こちら側の出口は目の前で現線に合流している。右側の大きなコンクリートの壁が、 現在線の長大トンネルのポータルだ。
旧線は本来なら目の前のフェンスを突っ切ってまっすぐ現線に合流するのだが、さすがに線路に近いということでここからの遊歩道は左に角度を変え、 旧線とは離れたところを進んでいく。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 69 現線と旧線の親子トンネル。フェンスの向こう側、藪に埋まっているところが旧線跡。

五号隧道はこちら側の抗門も見事な煉瓦構造を残していた。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 70
「・・・試に直江津より我か北越鉄道に塔し、車窓を排して眺望せよ、柏崎に至る間絶へす左方は日本海に沿ひ、だうたうたる濤聲近く跟底に起るか如く、 遥かに水天髣髴の間、螺一帯呼べば將に應へんとするか如きは、佐渡ヶ嶋根なり・・・」
(明治36年発行「北越鉄道案内」総説より。一部現代表記に修正。)
旧線が現線に合流する地点が、今のJR笠島駅である。
笠島駅は昭和26年に仮乗降場として誕生した、比較的新らし・・・くもないが、信越本線100年の歴史から見れば、後半に入りかけた頃に設置された駅だ。
そして、合流したところで遊歩道として整備された旧線は終わる。

そう、ここから先が、"廃報"としての真髄だってばよ!

4-2 連なる試練

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 71 笠島駅で旧線は現在線に合流してしまうが、駅を出るとすぐにその路盤は再び現在線と別れ、独自の道を進み始める。
これ以降の旧線跡は全くの手付かずであり、廃隧道も備えるというその先にびりびりとした緊張感が体を包む。

しかしながら、旧線より海側に造られた道を進んでいると、気分を"廃隧道モード"に切り替える余裕もなく、いきなり目の前に隧道が現れてしまった。
奥の巨大な坑口を持つトンネルが現線のもの、手前の小さな隧道、そして橋が旧線である。
隧道のポータルは五号隧道のような煉瓦製であるが、橋は切石とコンクリートで構成されていた。
ひょっとしたら竣工年において時代の相違があるかもしれないが、隧道との位置関係からして旧橋が残っているということはないだろう。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 72 さてさて、心の準備をする暇もなかったが、本格的な廃隧道という餌を前にして、食いつかないわけがない。
今立っている道路は後ろの漁港に繋がる新しい道で、ここと旧線の間には3メートルほどのコンクリート製防波壁が立ちはだかる。
波を跳ね返すようにこちらに向けて返しのついたそれはまともに立ち向かっても乗り越えることはできない。
しかしながら、坑口から少し戻った笠島駅側の壁には、階段や手がかりになるような石を貼り付けただけ(ロッククライミング状態)のアクセスが存在し、 徒歩ならば旧線跡へ到達することも可能だ。

相棒をどうするものか悩んだが、隧道が貫通しているかどうかも分からない上、冬枯れしているとはいえ明らかに激藪の中にそれを持ち込むのはためらわれた。
とりあえず、相棒は道路においておき、偵察だ。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 73 階段を上った先は笠島駅の下りホームの裏。
路盤の位置関係から察するに、今は向こう側を向いている下りホームの辺りが、単線時代はこちら側を向いたホームであったと思われる。
詳しい探索は行っていないが、このあたりに当時のホームらしきものは見当たらず、単線時代のホームを破壊して、 その場所に下りホームを作ったのではなかろうか。

この場所から隧道までは目測で100メートルほどか。
うーむ、見るからに草木に覆われた藪また藪・・・夏なんかじゃ、ここから隧道も見えないだろうな。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 74 路盤はしっかりしており、足元にはバラストの感覚も感じられる。

ところどころから私の身長を遥かに越える木々も生え、いくら冬でもまともにまっすぐ進めない。
行く手を遮るように縦横に伸びた枝と蔓をくぐり、あるいは乗り越えて進むも、足元に注意すれば鞭のようにしなる枝に顔面を叩かれ、 頭に気をつければ足元の蔦につまずき、挙句の果てには掴んだ枝が茨だったりと、冬は冬なりに藪と喧嘩しながらの行進だ。
たまらず路肩に逃げ・・・ルートを見出してみると、かえって盛り土の具合がよく分かった。
このように盛り土が状態よく残るのも、その上に生える草木の根がこれを保護しているところが大きいのは確かなんだが・・・
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 75 それでも、今の私には"廃隧道"という食事を邪魔する障害物に過ぎん!
少なからず憎しみを込め、立ちはだかる葦をバキバキと踏み潰し、絡まる蔦をブチブチと引きちぎり、唸りをあげんばかりの勢いで突進してゆく。

そしてどうにかこうにか、先ほど道路から眺めた廃橋に到達した。
駅から5分ほどだが、体感の時間はその数倍はある。それだけ苦労の多い区間だった。

これまで見てきた橋がことごとく煉瓦製であったのに対し、この橋は石とコンクリートでできていることから、ある時期に架け替えられたのかもしれない。
鉄道の橋となると銘板も期待できず、詳しい情報はない。

橋の上のみ藪から解放され、一息つくことができる。真夏のことなど想像したくもない。
そして、橋を渡れば・・・きたきたきたッ
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 76
WRYYYYYYYYYYYYYY!!!!!!!
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 77 これぞ"明治隧道"ってヤツだろう!
コンクリートなどどこにもない、石と煉瓦でのみ構成された、まばゆいばかりの工芸品はまさに光り輝くかのごとし!
あまりの神々しさに、全体を写そうとレンズを内部に向けて撮った写真はすべてホワイトバランスが狂ってしまったわ!
小口を黒で、長手を赤で構成したポータルはもはや芸術の域!
四重のアーチといい、これほどまでに当時の姿を残した廃隧道がかつてあっただろうか!

さあ、ここまで苦労してきた私に、そのすべてを晒してもらうぞ!
突入!入洞!
明かり装備!

おい明かり。



えーと。








あれ?
はい、自転車のサイドバックに入れっぱなしでした。
あの藪に戻りましたよ。半泣きで。
[ 06' 1/1、06' 1/21 訪問 ] [ 06' 2/17 作成 ]
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