JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 8

概要

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群の地図 無念の撤退を余儀なくされた米山廃隧道群最後の隧道、八号隧道。
これ以上進行のし様がないほどの白化と内部の暗黒は私を数日の間、暗闇恐怖症にさせたほどである(マジで)。

だが、これで終わってなるものか。
元日の敗北のあと、私は図書館に赴き、北越鉄道に関する資料を調べ上げた。
いくつかのWEBサイトにて、あの隧道に関する知識も得られた。
準備を万全に整え、再訪の日をあれから20日後の1月21日とした。

8-1 八号隧道柏崎側坑口

今回は探索のすべてを八号隧道に向けることをを目的としたため、相棒がいない。
単身列車に乗り込み、乗り換えのために柏崎駅でホームに下りた。
多少の不安から、歯医者の待合室にいるような居心地の悪さで連絡する列車を待っていたのだが、ホームのスピーカーから妙なアナウンスが響いてきた。

「・・・分発、直江津行きの普通列車は、列車故障のため大幅な遅れが見込まれます・・・」

・・・
そこまで私を拒むか八号隧道よ。
正直、気持ちが挫けそうになるも、こうなった以上何が何でも探索してやるという気力も沸々と沸きあがってきた。

結局、直江津まで向かう客は後続の特急に乗り、私のような柏崎〜直江津間で降りる客にはタクシーが手配された。
相棒がいれば、柏崎で輪行をといて隧道まで向かえたんだがね。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 143 本来は八号隧道そばの青海川駅で下り、少し柏崎側に戻って八号隧道柏崎側坑口から探索する予定だったが、せっかくタクシーに乗れたのだから、 柏崎側坑口付近で停めてもらい、探索を開始した(ちなみにタクシーに乗ったのは私だけだった)。
ただ、付近を見ていると、柏崎方向から直江津行きの普通列車がすっ飛んでいった。

・・・あれって本来私が乗るはずだった列車だよな・・・?
タクシー意味なくない・・・?


とにかく、私は楽をさせてもらい、いきなり八号隧道柏崎側坑口である。
現場は国道8号のすぐ脇を通っており、歩道を歩いているといやがおうにも目に入る。
といっても、残念ながらこちらの坑口は存在していなかった。
現在線のトンネルのすぐ右側にコンクリートの壁が見えるが、これが八号隧道の柏崎側坑口の成れの果て。
跡形もなく密封されたそれは、ここが本当に坑口なのかと疑問すら思わせる。
一見無意味そうに見える平場と、坑口前に残る藪だけが、そこに旧線があったことを伝える。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 144 トンネルの上はちょっとした空き地になっており、自由に入ることができる。
そこから見下ろす現在線と旧線。
私が立っている位置がちょうど八号隧道の真上あたりで、現在線の左側に延びているわずかなスペースが旧線跡。

ちなみに、線路右側の道路は国道8号だが、線路左側にも舗装が劣化した怪しい道が延びている。
実はこれ、旧国道なのだ。
現在の国道は線路とはトンネルの上での立体交差となっているが、かつてはトンネルの数百メートル手前で平面交差し、写真で見て線路の左側に移っていたらしい。

当時利用されていたであろう踏み切りも今はなく、この道も現在では保線くらいにしか用途がないように見えるが、道の先には軽トラが停まっていた。

8-2 再会

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 145 柏崎側坑口から隧道が貫く岬のサミットを越え、米山大橋の旧道に入る。
ちょうどこのあたりは前回橋の反対側から撮った写真に写る旧道のあたりである。
当初はこのまま谷底まで降り、前回と同じルートで隧道に接近する予定であったが、ふと右側の路肩を見ると、 旧線跡へつづらを折って降りていく徒歩道を発見、これをアプローチに利用させてもらった。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 146 帰り際に撮った写真であるが、今回アプローチに利用した歩道。
藪の中をジグザグに走る道があるのがお分かりいただけるだろう。
この道は別に廃道化しているわけでもなく、かなりの急斜面ではあるが、観光用の遊歩道か何かと思われる。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 147 つづらを降りきると、そこはもう旧線跡。
例の隧道はつづらの中腹からも見え、不気味な存在感は歩を進めるごとに増していった。

