戸井線 汐首岬の廃隧道 3

概要

戸井線 汐首岬の廃隧道の地図 「コンクリートには鉄筋ではなく、木筋が使われた」
伝説は真実だった。
足元のコンクリート橋はまさかとは思うが・・・

3-1 汐首第二隧道

戸井線 汐首岬の廃隧道 29 最初に侵入した汐首第一隧道の坑口は今にも埋もれかけていたが、第二隧道の入り口は比較的原形を保っている。

坑口には、藪に埋もれかけて横たわる関係者以外立ち入り禁止の看板。
鉄道としては完成しなかった隧道が、その後は「関係者」に何らかの使命を与えられていた時期もあったのだろうか。
戸井線 汐首岬の廃隧道 30 その使命も、さほど名誉あるものではなかったのかもしれない。
入ってすぐにうずたかく積もれた瓦礫は、隧道の崩落ではなく、外から持ち込まれたものだった。
よくいえば資材置き場、悪くいえばゴミ捨て場、か。


瓦礫の山を越えた先にも、鉄屑や木製電柱が突っ込まれていた。
戸井線 汐首岬の廃隧道 31 第一隧道では水没により明らかでなかった路盤が、ここでは鮮明だ。
敷かれた砂利は砂礫のように細やかで、道の両脇にあるやや大きい石も側壁が剥離したもののようだ。
おそらく、これらはバラストではない。
これらの砂利が戦時中からのものなのか、戦後に資材運搬のために新たに敷かれたのか、どちらなのかはわからない。
ただ、放棄後数十年を経た廃隧道ですらも目にできる、枕木の跡や、レールの跡は、どこにも無い。
鉄路としてのアイデンティティーが、ここには成立しなかったのである。

かろうじてそれを示すのは、縁もボロボロに風化した待避坑だけであった。
戸井線 汐首岬の廃隧道 32 資材置き場のような、ゴミ捨て場のような第二隧道は短く、延長は50メートルくらいだろうか。
これは出口から振り返って撮影したもの。
特にこちら側は木片が多く転がっていた。
もはやこれらは「資材」とはいいがたい。
戸井線 汐首岬の廃隧道 33 上の写真の右側の側壁にも写っているように、どうやらこの隧道には、一時期は送電線が走っていたらしい。
内部に落ちていた木製電柱も、それを撤去した産物なのだろう。
その木製電柱が、出口に一本だけ、路盤をさえぎるように起立していた。

ま、それはいいんだけど、路盤を覆う潅木は厄介だった。
またウィンドブレーカーが破けちゃうじゃん
戸井線 汐首岬の廃隧道 34 汐首第二隧道の函館側坑口。
ポータルは比較的良い状態で残されている一方、周辺は猛烈な潅木で覆われている。
夏場にはここに来ることはできまい。
戸井線 汐首岬の廃隧道 35 高台に延びる分、見晴らしは実にいい。
この日は天気もよく、対岸の津軽半島もすぐ近くに見えた。紛れも無く、海路における本州との最短地点である。
なるほど、これなら本州との連絡鉄道としての意義を主張されるのも頷ける。
もっとも、その用途は函館港に入港させたい函館市民としてはあまり歓迎されるものではなく、着工以前には「戸井に船で着いても、結局は函館まで鉄道で行く手間がかかるんだから、海路を多少短縮したところで意味が無い」といった主張もなされていた。

3-2 戦いの終焉

戸井線 汐首岬の廃隧道 36 藪を縫って進むこと数十メートル、崩落と水没でたどり着くことができなかった第一隧道の戸井側坑口が姿を現した。

ちなみに、この短い明かり区間で、併走する国道をパトカーが通っていくのが見えた。
そのときばかりは、憎たらしい藪も絶好の隠れ蓑。
すかさず藪の中に身を隠した。悪い子だね。
戸井線 汐首岬の廃隧道 37 さっきは気づかなかった、排水溝らしき溝が中央にある。
それは漆黒の闇の中へと続き、あの崩落現場の裏側にまで延びているのだろう。

