松代町の雪中隧道 0

概要

松代町の雪中隧道の地図
雪中隧道は松代町(平成の大合併により現在は十日町市)犬伏地内にある隧道である。
豪雪地帯である新潟県山間部には同名の隧道がほかにもあり、その名が示す通り、いずれも冬季における雪崩等の危険を避けるために造られたものだ。
犬伏の雪中隧道もそのひとつである。
隧道は蛇行する渋海川をショートカットするように造られているが、本来の道はその川筋に沿うように、岸辺に張り付いて進んでいた。
その岸辺の道とは、かつての国道253号である。

国道253号は江戸時代よりの街道、松之山街道を基として明治19年、県道大島線として指定された道に由来する(儀明峠も参照)。
当路線は大正9年には「十日町直江津港線」と改称され、さらに昭和30年、「直江津十日町線」として主要地方道に指定された。
その一方で、山がちで豪雪地帯でもある当地の冬には、主要地方道といえども除雪もされず、雪の降るままに任されていた。
そのため、往来は自然に徒歩に限定されていたわけだが、山がちな当地は常に雪崩の危険が付きまとい、 とりわけ隧道が存在する田沢集落〜犬伏集落間は聳え立つ断崖の足元を進む道で、頻繁に雪崩が起きる危険箇所であった。
実際に雪崩に巻き込まれて命を落とした道路修理工夫もいるし、さらにその雪崩は不幸な被災者ごと渋海川の急流に落ち込むために、遭難者の捜索すら困難を極めたという。

このような冬季の難所を避けるべくして誕生したのが本項の雪中隧道である。
上記のような歴史から実は意外にその竣工年は新しく、昭和32年工事開始、同35年竣工である。
幅員1.8メートル、高さ2.2メートルで、自動車が通れるようなものではなかった。
なお、そもそもの原因となった県道は隧道竣工直後の昭和40年には国道に昇格しているが、問題の危険地帯が冬季に自動車も通せるように改修されるのは昭和50年代になってからで、 それまで本隧道は冬季間限定とはいえ、郵便物や生活物資の輸送に欠かせないものであった。

昭和54年頃、国道に昇格した県道が改良を受け、自動車による冬季交通を許すようになると、役目を終えた雪中隧道は静かに眠りにつく。
実はそれまでの間、本隧道には「モノを通す」以外に、もうひとつの役目があった。
それについてはレポートの中でご紹介するとしよう。

0-1 山の楽しさと苦しさ

松代町の雪中隧道 1 この日の起点は十日町駅。
JR飯山線と第3セクターの鉄道ほくほく線が交差する要衝で、ことに激しくローカルな飯山線の新潟県内では中心となる駅である。
ほくほく線を走る特急は金沢や富山と越後湯沢駅を結ぶ役目を持ち、越後湯沢から上越新幹線に乗り換えるのが、 現在のところ北陸地方と東京地方を結ぶ最短路線となっている。
そのため、山間にありながらいくつもの長大トンネルによってほとんど直線で走り、そのスピードは狭軌鉄道としては日本でもっとも速い。
今のところは上述の理由から第3セクターの鉄道としては稀ともいえるほどの高収益を上げている。

しかし、2014年に開通予定の北陸新幹線が営業を開始すると、その収入は激減することが予想されている (収入の9割は上記特急の利用によって占められており、普通列車の収益は1割にも満たない)。
今のところ、その健全な営業状態などで県から表彰されたりなんかもしているが、ちょっと危機感が薄いように思えてならない。
「北陸新幹線の開業までに貯金しておく」というのが今のスタンスらしいが、やがてはジリ貧になっていくのは目に見えているはずだ。

20年後か、30年後か・・・果たしてほくほく線は生きているだろうか?
松代町の雪中隧道 2 ま、とにかくこの日は十日町まで3時間もかけて輪行し、国道253号に乗って現地を目指した。
十日町市は信濃川河岸にひらけた町で、隧道はそこからえっちらおっちら山を登った先だ。
静かな山村をイメージしがちだが、国道の交通量は結構多い。
松代町の雪中隧道 3 「山道+交通量=道路改良 ∴旧道の誕生」
これは「改訂 廃道教本」32ページより引用した、廃道界でこれを知らない人間はモグリといわれるほど有名な公式だ(ウソです)。
知らなかった人は「山道−交通量=廃道」という式もあわせて覚えておこう。

以前お伝えした儀明峠トンネルも含め、国道253号の特に雪崩が起きやすいような箇所はことごとくトンネルとなり、 それらの脇にはかつての道が多く残されている。
ただ、そのほとんどは今でも何らかの形で利用され、味も素っ気もない道。
松代町の雪中隧道 4 ということもない。

これは某トンネルの旧道に突入し、藪の壁に弾き返されて撮影したものだ。
この先も少し進んだが、天敵に襲われかけたので逃げ帰ってきた。
ブンブンいわなくなった頃にまた行こうと思います。

