JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 6

概要

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群の地図 六号隧道を出ると、旧線は後にできた車道の下に埋まってしまう。
仕方なくその車道の上をキコキコ走ってゆく。

6-1 アーーーチ!

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 99 道路を柏崎方向へ進んでいると、橋を渡る箇所があった。
その右手には田んぼのあぜ道がやや下り気味で降りており、ここから旧線跡へ進めるかもしれない。
また、橋があるということは、線路も橋なり暗渠なりの構造があるはずだ。

奥には左右を複線トンネルに挟まれた現在線の架線柱も見え、この道を進んでいる最中にも列車が通過していった。
六号隧道の手前で見たのは上り列車だったが、今度は下り列車。
元日だというのに、列車はいつもと同じく西へ東へ奔走している。
頭が下がる思いだ。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 100 あぜ道はその突き当りで思いっきり左にヘアピンを描いてさらに下を目指している。
曲がった直後から強烈な下り坂になっており、地面には滑り止めと思われる凹凸がつけられているほど。
あぜ道は自転車を片手に進んできたが、ここから先はなんだか下ろしたら持ち上げてこれないようにすら思え、自転車はあぜ道の突き当たりに置いてきた。

そして予想通り、鉄道の遺構が見えてきた。
いや、それは私の予想を超えるものだった。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 101 煉瓦アチー!!!
じゃなかった
煉瓦アーチ!!!!

これまでも煉瓦の橋はあったが、それは橋台だけが煉瓦であって、橋桁はコンクリートであった。
ここへきて、ついに美しいアーチを描く煉瓦Bridgeが出現したのだ!
まるで隧道の断面のような精緻な作りはアーチであってそれはアートに通ずるといえよう。

ただ、周囲の造成の結果か、漂着した廃棄物がアーチに引っかかり、美観を著しく損ねているのは泣けてくる。
多分橋の建設当時はもっと水量も多かったのだろうが、すぐ上流に現在線が造られたり、頭上の道路橋を架けるための足場固めのために、 相当川幅が狭められ、流量も減らされてしまったんじゃないだろうか。
本来なら大写真でどーんと中央に出したかったのだが、ゴミだらけのこの姿はあまりに憐れで、それができなかった。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 102 橋の柏崎側には見るからに古びた石垣が顔を出していた。
上にかかる道路橋に危うく潰されかけたようだが、何とか生き延びている。
遠目なのではっきりしないが、石の積み方は少々乱雑といった印象も受け、相当古い時代に作られたものと思われる。
おそらく、この線路が作られた当時からあり続ける、明治の石垣だろう。

写真の通り、旧線は頭上の道路橋の土台となってしまい、ここより柏崎側へは通じていない。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 103 道はここまで猛烈な勾配で下り、線路を渡る。写真は線路を渡り、振り返って撮影。
渡った先には数件の漁師小屋のような、物置小屋のような、小さな建物が並んでいた。
どれも十分に歴史のありそうな古いもので、あぜ道から続いてきたこの道はこの小屋へのアクセス路であった。
小屋の古さからしておそらく旧線が現役時代から存在していたような気がするが、線路を横切るこの場所に踏み切りのような痕跡は見られなかった。

そして、このまま左に目を向けると・・・
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 104
煉瓦アチー!!!!!!!!!!
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 105 もうアチーでいいよアチーで!

こちら側には上流側で見たようなゴミがなく、また土砂に埋まっていないことでその構造が鮮明に映し出されている。
四重の煉瓦やストライプを描く美しい積み方といい、これはもうまぎれもなく文化財クラスだ。
そんなものが、人通りも多い道路橋の下に、誰の目にも触れることなく眠っていたとは!


正直、これは感涙ものだった。
頭上に架かる橋にはそれなりに人通りもあるが、こんなところまで降りてくる人などいない。橋の欄干から左右を見ても、このアーチは見えない。
この煉瓦アーチにしても、列車も、そしてその上にまともに人を通すこともなくなって数十年。
「人も物も通さぬ橋」というのは、時に橋としての存在意義に関わる。
そのあるべき意義を失っても、ずっとずっとここにあり続けたのだ。
頭の上に道路橋という重しを載せられても尚、ただただ静かに、ここに居たのだ。

「やっと会えた」

そんな一言が思わず口をつく。
周辺のうらぶれた小屋といい、周囲に漂うほんの少しの寂寥感が、私を優しい気持ちにさせた。
ロマンチシズムと笑われたっていい。
暗闇の廃隧道で恐怖におののくのとは対極に位置する、これが廃美のもうひとつの真髄だと信じている。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 106 線路から笠島駅側はこのような車道の高いコンクリートの壁がそそり立つ。
旧線の路盤のほとんどがこの車道に埋まってしまっている。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 107 その反対側、柏崎側も橋を越えてすぐに旧線は埋まってしまい、ここから旧線跡をたどるのは不可能だ。
車道の土台には痛々しい傷跡も見え、これもおそらく平成17年夏の集中豪雨によるものだろう。
築堤に積まれた石垣も、この崩落で大きな損害を受けてしまっている。
まさかこの傷の手当てとともに、煉瓦アーチまで撤去してしまうなんてことはないだろうが・・・。

