JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 7

概要

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群の地図 周囲の景色は写生の絵筆も進むほどに見ごたえがある。
自転車までの散歩をのんびりと楽しんだわけだが、実は時間が切羽詰っていたことを忘れていた。
午後2時50分までに柏崎駅に着かねばならない。残り1時間とちょっとだ。
置き去りにしてしまった相棒の元へと戻る。

7-1 七号隧道

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 120 ロックシェードへのアプローチに使った斜面のもう少し柏崎側には、線路へと降りる徒歩道がある。
道は線路の前で途切れ、そこには「ここは踏切ではありません」云々と書かれた看板が設置されていた。
保線用の道路、もしくは地元民が海岸へ出る道と思われる。

そこから柏崎方向を見ると、先にはいくつものゴツイ切り通しが並んでいる。
ここは北越鉄道時代から切り通しである。
明治の切り通しにしては規模がでかい気がするが、複線化にあたって掘り下げくらいは行われたのかもしれない。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 121 国道に戻り、柏崎方向に400メートルほども進むと、次の隧道、米山第七号隧道が見えてくる。
ま、見えてくるとはいっても、"見に行かなければ"見えてこないが。

国道からのアプローチを探していたところ、海産物でも採ってきたのか、ビニール袋を持った家族連れが国道脇の藪の中からぞろぞろと現れ、 ガードレールを乗り越えてくるではないか。
・・・要するにここはまともな道はないってことね・・・

家族連れがひとしきり立ち去った後、その場所に私も単身突入した。
もちろん、足元には踏み跡すらない、ただの路肩の藪だ。間違っても夏などには入れない。

近づいてみたところ、この隧道は現在でも下り線として現役であることが分かった。
見た目には明治の竣工らしいところは全くなく、煉瓦のれの字もない。
ポータルは延伸されたコンクリートのロックシェードの中に完全に埋まってしまったらしい。
当然、現役なので内部に入って探索を行うことは不可能である。

"昭和"に塗り替えられたその姿は、正直言って藪の斜面を格闘しながら降りてきた苦労に見合うものではなかった。
周囲の柵はレールを再利用したものだが、これすらも遊歩道となった旧線跡から五万とあるもので、新鮮味には乏しい。
すっかり幻滅してしまった私はこの写真一枚を撮って国道へ引き返してしまった。

七号隧道の延長は一〇七九、一呎≒329メートル。
明治の隧道がいまだ現役というのは、まあこの七号隧道にとっては幸せなのだろう。

7-2 米山大橋から見える・・・

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 122 七号隧道が足元を貫く岬を国道は上を乗り越えて進んでいく。

沿道にはでかい風車が一基見えるが、風の穏やかなこの日はほとんど回っていなかった。
あれは「柏崎コレクションビレッジ」といういったい何をやってるのかよく分からない施設の中に立つ、 年間発電量70万KWh(一般家庭200世帯分)の風力発電の施設で、愛称は「ぶんぶん カゼラ」。

他にも、集落道になった国道旧道には明治天皇の北陸巡幸の記念碑があったり、今回は訪問しなかったが地図上には廃道になっていそうな国道旧道らしき道もあり、 岬の丘を越えるほんの数百メートルほどだが意外と見所は多い。
雪もなく、真冬のサイクリングに米山は絶好である。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 123 とっくに岬のサミットは越えたのだが、下へと降りる道がない。
ずるずると進んでいるうち、真っ赤に塗られた巨大な橋に差し掛かった。これは昭和41年竣工の米山大橋である。
橋のはるか下には谷根(たんね)川という川が流れており、この川が深さ数十メートル、幅200メートルほどの谷を形成している。
米山大橋ができる前は国道は谷底まで一度降り、小さな橋をわたって向こう側の岸壁を再び登るという不便を強いられていた。
写真には向こう側の岸壁に刻まれた旧道(集落道として現役)が見えている。

その旧道の下にでかいトンネルが口をあけているのがお分かりいただけるだろう。あれが現在の信越本線だ。
そして、写真では分かりにくいが、その左脇に小さな隧道が口をあけているのが見えた(拡大写真)。
あれこそ旧線最後の隧道、米山第八号隧道だ。

この旅の最後を、あれで締めくくる。
まだ距離はありそうだが、心はすでにあの隧道の坑口に立っていた。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 124 米山大橋の旧道に入り、一路谷底へ転がっていく。
海のすぐ傍には全く雪がなかったが、旧道に入って数百メートルで両脇に雪の塊が現れた。
日当たりが悪いことを差し引いても、この変貌振りは実に奇妙だ。
たった数百メートルでこうも積雪が変わるものなのか?
海岸の積雪0cm、山沿いの積雪400cmというふざけた新潟の気候では、たった数百メートルで気候が変わっていたとしても不思議ではないのか?