前回は無理やり相棒も連れ込もうとしたが、今回は身軽である。
背後には私が列車から降りるはずだった青海川駅、そして真正面に八号隧道をすえ、再び藪に包まれた旧線跡を進む。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 148 この日も空と海はひたすらに青かった。
今年の新潟の冬は例年にない豪雪となったが、海岸付近はむしろ平年よりも雪が少なかったように感じる。
このような快晴の日も普通なら一冬に1日あるかないか位なのだが、この冬は晴れた日も多かった気がする。

米山第八号隧道が貫くその岬の名を鴎ヶ鼻という。
先端には数百万匹が生息するという洞窟もあるとかで、断崖の展望も合わせてある程度観光化されている。
岸壁に沿って妙な道も刻まれており、徒歩もしくは自転車くらいなら、 岩にへばりつくようにして刻まれたその道を通って岬先端までいけそうだ。
怪しい道も波に削られつつあり、幅の狭さもあって道の雰囲気としては"古道"に近いものがある。
国道は山越えで岬を越えているわけだが、まさか徒歩道時代の遺構・・・なんてことはさすがにないか。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 149 さーて、また来ましたよ、八号隧道。

20日前と同じく、坑口からは不気味な"雲"が吹き出している。
前回は風もなく淀んだ雰囲気から閉塞の予感を感じていたが、反対側の坑口を確認したことで、それは確信に変わっている。
また、不明であった隧道の延長も調査済み。それは一四一二、四呎≒430メートルだ。
その長さは一連の米山隧道群でもっとも長かった、三号隧道に匹敵する。
単に通過するだけならばたいした距離ではないかもしれないが、閉塞隧道ならば往復しなくてはならない。
閉塞地点に関してははっきりせず、反対側の坑口閉鎖がその場所であるとすれば、距離にして900メートル近い探索になる。それも徒歩で。

ざっと20分くらいはかかるだろうな・・・

"どこまで続くか分からない暗闇"というのは相当な恐怖を煽るものだが、距離が長くても一応の目処が立ったことでそれも多少和らぐ。
とはいえ、危険度が減ったわけではない。生きて帰れるという保証はどこにもない。

無言のまま装備を整え、午前10時10分、内部へと進んだ。

8-3 闇の奥へ

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 150 相変わらず入口付近の白化はハンパじゃない。
だが二度目ともなればもう見慣れた。
恐怖はあるが、その身を凍らせるほどではない。
危険であることはなんら変わらないのに、人間の慣れとは恐ろしいものだ。

入口辺りには大量の発泡スチロールが漂着している。
この程度のものをわざわざこんなところまで廃棄しに来るわけはないと思うが・・・
入口の崖の上にはさまざまな観光施設が並んでおり、そこから転がり落ちてきたものと見られる。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 151 やがて入口の"白"に代わり、"黒"が周囲を支配し始める。
これが怖いんだ・・・

挫けそうになる気持ちを奮い立たせ、歩を進める。
何しろ往復で1キロ近い道のり、抜き足差し足で進んでいてはいったいどれだけかかるか分からない。
できるだけ通常の歩速で進むことを心がけた。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 152 足元に残る枕木。
このように露出している箇所は少なく、ほとんどは灰色の泥に埋まっている。
特にそれは奥に進むほど顕著で、まともに枕木が見えたのはこの入口付近だけであった。

前回はこのあたりで引き返してしまったが、今日はまだいける。
最後まで、行ってみせる。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 153 待避抗は両側にあるが、進行方向に向かって左側のもの(2枚上の写真)はコンクリートでできた割りと新し目のもの、一方で、 右側のものはこのような煉瓦製であった。
はっきりとは記憶していないが、この傾向は他の米山隧道群もそうであった気がする。
左側ばかり集中的に補修したとは思えず、もともと右側にしかなかった待避抗を、左側にも新たに設けたのではなかろうか。