ちょっとこの場所を回りこむのは難しく、また無理にそんなことしなくても上の橋を渡れば向こう側へいけるので、 再びあの急な坂道を登り、頭上の車道へと戻った。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 108 車道の橋を渡ると、まもなく現在線のトンネルの上を越え、国道8号に合流する。
このあたりで絵を描いている人を見かけ、流石にかつてはその車窓に「だうたうたる濤聲近く跟底に起るか如く」と言われただけある。

先ほどまで右に見えていた現在線が左に見えるようになったということは、だいぶ旧線から離れてしまったということになる。
旧線へ降りていくアクセスを探し求める。

6-2 新旧合流地点にある歴史

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 109 国道を数百メートルも進むと、左手にどでかいトンネルの開口部が見えた。
これは先ほど煉瓦アーチの近くで見たトンネルの反対側で、ここで旧線は現在線に合流している。

現在線の海側ギリギリのところにある藪が合流直前の旧線跡。
よくよく見てみると、開口部の向こう側にかすかにコンクリートの壁が見える。
線形的に隧道かロックシェードに違いない。

しかしどうやってあそこまで到達するか?
現在線を横切ってしまうのが最も手っ取り早いが、貨物列車やら特急やらがひっきりなしに通るこの路線、 ましてや見通しの悪いトンネルの目の前を横切ることなどできるわけがない。
アーチ橋からここまでの間にはあそこまで降りられるような道はなかったし・・・

アーチ橋近辺からのアプローチも考えたが、目の前に見えているのにまた戻るというのは癪に障る。
とりあえず、"ある期待"をこめて、このまま藪を突っ切って現線トンネル坑口上部を越え、あのコンクリートの上に出ることを試みた。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 110 正規のアプローチルートではない、そこはただの藪の斜面である。
夏場では一歩たりとも進めないどころか前も見えずに現在線に転落しかねないようなところであったが、幸いにしてこの時期は視界が効く。
多少の気力があれば目的の場所まではどうにか到達できる。

現線のトンネルの上から見てみると、そのコンクリートはやはりロックシェードであった。
上から眺めるだけですむわけがなく、当然この下に降りて内部の様子を見てみたい。
ふと海のほうを見てみると、磯釣りをしている人がいた。
ということは、この下へ降りるルートがどこかにあるということだ。
ま、どう考えても私が来たルートじゃないだろうが・・・

とは言うものの、まだ下へ降りるための"ある期待"は捨てていない。
さらに枯れた藪の中を進み、ロックシェード上部に向かう。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 111 やはりあったぜ。ロックシェードから下りる梯子が。
これを期待していたんだ。

コンクリートにガッチリと埋め込まれたそれはすっかり錆びてはいるが、腐食は全くない。
足をかける部分もまだまだ頑丈で、下ろした足が突き抜けて転落するようなことはないだろう。
高さがないので、仮に転落しても死ぬことはあるまい。
まるでそのまま海に降りてしまうかのようなギリギリの場所に作られた梯子を、一応慎重に降りていく。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 112 梯子を降り、旧線跡に立って合流地点を望む。
3枚上の写真でお分かりの通り、このすぐ左側は海であり、路盤は海面から数メートルの高さを進んでいる。
全線中でも最も海に近接したところを走り、まかり間違ってこの場所で脱線すれば、確実に海中に転落してしまうようなところだ。
そして、その悲劇が実際にこの場所で起こっている───

昭和8年12月19日午前8時50分頃、上野発新潟行の旅客列車が、折からの暴風雪で崩落した土砂に乗り上げ、脱線、転覆した。
そして、先頭の機関車とその後ろの客車一両が海中に転落してしまったのである。
この事故で機関助手一名と乗客二名即死、重軽傷者多数の惨事となった。
ただし、事故を報じる新聞では、即死と見られる乗客のうち一名は「見込み」。
これには、今なら「全身を強く打ち意識不明の重体」と婉曲的に書かれるようなところを、 「一名は客車の下敷きとなり足部を露出してゐるが即死の見込み」と生々しい描写で書かれている。

その惨劇の舞台となったのが、まさにこの場所だった(「鉢崎、青海川間二十八キロ五分の地点」翌日の"新潟新聞"より。数字は直江津からの距離か)。
今ではその場所を避けてトンネルの中を走っており、落盤でもしない限りこのような悲劇が繰り返されることはないだろう。