この先の頭上を越えているのは北陸自動車道の橋梁。
カメラを構えたら、後輪ブレーキが全く効かなくてかなりあせった。シュー減りすぎだ。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 125 谷根川を渡る小さな橋。これこそ米山大橋の旧橋とも言うべき存在。
低い欄干と狭い幅員、綻びたコンクリートはどう見ても昭和初期の竣工だ。
親柱はどれも現存しており、名称は谷根橋、竣工は昭和14年である。
これでは流石に天下の一桁国道8号線に耐えられるものではないのは一目瞭然。
昭和41年に米山大橋にその役目を譲り、隠居した身とは言えども、集落道としてまだこの翁は活躍している。

ただ、北越鉄道100年の歴史を誇る隧道から見ると、この橋ですらもニューエイジである。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 126 谷根橋を渡ると道は二手に分かれ、一方は高度を上げて国道に合流する国道旧道、もう一方は谷根川河口にあるJR青海川駅へと向かう県道である。
私は米山大橋から遥か眼下に見えた最後の廃隧道、八号隧道を目指し、県道に入った。

県道の頭上を米山大橋がまたいでいる。
その高さは53メートルもあり、上から空きビンでも落ちてこようものなら、隕石の如きそれは下の民家の屋根を貫くだろう。
実際、橋の上には「下に民家があるので物を投げないで」といった看板が立っていた。

写真ではなかなかこの橋のスケールを表現できないのが残念だが、とにかく現地に立てば、見上げるその迫力に圧倒される。
よくこんなもん造ったなと。

7-3 八号隧道へのアプローチ

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 127 県道を進むと、上の写真にあるようにもう一度谷根川を渡り、青海川駅に着く。
そのすぐ横の海水浴場へと繋がる通路で線路をくぐり、旧線跡へと出た。
青海川駅手前にあった七号隧道は現役であり、そして青海川駅からは再び現在線の路盤と旧線の路盤が分かれる形となっている。
旧線の路盤の一部はこのように海水浴場への通路としてある程度は整備されていた。歩道脇の柵は枕木でできている。

目の前の木の橋は最近になって歩道用に架け替えられたものだが、よく見るとそのすぐ右側に橋台がある。
このあたりは現役時代から複線(というか駅構内の交換設備)であったのだろう。
しかし、橋が架かっている側の橋台は切石製、もう一方はコンクリート製であり、近年になって車両交換ができるように改造したものと見られる。
ちなみに青海川駅の開業は明治32年で、米山〜柏崎間の開通から2年後に設置された。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 128 振り返るとその青海川駅が見える。
上の写真の橋より駅側は整備されておらず、下りホームから海水浴場に向かう場合は、一度駅本屋がある上りホーム側に渡った後、 もう一度線路をくぐってこなければならない。

この日の朝は写真手前の柏崎方向から奥の米山方向へと電車で通過したわけだが、電車の中からあの八号隧道の姿を見ることができた。
車窓からは隧道へ通じるまともな道が見えず、最悪の場合下りホーム端からの藪中行進の覚悟を決めていたが、迂回さえすればアプローチは容易である。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 129 容易・・・と思ったのだが、容易だったのはあの橋から十数メートルまでだった・・・
歩道が海岸に下りてしまうと、旧線は例によって藪に包まれる。
写真は振り返って撮影。

隧道の内部、そして反対側の坑口について情報を持っていなかった私は、あわよくば自転車ごと抜けられるのではないかと相棒と一緒に枯れ藪に突入したのだった。
高い木々がないので、ある程度は自転車も一緒に進むことはできた。
が、やはり体力と時間の消耗は激しく、根性なしの私はあっという間にギブアップ。藪を数十メートルほど進んだところで自転車を放り出してしまった。
すまん、相棒よ、ひとしきりあの隧道を偵察して、貫通できそうなら戻ってくるからな。

つーか時間がないのよ時間が。
時刻はすでに午後2時。私に課せられた制限は、午後2時50分までに柏崎駅に到達すること。
ここから柏崎駅までどれくらいかかるのか分からないが、30分は見積もっておかねばなるまい。
急げ急げ。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 130 歩道から藪に突入する際には特に柵は設置されていなかった。
これはもちろん、管理する側が「こんなところ入ってく奴なんかいねーよ」と思っているからで。

