角海浜隧道 消えかけた隧道と消えた計画 1

概要

角海浜隧道 消えかけた隧道と消えた計画の地図 今回紹介する隧道を含む一角は、ことによっては政令指定都市を目指す新潟市の運命をも大きく左右したかもしれない、ただならぬ歴史を持っている。
並の旧廃道とは一線を画した地域であり、緒言が長くなってしまうことを最初にお詫びしたい。


新潟市から海沿いを走る国道402号を南下してゆくと、弥彦山手前のある地域を忌避したかのごとく、山に向かってその進路を大きく変え、 長大トンネルを二本もぶち抜いた挙句、また元の海岸に戻るという、不自然な線形があることに気付く。
この線形こそが、果たされなかった企業の夢───原子力発電所の計画跡である。
国道が避けて走るその地域、ひょっとしたら巨大なプラントが並び、二度と近づけない場所になったかもしれないその場所の名は───角海浜。
自然と人と、あらゆるものに翻弄され続けたその場所には、かつて集落が栄えた。

現在では誰一人住まうものはいない角海浜であるが、江戸時代(西暦1600年代)には200戸を超す大集落があった。 北に隣接する五ヶ浜集落を遥かに凌駕し、南にある間瀬集落にも匹敵する規模である。
それだけの集落が忽然と消えてしまったのは、必ずしも原発が原因ではなく、人口の減少は江戸時代からすでに始まっていたという。
その理由はというと、ほかならぬ、海にあった。

角海浜沖特有に見られる、ある海洋現象を、この集落では「マクリダシ」と呼んだ。
これは数十年に一度起こり、海に面した家並みを根こそぎ奪っていくという、一種の海岸浸食現象である。
長い歴史の中で繰り返される「マクリダシ」に、集落の海岸線はかつてのそれより600メートル以上も後退してしまった。
海以外の三方を山に囲まれたこの地では逃げる場所もなく、海に住家を奪われた住人は耕地を潰して建て直さざるを得ず、 これがゆえに浸食の進んだ江戸末期にはほとんど農業が成り立たなかったという。
その耕地すらもなくなってしまえば、もはや離村以外に選択肢はなかったのだ。
明治になって護岸工事を陳情するも、あっさりと突っぱねられ、離村の勢いはもはやとどまることはなかった。
昭和44年、戸数はついに一桁にまで落ち込んでしまう。

その頃、東北電力鰍ナはある計画が持ち上がっていた。
当時、日本で最初の原子力発電所が完成するなど、原子力発電に対する注目が集まる中、東北電力もその立地場所を探していたのだ。
先述の通り、三方を山に囲まれ、海にも面し、住む者もほとんどいなくなった彼の地に白羽の矢が立ったのは当然であろう。
昭和44年頃から現地調査に入り、46年に候補地として正式に発表、角海浜を抱える巻町や新潟県は概ねこれを了承した。
わずかに残った住民が諸手を上げてこれを歓迎したとは到底思えないが、昭和49年7月28日、最後の住人がこの地を去り、 400年近く続いた角海浜集落の歴史に幕を閉じたのであった。

さて、当初計画は順調に進むと思われたが、その後の巻町では原発推進派と慎重派が真っ二つに割れ、議会を実力で流会させるなど、 まさに百鬼夜行の様相を呈していた。
平成8年、住民投票により建設の是非を問うた結果、反対が6割の票を獲得、これを受けて当時反対派の筆頭であった巻町長は、 建設予定地にあった町有地を反対派の住民に売却するという荒業に出た。
これに激怒したのが建設推進派。売却(議会を通さず、町長の独断であった)が町長の裁量を超えるものだとして裁判に訴えたのである。
裁判は最高裁にまで持ち込まれたが、最終的に推進派の訴えは棄却され、建設上の要であった町有地は反対派住民の手に握られたことになる。

土地の確保が絶望的となった東北電力は、最高裁判断が下った平成15年12月、計画の白紙撤回を表明し、 原発の夢は海に飲み込まれた角海浜集落のごとく、泡と消えた。
計画の発表から30年以上を経て、その結果残されたのは茫漠とした廃村だけなのだ。


海に揉まれ、人に揉まれ、ついに集落にとどめを刺したはずの原発計画も完遂することなく立ち消えた角海浜。
その角海浜集落の南端には、狭き隧道が遺されている。
角海浜の歴史を記した書物には「角海浜隧道」と表現されており、これが隧道の名称と思われる。
竣工年についてははっきりしないが、いくつかの推理を働かせてこれを探ってみる。
さらに、隧道を潜り抜けた向こう側の姿をお伝えしよう。

1-1 覚めやらぬ夢の名残

角海浜隧道 消えかけた隧道と消えた計画 1 五ヶ浜集落の南端、国道が角海浜を避けて山へと向かう地点で撮影。橋の上が国道であり、立体交差で狭い道路を跨いでいる。
この狭き門が角海浜への入口だ。