八号隧道の内部はさっきから真っ黒のままなのだが、ここは煉瓦の赤をよく残している。
また、煉瓦製の待避抗の上部には電球がつけられており、往時には明かりがともったこともあったのだろう。
この電球は左側のコンクリート製待避抗にはひとつもなく、このことも左側の待避抗が後補のものであることを示唆している。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 154 振り返ってみると、まだ入口の明かりが見えた。
入ってみて分かったが、隧道は入口からすぐに左にカーブを切っている。
当然、光もすぐに届かなくなることが予想される。
相変わらず、進行方向に広がるのは、ひたすら黒、そして部分的な白である。
あまりの黒さに、どこが煤煙なのか分からない。というか、これ全部が煤煙なのだろうか?
この隧道が廃されるまで、推計200万本以上の列車が通過したという記録があるが、これだけ走ればここまで黒くなるものなのか。

入口の上部で白く光っているのは、隧道内に発生している霧である。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 155 隧道内は基本的に全面が煉瓦製であるが、部分的にこのようなコンクリートの補強も見られる。
ちょうど三号隧道と似たような見た目であるが、どこもかしこも黒一色の中では、コンクリートでも煉瓦でも不気味であることに変わりはない。
北越鉄道100年の時間の重みが、体中にまとわりつくようだ。

8-4 恐怖の向こうに待っていたもの

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 156 入洞から10分近くを経過したが、先は全く見えてこない。
入口付近で聞こえていた波の音、風の音も、全く聞こえなくなってしまった。

代わりに、どこからかちょろちょろと水が流れる音が聞こえてきた。
どこかで漏水しているのかと思ったが、その発信源はこのコンクリートの蓋の下らしい。
どうも足元には小さな水路が流れているらしく、水の音はその音のようだ。
この水路が現役時代から存在するのか、後に作られたものなのかはわからない。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 157 入口の明かりなどとっくに見えなくなっていた。
前も後ろも真っ暗であり、写真も進行方向を撮ったのか、振り返って撮ったのか判然としない。
多分これは振り返ったものだと思うのだが・・・

この隧道で特筆すべきは、状態の良さである。
こんな変色した隧道で状態が良い?と思われるかもしれないが、意外なことに崩落、剥離がただのひとつもないのだ。
灰でコーティングされたせい、ということもなかろうが、とにかく竣工から100年も経過し、放棄されてからも40年以上たつのだが、 ダメージらしいダメージが全くない。
灰を掃除すればまだまだ現役でも通用しそうなほどに、まるっきり痛みがない。
故に、頭の上から崩れてくるというような恐怖心はほとんど感じなかった。

他の隧道や橋梁で見られたような煉瓦のストライプといい、北越鉄道会社の構造物に対する緻密さは驚嘆に値するといえよう。
なにしろ、ここ中越地方を震源としたあの中越地震も耐え抜いたのだから、全く以って頭が下がる。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 158 片道の3分の2ほどは来ただろうか。
静寂が包む漆黒の隧道内で、遥か遠くで列車が走る音が聞こえてきた。
もちろんこれはこの隧道のすぐ横を走る現在線のトンネルの音だろう。
「いくら一日何十回と響く音とはいえ、暗黒の隧道内で列車の轟音が聞こえてこようものなら、寿命が数年は縮む・・・」
そう考えて、列車の通過時刻を考慮して探索時刻を策定した(ただし柏崎駅での列車故障で計画倒れ)のだが、隧道内に響いた音はほんのかすかなものだった。
考えてみれば、すぐ横を走るとは言っても厚さ数十メートルの壁が存在するわけで、そんな轟音が聞こえてくるわけないな。

隧道の壁には、このようなコンクリートブロックが並べられた場所がいくつか存在する。
枕木なわけはないし、その用途は不明だ。
足元にある水路に関連したものだろうか。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 159 奥へ進むほどに、空気が濃密になっていく気がする。
というか、確実に周囲の温度が上がっている。
入口付近は5℃とかそんなもんだろうが、半分を過ぎた辺りから気温の上昇を肌で感じ、体感で15℃以上はありそうだ。
暗闇へと進んで行けば行くほど、気持ちが良くなってくる。
本当に、奥へ誘われていくようだ・・・
「ここは名に負う八号隧道、ゆかいぢゃゆかいぢゃ」

足元の泥にはいくつもの人の足跡が鮮明に刻まれている。
好きだな、みんな。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 160
・・・?
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 161 うおおおぉおぉぉぉおおおぉおお!!!!