そんな管理側の思惑を無視して突き進んでいると、やっと柵が現れた。
この柵も歩道脇の柵と同じく、枕木を加工して作られたものである。
柱のように立てられた枕木の間には鉄条網が渡されていたが、脇が甘いよ脇が。
おまけに鉄条網もサビサビだし跨げるほど低いし所によっては切れてるしで、通行を遮断する役割はほとんどない。
ま、ここまで入ってくる奇特な人間など想定していないんだろう。

柵を越え、最後に冬でも元気な笹薮地帯を迂回すれば、ついに米山最後の廃隧道、八号隧道はもう目の前だ。

7-4 凍てつく隧道

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 131 隧道を正面から捉えられる位置にちょうど笹が茂り、あいにく正面からの写真はない。
隧道に接近してみると、延伸されたロックシェードの入口には確かに進入防止の柵が設置されていたが、土砂崩れによってなぎ倒されていた。
廃線跡探訪のページ様にあるこの場所の写真にはしっかりと直立した柵が立っており、 この土砂崩れは比較的最近、おそらく二号隧道で見たあの土砂崩れと同時に発生したものと見られる。

内部の写真?
いやね、ちょっと待ってね。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 132 延伸されたロックシェードは10メートルほど。
入口には柵が設けられていた(少なくともかつては)が、ロックシェードには明り取り用の横窓が開いており、 あそこに柵があってもここから出入りすることは当時から可能であったろう。

八号隧道のポータルにも煉瓦が多用され、五号隧道や六号隧道とよく似た外観を持つ。
しかし、ロックシェードに覆われてしまった今では横からわずかに望むのみであった。

横穴からいくらでも侵入できるのだが、ここは正攻法として正面の崩壊した柵を越えていくとしよう。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 133 さて、内部である。
といってもこれはロックシェードに入って振り返っての写真。
坑口付近は若干水がたまっていたが、防水の靴なら特に問題とするほどでもない深さ。
また、好き物が設置したと思われる石が文字通り飛び石に置かれ、その上ならば濡れることはない。



で、

内部なんだが・・・


ここは、本気で入るのを躊躇した。
ここは、本気(マジ)に戦慄した。



だってね・・・
この隧道ね・・・
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 134
白いの・・・
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 135 白すぎだろおい!

それは、いまだかつて体験したことのない規模の"白化"!
側壁から天辺までびっしりと覆ったその"白"は、"ラスボス"たる八号隧道の威容をそのままにぶつけてきた。
天辺を中心として部分的な白化が見られる隧道はいくつもあるが、ここは全体が凍りついたような"白"。
正直、最初見たときは氷でも張っているのかと思ってしまったくらいだ。

そして、尚この隧道への進入を躊躇わせたものとして、上空の"雲"にある。
いやいや、もちろん青空に浮かぶ雲ではない。
写真ではよく分からないが、天井から1メートルほどのところに霧が発生しており、それが内部からゆっくり、ゆっくりと吐き出されてくるのだ。
明らかに風はなく、淀んだそれは内部での閉塞を意味する。

不気味すぎる。
それでも、凍りついたような白化を前にしても、まだ私の気力までは凍てついていない。
天井の霧の河を遡るように、ゆっくり、ゆっくり内部へと歩を進めた。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 136
白い白い白い白い!!!!!!!!
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 137 ホワアアアアアアアアアアアアイト!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

この白化は尋常じゃない!普通じゃない!ありえない!
何から何まで霜のように"白"に覆われている!
本当にこれ氷じゃないのか!?
というか、むしろ氷であってほしい!
白すぎるんだよここ!



やばい、私の心まで、凍り始めて、きた。
まだ、足は進む。

外界の風や波の音はまだ聞こえるが、私の鼓動はそれ以上に大きく聞こえた。
気温は一桁だというのに手にはじっとりと嫌な汗をかき、喉はカラカラに渇いた。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 138 日本で最も数多くの廃隧道にもぐった男のうちの一人、よっきれん氏の言を借りれば、 「異常な白化はその隧道の残り時間が全体の3%を切っていることを示す」だそうだ。
もうここは異常というか、その限界すらも超えてしまったようだ。
本来ならばもう逝ってしまっているようなところなのに、逝けないままただただ白化を進行させている。