0-2 出合い、いろいろと

松代町の雪中隧道 5 十日町市街から国道で約11km、隧道の存在する犬伏の集落についた。

現在地はページ上の地図でいう所の現国道と旧国道の別れる場所。
そこに架かる橋は昭和50年竣工の出合橋という。
ちょうどここは渋海川と別の川が「出合う」場所であるから、こういう名前がつけられたのだろう。
橋の向こうに見えるトンネルは集落の名前を取って犬伏トンネル。竣工は昭和54年だ。
出合いのつり橋 意外なことに、この出合橋には旧橋が存在した。
写真の橋は「出合いのつり橋」といい、現在の出合橋のところに架かっていた橋である(「松代町の20世紀 100年写真集」(2003)、185ページより引用)。
つり橋時代の旧橋を写真で見られる貴重な資料だ。
松代町の雪中隧道 6 上の写真を見ていただければ分かる通り、旧出合橋、すなわち出合いのつり橋は車を通せるものではない。
昭和50年に現在の出合橋に架け替えられるまでの国道は橋を渡ることなく、渋海川の左岸に張り付いて進んでいた。
その道は今でも橋の袂から分かれる道としてこのように存在する。

雪中隧道にたどり着くには、別に旧道を行かなくても、現道を行ったほうが圧倒的に早いし距離も短いんだが・・・
松代町の雪中隧道 7 その迷いの結論が出ないまま、気がつくとすでに私は旧道に入っていた。無論自転車ごとだ。

現道との分岐点あたりはまだ藪もない、ある意味面白みのない道であったが、すぐに楽しくなってきた・・・と思いたい。
路盤のほぼ全面を藪が覆いつくし、国道だった面影はすっかり消えている。
松代町の雪中隧道 8 足元は確かに舗装されており、道の中央においてはまだ藪の浅い箇所もあって、見た目ほど自転車で進むのは苦ではないのが救いだ。
押して、だけど。
松代町の雪中隧道 9 こんななりをしていても、元は国道253号、その前は主要地方道として直江津十日町線、さらに遡れば偉大なる明治県道大島線であった。
犬伏からこの先の田沢まで続くこの道は、当時のルートとまったく変わっていない。
もっとも、裏を返せば、「車を通すにはここ以外になかった」ともいえる。
松代町の雪中隧道 10 明治県道大島線をさらにさらに遡ると、江戸時代の街道、松之山街道に由来する。
ただし、街道はこんな川べりではなく、もう少し上方、写真では電柱が立っているあたり(現在のその場所は犬伏集落から田沢方面に向かうメインの道路となっている)にあった。

ちなみに、雪中隧道が貫通する山にはかつて上杉謙信の支城(犬伏城)が存在し、犬伏集落はその居館の跡地にできた集落だ。
三方を囲む川と背後の山に守られたその場所は天然の要塞として重要な地位を占めていた。
後には松之山街道の宿駅となり、現在でも国道253号と国道403号が交わる要衝といえる。
松代町の雪中隧道 11 ま、そんな歴史をつらつらと考えてたって目の前の藪が消えるわけじゃないんですがね。

現道からの距離と草の丈がまるで比例するかのごとく、進めば進むほど藪がひどくなってきた。
それでもなんとか藪の凹凸から路盤が判明できるのは、救いなのか引き返させない罠なのか。
ガサガサと植物を掻き分け、ブンブンと木の枝を目の前で振り回し(蜘蛛の巣対策)ながら進む。
松代町の雪中隧道 12 緩やかに弧を描く渋海川の頂点付近で、やっと一息。

ようやく見えた路肩は近代的な造りをしており、旧道落ちしてからも一定の整備を受けたらしい。
おそらくは整備は一度きりで、それが完了した時点からNon-stopの荒廃が進んだものと思われる。
ところどころに見えた舗装もあまり使い込まれた様子がなく、藪や泥に覆われているとはいっても、廃道にふさわしくない新しそうなものだった。
松代町の雪中隧道 13 泥と蜘蛛の巣と植物の種子をお土産に、突入からちょうど30分で約700メートルの廃道区間を脱出。
全体にわたって幅は1.5車線くらいで、ほとんど崩れているような場所はなく、藪を刈れば自動車でも通れるだろう。
藪に関しても、左右から伸びる植物が鬱陶しいというだけで、自転車の往来すらも難儀させるほどでもなかった。

時間の割に写真があまりないのは、ひたすらに藪ばかりで特に旧国道、旧県道らしい遺構が見当たらなかったため。
こんなのはあったけど・・・水路隧道?
松代町の雪中隧道 14 上の写真で左右に走っている道は先ほど旧道上から見上げた、犬伏から田沢方面へと向かう現役の道だ。
その道自体の歴史は古く、大正時代の地図にはすでに存在している。
昭和中期には、犬伏からはその道を降り、件の雪中隧道に入っていったはずだ。

向こうに見える赤い橋は出合橋と犬伏トンネルを抜けてきた現道。
雪中隧道はそれよりも手前、この写真の右手の山に穿たれているはず。
松代町の雪中隧道 15 ・・・観光地?
数々の廃隧道が存在すら忘れられ、あるいは存在を語ること自体がまるで腫れ物を触るかのように忌み嫌われ、ひっそりと消え行く中で、 雪中隧道は案内看板まで設置されていた。
看板の後ろの藪に隠れるようにぽっかりと開いた真っ黒い穴、観光地にするにはあまりにもアツすぎるだろ・・・
[ 07' 10/13 訪問 ] [ 07' 10/31 作成 ]
これより前の記事はありません次の記事へ
ひろみず http://d-road.sytes.net/ webmaster@d-road.sytes.net
松代町の雪中隧道012