第一隧道の延長自体はそれほど長くないはずで、長くても400メートルほど。
崩落現場はその中間地点よりは函館側にあったから、その場所に立つまでには少し歩く必要がある。
見える範囲の暗闇に、崩落の痕跡は無い。
戸井線 汐首岬の廃隧道 38 パトカーが引き返してきて、拡声器で怒鳴られやしないかと怯えつつ(以前、廃道から現道の合流地点に出たところ、居合わせたパトカーに職質されかけたことがある)、ちょっと隧道に入ってから準備を整え、崩落地点を目指して進み始めた。


にしても・・・汚い穴だなあ・・・といったら失礼か。
まだら模様の白化はゲロっぽくて・・・思わず鼻をつまみたくなってしまった。
戸井線 汐首岬の廃隧道 39 入洞から3分。
一直線の隧道らしく、振り返ればまだ力強い外の光は大きく見える。
しかし、行く手も手元ももはや真っ暗。
その闇の中に、目的地がある。
戸井線 汐首岬の廃隧道 40 振り返って撮影。


「軍事鉄道であり、自分ら地元民のものではない」という意識は、建設中にもあった。
確かに建設の第一目的が戸井要塞への連絡であったことは否めない。
戦後、GHQによって要塞は破壊され、戸井線はその第一目的を失った。

一方で、戸井周辺の産業活性化を図るという、第二の目的が戦後に与えられそうになったこともある。
昭和23年、北海道庁の開発計画では、未成に終わった戸井線をさらに延長して開業させる必要がある、としているし、昭和26年には、大沼電鉄という私鉄会社が、ほとんど完成していた戸井線の路盤にレールを敷いて開業させる免許を申請した。
軍服を脱いだ鉄道路線には地元の期待も高く、促進運動も盛り上がりを見せたという。
残念なことに、大沼電鉄の申請は資金調達がつかず、申請から1年でこれを取り下げてしまった。
結局、昭和46年に用地は沿線自治体に売却(隧道は無償譲渡)され、レールが戸井に達する可能性は無くなった。
戸井線 汐首岬の廃隧道 41 古い鉄道隧道にありがちな、天井の煤煙の跡も存在しない。
鉄道隧道として造られながらレールは敷かれず、鉄筋ではなく木筋を使用した。
何から何まで異色ずくめの隧道に光を当てられるのは、我々のような趣味者しかいないのだろうか・・・?
戸井線 汐首岬の廃隧道 42 入洞から6分、どこかで見たようなベトベトの泥が足元を覆うようになった。
「戦い」の終わりは、すぐそこに。
戸井線 汐首岬の廃隧道 43
ぼわっ
戸井線 汐首岬の廃隧道 44 終わった。
天井を突き破った粘着性の泥が、隧道断面のほとんどを覆っていた。
時間的にも、向こう側で見た崩落の裏側だろう。

向こう側で確認したように、こちら側から見て左上にはわずかな隙間があるように見える。
また、右上には伝説がぶら下がっているようだった。


・・・最後の締めといこうか。


登ろう。
戸井線 汐首岬の廃隧道 45 まずは左上の貫通を確認。
土砂数メートルを挟んで、確かに貫通している。
私の体は入っていかないし、向こう側に出たところでそのまま水没地点にドボンだ。
戸井線 汐首岬の廃隧道 46 そして伝説の亡骸を確認。
天井から垂れ下がったそれらは、確かに、木。確かに、木片である。
何が何でも完成を急いだ当時を語る、これ以上ない生き証人。
乱雑な木片をぶちこんでまで造り上げた隧道は、それから70年を経た今、一度も汽車を通さないまま、歴史の闇の中に消えようとしている。
戸井線 汐首岬の廃隧道 47 振り返って撮影。

本来なら、この方向にレールが続き、戸井に達するはずだった。
果たせなかった70年前の暗い夢に後押しされて、私は戸井まで自転車を走らせることにした。
この危険な隧道は、もう省みられることもなく、歴史の舞台から降りていくだろう。
「軍事鉄道」が歴史の表舞台で活躍しないことが、ある意味平和の象徴なのかもしれない。
アーチ陸橋を感嘆の目で見上げ、興味本位でその隧道に入って撮影できる今は、隧道が工事で賑わったその時代よりも幸せなのだ。
[ 10' 3/24 訪問 ] [ 10' 8/12 作成 ] [ 10' 10/11 追記 ▼該当箇所にジャンプ ]
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