そんな白化も、入口から数十メートルほどで落ち着いてくる。
白化が崩落の予兆だとするなら、この場合崩落するなら坑口付近ということになる。
前方は閉塞している内部を探索中に、後ろが崩落したら・・・そんな考えも現実味を帯びさせる、尋常ならざる白化であった。

足元には波打つような模様が見られるが、これは枕木の跡である。
一部には枕木がそのまま残っているところもあるが、レールはない。


さて、白化は収まったが、この先には更なる恐怖の予感が感じられた。
というか、この写真を撮った時点でもうヤバイと思った。
白の次は・・・
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 139
黒い・・・
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 140 お願いもうやめてください・・・

隧道全体が凍り付いたような"白"は、隧道全体が燃え尽きたような"黒"へと変貌した。
3つ上の写真と同じ隧道ですよ、ここ。
なんですかこの変わり様は。

先ほどは凍てつく白に恐怖したが、燃え尽きた黒は尚いっそうの恐怖を煽る。
どこを見ても、どんなに明かりで照らしても、いくら前方に目を凝らしても、漆黒の闇また闇。
写真を撮り、液晶画面で撮影画像を確認して、いざ前方に目を向けた瞬間が一番怖かった。
急に失明したような、何も映らないその黒が、ひたすらに恐怖だった。
明治時代の開通?竣工から100年の隧道?そんなロマンなんかどこにもない。感じられない。ただ、怖い。

ここで、北越鉄道全通時にそれを祝って歌われた歌の一節を紹介しよう。
「ここは名に負う八号トンネル 越えれば鯨波あまたの国道踏み切って 一里半行きゃ柏崎 愉快ぢゃ愉快ぢゃ」(柏崎市史より抜粋)

名には負ってます。これ以上ないほどに。
でも、愉快ぢゃないと思います。決して。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 141 だめだ。

もう足が進まない。

心は前へ進むのに、足が動かなくなった。

水の中で走るような、夢の中で走るような、気持ちは進んでいくのに、体が前へ行かない。
そんな気持ちを、初めて感じた。


いや、そうではない。そうではないんだ。
ふと時計を見れば、もう2時10分を過ぎていたんだ。
実を言うと、このとき装備していた明かりはひとつだけ。
もうひとつの明かりはまたしても自転車のサイドバックに入れっぱなしだった。
こんな黒い隧道、明かりひとつで探索などあまりに無謀。
かといって、今から取りに戻って、あとどれだけあるかわからない隧道を探索する時間はないんだ。


「タイムアップだ」

漆黒の隧道内で、消え入りそうな声でそうつぶやいた私は、くるりと踵を返した。
生者の光へと進むその足は、なぜか小走りだった。

7-5 撤退!!!!

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 142 そのあとの旅程は、本当に記憶がない
断片的な記憶はあるのだが、どこをどう通ったかもよく覚えていない。
生還の"喜"、隧道内でタイムアップという計画性のなさに対する自分への"怒"、途中で引き返せざるを得なかった"哀"、尋常ならざる廃隧道探索の"楽"、 すべての感情が入り混じり、軽いパニック状態であったらしい。

そんな中、隧道を出てからたった一枚だけ撮った写真が、これである。
「"を"の字を間違えてるよ、ハハ・・・」
そんな掠れた笑いを求めるほど、私は追い詰められていたのか。
そしてそれは、時間だけではないと思う。

あの隧道で引き返した理由、本当は分かっていた。
時間による「タイムアップ」ではなく、恐怖による「ギブアップ」であったこと。

悔しかった。
2006年の初日にして、これ以上ないほどの挫折であった。
結局柏崎駅に着いたのは午後2時50分ジャスト。
その後輪行の仕度を整え、列車に乗り込んでから数分と待たずに発車時刻となり、結果的に言えばあそこで引き返した私の判断は正しかったといえる。
また、家で照明の点検を行ったところ、隧道内に持ち込んだたった一つの明かりはほとんど電池が切れ掛かっていた。
どうりで隧道内部があまりにも黒く、暗く見えたわけだ。
あのまま進んでいれば、最深部で明かりなしという最悪の事態もありえたわけで、ここでも引き返しの判断は正解だった。

それでも、このまま終わるわけにはいかない。
このまま探索をあきらめてしまえば、2006年の活動が全て挫折してしまうような気がしてならない。
それを振り払うための手段は、たった一つだ。

次回、最終回。
[ 06' 1/1、06' 1/21 訪問 ] [ 06' 3/10 作成 ]
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