なお、死者数や怪我人などの情報は柏崎市HPの年表とは若干異なることを申し添えておく。
ここでは事故翌日の新聞を参考にした。

6-3 松の生える神殿

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 113 さて、上から見えたロックシェードに入っていこう。

神殿のようにも見える重厚なその造りは、"荘厳"と形容しても差し支えない。
海側に並ぶ明り取りからは冬の日本海に砕ける波飛沫が間近に見え、海底で転がる岩石の音はまるで雷鳴のようにこのコンクリートの中に反響した。
圧倒的なその迫力に、腹の底からシビれた。

コンクリートはほとんど劣化しておらず、崩壊の危険性は全くないといえる。
足元にはバラストが残っているが、枕木やレールはすべてなくなっており、その痕跡もない。

壁にはここを訪れた記念にか、チョークでいくつかの名前が書かれていた。
はて、そんな誰もが簡単にここに入れるアプローチがあるのだろうか。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 114 少し笠島駅方向に進み、振り返って撮影。
神殿のような荘厳さを演出するのは、重厚な明り取りのほかに、この高い天井であろう。
天辺まで最大で5メートルくらいあるだろうか。
これまでの明治の隧道やそれに付設されたロックシェードと比べても、格段の差である。
コンクリートの状況の良さから比較的最近に建造されたであろうことが想像されたが、建設当時から電化に備えたものだったのかもしれない。

このロックシェードを含む区間が現在線に切り替えられたのは昭和42年6月19日のことだったが、それ以前に電化されていたという資料はなく、 結局このロックシェードに電車が入ることはなかったようであるが。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 115 ロックシェードの笠島駅側出口にはなんと銘板があった。
これによると竣功は昭和36年8月であり、現在線に切り替えられるまでのたった6年間しか使用されなかったことになる。
劣化がほとんどないのは、供用された期間が著しく短かったこともあるのだろう。
電化対応規格というのも、おそらくはこのロックシェードの建設当時、 複線化にあたっては複線トンネルではなく単線トンネルを掘って上下線を別々にするような案があったのかもしれない。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 116 笠島駅側坑口と松の木。
周辺の枯れ草の中に、たった一本だけある青々とした松がひときわ際立っている。
海からの風雪にも負けず、体を傾けながらも生き生きとしたその姿は、 生気の感じられない枯れ草と列車が来ることのない廃ロックシェードとはあまりにも対比される。
決して巨木とは言いがたい木である。しかし、この松にだけ何か神がかり的な力でも働いているような、不思議な神々しさを感じた。

きっと私なんかよりずっとずっと年上であろう松を過ぎ、さらに笠島駅側に進んでいく。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 117 線路跡には藪が広がっているが、中央部分だけは踏み固められており、そこそこの往来はあるようだ。
先ほど見た釣り人等の往来があるのだろう。
とはいえ、この様子ではやはり夏場の通行には根性が要りそうだが。
ちなみに、海側には柵が設置されており、これはボロボロに腐食したレールでできていた。

ロックシェードから200メートルほどで、旧線は車道に埋まる。
よく見ると目の前の斜面には階段のようなわずかな足場が設けられ、ここが旧線へと降りる正規のルートらしい。
足場があっても手入れはされておらず、例によって夏場の往来は困難を極めるだろう。

はて、この場所、どこかで見たような。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 118 斜面を登るとそこは展望台のような広場になっており、旧線跡の向こう(笠島駅方向)は・・・
あれ、この下煉瓦アーチじゃん。

なんと、ほとんどが車道に埋まったと解釈していた旧線の路盤は、ここ一箇所で分断されただけですぐに復活していたのだった。不覚。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 119 実際、展望台から柏崎方向を見ると、足元にはあのロックシェードを含む今歩いてきた旧線跡が明瞭に見えた。
だめだよこんな探索してちゃあ・・・
足元の煉瓦アーチのあまりの衝撃で、周囲の確認を怠ってしまったらしい。
確認しておけば、現在線のトンネル上をかすめてアプローチ、なんて真似しなくてすんだのに・・・


まあとにかくこれで煉瓦アーチからロックシェードを経て現在線に合流するところまでが探索できたわけだから、よしとしよう。
相棒は旧線へのアプローチの際においてきたので、その地点までは徒歩で進まねばならない。
自転車のスピードに慣れていると、長閑な徒歩というのはあまりにもダルい。
・・・ただ歩くより、喧嘩相手のいる藪歩きのほうがまだ面白いというものだ。
目の前を過ぎていったはずの人間がまた同じ方向から過ぎていくという光景は、ここで絵を描いていた人には奇妙であったことだろう。
周囲の絶景を愛でながら、テクテクと相棒のところまで戻った。
[ 06' 1/1、06' 1/21 訪問 ] [ 06' 3/3 作成 ]
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