五ヶ浜と角海浜を結ぶ道路は現在のところこれ一本しかないが、かつてはもっと海側に存在した道が両集落を結んだ路線であり、 今立っている道路は存在しなかった。
例によって海岸浸食により、その当時の道は今はただの砂浜になっている。
昭和初年度、徒歩道であったその道が消えかけている頃、自動車が通れるように新たに開削されたのが今いる道である。
この開削にもおそらく理由があったのではないかと考えているのだが、この点については後ほど紹介しよう。

嫌がらせのように彼の地を避けて山へ逃げていく国道の下をくぐり、集落跡へと進む。
角海浜隧道 消えかけた隧道と消えた計画 2 道は一応の二車線が続く。
2004年にもこの地を訪れているが、飛砂や周りから侵食する植物により事実上の一車線であるところが多かった。
計画倒れとなった今でも多少の手入れはしているようだが、路肩の藪の勢いは現役のそれではありえない。
角海浜隧道 消えかけた隧道と消えた計画 3 道の両脇にはこのような看板が数十メートル間隔で立てられている。
町有地が建設反対派の手に渡り、それが計画の致命傷となってしまったとはいえ、建設予定地の95%はすでに買収が完了していた。 計画が霧散した今でも、周辺の土地はほとんどが企業の私有地である。
廃村のさびしげな空気どころか、刺々しい殺伐とした雰囲気であって、居心地は極めて悪い。
しかし、道路自体に通行止め・立ち入り禁止を示すものはなく、「その道から一歩たりとも出るんじゃねーぞゴルァ」ということらしい。
どこか、夢破れた企業の悲痛な叫びにも聞こえた。
角海浜隧道 消えかけた隧道と消えた計画 4 駐車スペースのように広がった部分も、また写真のような分岐地点も、ことごとく封鎖されている。

封鎖された先は地図にもない道で、どこに通じているのかは分からない。
「この道を行けばどうなるものか。あやb(略」ということで時間さえ許せば探索してみるのだが、 いかんせん立ち入り禁止の看板が林立するこの一帯では難しいものがある。
角海浜隧道 消えかけた隧道と消えた計画 5 そうこうしている内に、そろそろ集落があった地域に入った。

現在いる道は昭和初年度に造られた道であるとお伝えしたが、集落内を通過するこのあたりの道はそれ以前から存在していた道を改築したものである。
もっとも、それは集落内における火葬場と寺を結ぶ道だったが・・・。何から何までいわくつきなのね・・・。
この道を自動車が通れるように拡幅したのが、今目の前に映る道である。もちろん、その後も拡幅工事が行われただろう。

集落内を通っていたこの道の両脇には、往時には家並みが立ち並んでいたことだろう。
"マクリダシ"に追われ、耕地を潰して家を建て直した事実から見れば、その人口密度はきわめて高かったのかもしれない。
発電所計画が持ち上がる以前に、すでにほとんどの住人がこの地を去っていたが、まだいくつかの廃屋が残っていたという。
だがしかし、その後の用地買収が進む中で、それらはあっという間に姿を消してしまった。周囲を見渡してみても、それらしい遺構は全く無い。
しいて言うならば、道の両脇に生える木々が、全くの藪というより軒先で見たことがあるような、無いような。
角海浜隧道 消えかけた隧道と消えた計画 6 直角に分かれ、山へと続く怪しい道。左に写る建物は東北電力の物で、日曜日の朝6時だというのに人が出入りしていた。
発電所関係の業務はすべて終了しているので、この施設は計画とは無関係なのかもしれない。

「怪しい道」等といったが、かつて集落が現役だった頃、この道こそが集落の目抜き通りであった。
南北の集落との道はもちろんあったのだが、汽車に乗ったり、学校へ行くのにも、この道を1時間ほども歩いて山を越えていった。
詳細は割愛するが、"越後の毒消し"という全国をまたにかけた薬売りのルーツが、ここ角海浜である。
彼女ら(売り子は皆女性であった)は行商の大荷物を抱えてこの道から山を越え、巻や三条で汽車に乗り、全国を売り歩いたという。

車止めに設置された看板には「危険のため自動車通行ご遠慮ください」だったと思うが、そんな感じの文言が掲げられていた。
自動車じゃなきゃいいの?ご遠慮くださいってことは、「禁止はしないけど来ないでね」ってことかね?
ちょっとそそられるものがあったが、とりあえずは隧道を目指すことにしよう。

1-2 角海浜隧道

角海浜隧道 消えかけた隧道と消えた計画 7 ようやく「この先通行止め」等といった車止めが現れながらも、集落から緩やかに登っていくと、いよいよ隧道が姿を現した。

むき出しの岩峰にうがたれた隧道。
この地から、めぐり行く角海浜の歴史を眺めていたのか。
角海浜隧道 消えかけた隧道と消えた計画 8 隧道前から振り返って撮影。集落跡を一望できる。

緑に覆われた場所に、かつて千人を超す人々が暮らした一大集落が栄えていたことなど、誰が想像しえようか。
まして、今はただの砂浜であり海である部分も、かつては陸地であって人々が生活していたのだというから、時の流れの無常なことよ。