巨大な動物の舌にも見える、べろっとした土砂が行く手をふさいでいる!
閉塞?崩落?
いや、崩落にしては天井に異常がない。これは、外部から持ち込まれた土砂で間違いない。
入洞から10分ほど、片道430メートルの道のりであれば、そろそろ到達できる距離だ。
ついに、ついに最終地点を迎えるのか!

もはや恐怖はない。
閉塞を確認すべく、1.5メートルほどの高さまで積まれた土砂に取り付いた。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 162 土砂の区間は意外に長い。
ひとしきり山に登ったあと、奥のほうを見ても、まだ閉塞地点は見えなかった。

足場は悪いが、土砂にあまり水気は含んでおらず、ズブズブと沈んでいくようなことはない。
周囲の気温が実に快適な温度にまで達していることもあり、隧道最深部という危険度MAXの場所において、私は狂喜していた。
ゆかいぢゃゆかいぢゃ
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 163 前述の通り、土砂は1.5メートルほどの高さであったが、10〜20メートルほど進むと、急激に高くなった。
上部は1メートルくらいの高さしかなく、あそこで立ち上がることはできまい。

そして、その壁の向こうに、とうとう見えたよ。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 164
閉塞確認!
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 165 入洞からおよそ10分、とうとう最終地点に到達した。
要した時間から逆算して、ここが外から見えたコンクリートの封鎖の裏側と見て間違いないだろう。

封鎖に使用された鉄格子はボロボロに錆びており、いくら湿度が高い隧道内の環境とはいえ、十分な年代を感じる。
封鎖は現在線への付け替えとほぼ同時期に行われたものと推測される。
コンクリート封鎖の裏側というものを初めて拝見したが、痕跡すら認められないなめらかな外観とは違い、内側はやや乱雑な印象を受けた。
まあ、本来なら誰の目にも触れることないものだし、外から入ってくることを防げれば、事が足りるわけだ。

封鎖と土砂の間には1メートルほどの隙間がある。深さも大体それぐらいだろうか。
あそこに嵌ったらちょっと大変だ。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 166 振り返って撮影。
深淵の底である周囲の情景に、生あるものの気配は全く感じられない。
水滴が落ちる微かな音しか響かぬこの暗闇の中では、ほんの数十センチの厚さの背後にあるコンクリートの壁も、何キロも続く分厚い壁に思える。
実際、壁さえぶち抜ければすぐに脱出できるのだが、こんなコンクリートの壁を破壊できるわけもない。
再び来た道を戻るしかないのだ。

ちなみに、白い靄がかかっているのは、私が天井近くの"雲"の中にいるためであり、あの世の何かが写ったというわけではない。

8-5 静かなる住人

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 167 帰り際、ひときわ大きな待避抗の中に、真っ黒く変色した梯子が落ちているのを見つけた。
周りの黒と同化しており、注意していないと気がつかない。
隧道閉鎖の際に使用したもののようにも思えるが、この"黒"が煤煙によるものならば、煤煙をかぶったこの梯子は現役当時から置いてあったものなのだろうか。
窒息しそうな煤煙と機関車の轟音が響いた現役時代も過ぎ、耳が痛くなるほどの静寂と暗闇の中、彼はひたすら眠り続ける。


で、梯子を見ていたときは全く気がつかなかったのだが、ふと上を見てみると・・・
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 168 こここここここうもりいっぱぱぱぴ

来るときもこのそばを通り過ぎ、今はその寝床の真下でパシャパシャ写真を撮っていたのだが、彼らは身動きもせずにじっとしていた。
この写真を撮る時にも、そのフラッシュでいっせいに騒ぎ立てるのではないかと腹を据えて撮ったものだ。