そして、この一帯に原子力発電所が建つはずであったのだ。
かなうことのなかった企業の夢、写真の中に巨大施設が立ち並ぶ姿を想像してみてほしい。
角海浜隧道 消えかけた隧道と消えた計画 9 午前6時30分、隧道に到達。
上部には扁額がついていたような形跡があるが、すでに失われている。
まともに潮風の当たるこの地ならでは、ということもないだろうが、数十センチの厚さで巻かれたコンクリートも若干の劣化が見て取れる。

それはともかく・・・


なにこの傍若無人ぶりは

隧道をふさいでいたはずの太さ数センチはあろうかという鉄柵は見るも無残に破壊されている。
とても人の手では曲げることなど不可能に見え、重機を使うか、よほど大掛かりな道具でもないと、ここまでグシャグシャにするのは無理だろう。
破壊行為は一年ほど前に来たときも見られたが、修理されるどころかさらに進んだようだ。
ご丁寧にも柵の前後には梯子がかけられ、「鉄柵が修復され、隧道内部への侵入が難しかったら、 どうやって向こうへ行こうか?」などと思案していた私にとってはありがたいといえばありがたいのだが・・・これは流石に閉口してしまう。
角海浜隧道 消えかけた隧道と消えた計画 10 で、これは一帯どういう了見かというと・・・多分犯人は釣り人なんじゃないかなと思う。
写真は帰り際、午前8時頃の角海浜集落内だが、このように怒涛の車列である。集落が現役であったときよりも多いだろ、この数。
そして、この車の持ち主と思われる釣り人たちが、海に向かって釣り糸をたれている。隧道の前後区間、探索中にもざっと30人は目にしたと思う。
どうやらこの周辺は新潟市からのアクセスも容易な、海釣りスポットになっているらしい。
角海浜隧道 消えかけた隧道と消えた計画 11 行政も破壊行為を見るに見かねたのか、隧道脇には一年前にはなかった看板が掲げられていた。

「河川管理上及び危険箇所の措置からこのトンネルから先への通行を禁止します。」

はて、危険箇所の措置はともかく、前者の"河川管理上"とはなんぞや?

実は、この"河川管理上"という文言こそが、この隧道が誕生した所以ではないかと考えている。
角海浜隧道 消えかけた隧道と消えた計画 12 広大な越後平野は山から流れてきた土砂によって形成されたが、その大半は粒子の細かな砂であった。
砂は川の流れに乗って山から降りてくる一方、打ち寄せる波と海からの風により、海岸付近に堆積してしまう。
形成された砂丘により水は海への出口を失い、雨のたびに水害を引き起こしたため、越後の人々は遥か昔から治水事業に打ち込んできた。

江戸の時代から人工の川や堀を掘ったりしていたが、さらなる改善策として、水を通せんぼしている弥彦山の足元に水路隧道を穿ち、 平野の水を直接海に流そうという計画が、大正から昭和にかけて上がった。
隧道の延長は3000メートルにも及ぼうかという大工事であったが、昭和14年、はれて隧道が開通し、平野側の集落名を取って樋曾山隧道と命名された。
その樋曾山隧道が、この角海浜隧道を抜けた先にある。

ところで、北の五ヶ浜集落から角海浜集落を通り、集落南端の角海浜隧道に至る道は昭和初年度に開削されたことは先にも述べたところである。
それ以前、角海浜からさらに南の間瀬集落に至るには、磯伝いの徒歩道があったため、当時の生活レベルでは必ずしも隧道が必要であったとは考えにくい。
したがって、昭和初期の自動車道路の開削と同時に、その延長線上に角海浜隧道が建設されたことが想像される。
そして、その建設理由こそが、当時工事が進められていたであろう水路隧道へのアクセスのためではなかろうか?
すなわち、現在残る角海浜隧道の正体は、昭和初期(元年?)竣工で、樋曾山隧道の工事用道路だったのではないか、 というのが私の見解である。
樋曾山隧道より南は切り立った崖が続く難所であり、車道が建設された歴史はない。また、磯伝いの道も荒天時は徒歩ですら進めなかった。
そこに車で行こうとするならば、ここに隧道を穿つ以外に手段がなかったわけである。

その後も樋曾山隧道に平行するように、新樋曽山隧道、新々樋曽山隧道が穿たれた("曾"が"曽"になったが)。
"河川管理上"というのは、これらの管理のため、ということだろう。
角海浜隧道 消えかけた隧道と消えた計画 13 隧道正面から撮影。
梯子(と破壊)のおかげで、徒歩の往来であれば全く問題がない。

だがもちろん、私はでかい相棒を抱えている・・・これが邪魔なんだよ・・・
一年前に訪れたときは梯子もなく、ある程度破壊が進んでいたとはいえ、自転車で越えるのは無理かろうとあきらめたのだった。
だが、今の私ならば越えられそうな気がした。

行くべ相棒。一度は俺達を敗退せしめた隧道の裏側を、一緒に見に行くべ。
[ 05' 7/17 訪問 ] [ 05' 12/2 作成 ]
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