八号隧道が貫く岬の先端には福浦猩々洞という天然の海食洞があり、数万匹のコウモリの寝床となっているらしい。
ここは彼らの別荘地なのか・・・
周囲は暖かく、居心地は・・・いいのか?
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 169 梯子のほかに、1985年製の発炎筒やビール瓶らしき物体などが転がっていたが、ぽつぽつと残る枕木以外に鉄道らしい遺物は存在しない。

波の音と風の音が聞こえてくると、ようやく光が見えてきた。
生還だ。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 170 最後の白化区間を過ぎ、生者の世界へと戻る。

やった。

前回は涙を呑んだこの八号隧道も、制覇することができた。
「溜飲が下がる」というのは、まさにこんなときの気持ちだ。
一昨年に起こった中越地震にも耐え、何の崩落もなくよくも私を迎えてくれたものよ。
築100年をゆうに超える明治の隧道に軽く一礼し、すぐそこにあるJR青海川駅に向かった。

8-6 日本一海に近い駅、そして七号隧道

JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 171 JR青海川駅正面。
シンプルな外観にとってつけたような看板はいまいち味気ない。
内部には事務室などの設備も備わっているが、今は自動券売機が置かれているのみの無人駅である。

ここJR青海川駅は「日本一海に近い駅」といわれ、ドラマ「高校教師」のロケが行われるなど、一応知名度は高い。
待合室にはかつてそれをアピールするような札も掲げられていたというが、今回の訪問時は代わりに落書きを咎めるようなものになっていた。
ただ、その張り紙の文章も一応日本一海に近いこの駅オリジナルに書かれたもののようで、価値は高い?

柏崎方向へと戻るために、下りホームに向かう。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 172 実際、日本一海に近い駅というのは下りホームからそれが分かる。
海からはほんの数メートルといったところで、高潮の時はひとたまりもない。
ここはベンチもない待合室にいるより、日本海の波が磯に砕ける音に耳を傾け、ぼーっとしているほうが遥かに良い。
もちろん、この駅の真髄は日本海に落ちる夕日であろう。
いつか、その瞬間にぼーっとしてみたいものだ。
JR信越本線旧線 米山の廃隧道群 173 ホームを笠島駅側に進んでいくと、ロックシェードが設けられていた。
しかしながら、ホーム自体はその直前で終わっており、内部には入れない。
ロックシェードの中には現在のホームより一回り小さいホームがあり、どうもかつてはこの中までホームが延びていたようだ。

写真奥には二つの穴が見えている。
向かって左側は複線用に新たに掘られたもので、右側が明治より今に続く、七号隧道である。
反対側の坑口と同じく、こちら側も煉瓦らしい構造は全く見えない。
海岸に下りればもう少し接近することができるが、遠目に見る限り余り食指を動かされるものではない。


ひとしきり海を見てぼーっとしていると、当の七号隧道から列車のヘッドライトが見えた。
その列車に乗り込み、あの八号隧道脇を複線トンネルですり抜け、ひたすら柏崎に向かって走っていく。

ここは名に負う八号トンネル 越えれば鯨波あまたの国道ふみきって 一里半行きゃ柏崎 愉快ぢゃ愉快ぢゃ
ここは名高き下宿の番神様をば左に見 新田の山をも平らげて大洲の浦をも通り過ぎ 極楽寺をば右に見て 鏡が沖を向ふに見 鵜川を渡れば柳橋
ここにステイション設けられ 柏崎にと一決す デモ愉快ぢゃ愉快ぢゃ
長きにわたった米山の旅も、柏崎駅に到着して一決した。
数々の遺構に彩られたその廃線路は、限りない哀愁を感じさせる一方、時に恐怖の片鱗も見せてくれる。
それでも、明治の名工たちが織り成したその姿は、なんら色あせてはいない。
[ 06' 1/1、06' 1/21 訪問 ] [ 06' 3/17 作成 ]
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