松代町の雪中隧道 1

概要

松代町の雪中隧道の地図
廃隧道に似つかわしくない、「ここに廃隧道あります!!」といわんばかりの案内看板。
興ざめって事はないが、緊張感は50%カットだ。

1-1 日本的曖昧さを利用する

松代町の雪中隧道 16 遊歩道として開放・・・ってこたーないですね、どうみても。
もしも子供連れがこの中に入っていくようなことがあれば、彼らに足があるかどうかを見るべきだと思う。
松代町の雪中隧道 17 坑口は旧国道の路盤から2メートルほど高い位置にある。
この時点で夏場の交通を考えていないのは明白であり、事実隧道自体は県道や国道であった時代はない。
このように高い位置に坑口があるのは、夏場ではなく冬場、すなわち積雪があっても坑口が雪に埋まることのないようにするためであろう。

なお、他県で新潟の話になると、必ず「新潟の家は積雪に備えて2階に玄関がある」なんて言われるわけだが、今のところ私はそのような家は見たことがない。
家ではなく、冬季限定という特殊な隧道である雪中隧道では、そんな冗談もあながち間違っていない。
松代町の雪中隧道 18 中は完全に一直線で、出口の光も鮮明に見える。

紛う事なき廃隧道たる雪中隧道であるが、おかしなことに立ち入り禁止などといった注意書きが一切ない。
松代町の雪中隧道 19 それどころか、「炭坑跡」と書かれた看板が隧道内にカモンしちゃっている。
・・・ハイッテイインデスカ?
松代町の雪中隧道 20 立ち入り禁止の表示があるのならコソコソ入るが、ないのなら堂々と入らせてもらおうじゃないか。
国道の交通量は少なくないが、坑口は現国道からは死角である。
人間活動の産物であるやかましい車の音から逃げるように、死を象徴しかねない暗闇と静寂と冷気が満ちた隧道に入ることにする。

坑口の手前の地面には、何かを突き刺したような跡があった。
位置的に、立ち入り禁止を示すような看板ではなかったのだろうかと想像されるが、とにかく今はそれを明示するものはないのだから。
松代町の雪中隧道 21 振り返って撮影。
入り口付近には梯子や箒などの雑多なものが置かれていた。
置かれているものは時によって違うようで、物置くらいの用途はあるらしい。
松代町の雪中隧道 22 さて、気になるのがこの「炭坑跡」の看板。
「炭鉱」ではなく「炭」であるからして・・・
・・・あなぼこ?
隧道の先にでも、坑道があるのだろうか?
松代町の雪中隧道 23 旧松代町では、かつて石炭や石油も採掘されていた。
この先の田沢集落では松代炭鉱とよばれた炭鉱が明治から大正にかけて採掘されていたが、出荷先の地元工場が閉鎖されたことや、炭質があまり良くなかったこともあって閉鎖される。
その後、昭和12年頃から「犬伏新城炭鉱」という炭鉱がこの付近で操業され、昭和27年には年間8900トンを産出し、十日町市の工場や鉄道会社に売っていたらしい。
犬伏炭鉱の炭質もやはりあまり良くはないものであったそうだが、学校や一般家庭でも使われ、地元の犬伏集落は炭鉱関係者で賑わったそうである。

しかし、折からのエネルギー革命に伴い、石炭の需要は低迷し、昭和40年頃に閉鎖された。
時間および空間的に見て、看板の指す「炭坑跡」とは犬伏新城炭鉱を指すのだろう。
松代町の雪中隧道 24 隧道は数百メートルはありそうで、いくら向こう側の明かりが見えているとはいっても、明かり無しで進めるほど甘くはない。
昭和30年代の隧道完成当時には、この暗闇を照らすべく、出入り口に提灯やマッチ、ろうそくなどが備え付けられ、通行人はこれらを利用して進んだという。
ちょっと分かりにくいが、入り口から入ってすぐのところに壁をくりぬいた30cm四方くらいのくぼみがあった。
往時にはここにろうそくなどが置かれていたのかもしれない。
松代町の雪中隧道 25 住人がいました。
お邪魔しますよ。

1-2 雪中隧道

松代町の雪中隧道 26 内部は特徴的な構造をしている。
まず足元に注目すると、出口に向かって左側は分厚いコンクリートで舗装されている一方、右側は湿った泥だ。
足が沈むほど濡れてはいないものの、泥は歩きにくく、かといって舗装部分も土砂に覆われている箇所が多々あり、やはり歩きにくい。
おまけにその舗装を歩くのをさらに困難にするのが、垂れ下がる電線だ。
錆びきったそれは力なくぶら下がり、進入者を導くように奥へと続いていた。
松代町の雪中隧道 27 水気を含んだ泥は時に水没することもあるらく、隧道の壁には水面の跡がくっきりと刻まれている。
単なる舗装にしてはやけに分厚いコンクリートは、水没を防ぐための工夫なのだろうか?
松代町の雪中隧道 28 入り口付近ではコンクリートに覆われていたが、すぐに素掘りとなり、かと思えばまたコンクリートで覆われていたりする。
どちらも状態は良く、向こう側の光が見えていること、さらに入り口にあった内部へ誘うような矢印で、緊張感は信じられないほどに無い。
これほど落ち着いた廃隧道探索も珍しい。なまじさっきまでの旧国道のほうが、蜂の脅威に緊張していたような。
松代町の雪中隧道 29 もちろん、恐怖のない探索が興味のない探索というわけではない。
この雪中隧道は国道や県道としての歴史こそないが、現役当時の遺物が結構残っている。
ひたすら隧道の左側を進み続ける電線から分岐した先に、錆び錆びの傘とともに電球が残されていた。
前述の通り、雪中隧道の竣工当初は明かりがなかったが、数年後に電灯が設置されたという。
松代町の雪中隧道 30 併走する電線にはそこかしこにいろいろなものが取り付けられていた。
これは隧道を三分の一ほど進んだところにあったもので、電電公社のマークに「接続点」と書かれてある。
雪中隧道は冬期の人を通すだけではなく、ライフラインも通していたようだ。
松代町の雪中隧道 31 幻想的・・・といってよいのかどうか悩む。
手持ちのライトとヘッドランプに照らされた光景はおどろおどろしくもあり、また一方で夜の闇と静寂の居心地の良さを感じさせた。
昭和中期の劣化したコンクリートが時代を感じさせ、周辺の遺構と共に不思議なノスタルジーを醸し出す。

表に看板があったことからも、雪中隧道は比較的名所扱いされているようだが、内部公開までを見越したものではないだろう。
奥には時代を感じさせる遺構が見られるとはいえ、無灯で狭くて足場が悪く、 カエルやらコウモリやらといった黒魔術的な方々がお迎えしてくれる隧道に狂喜するのはかなり限られた人間だろうから・・・
時折頭を濡らす漏水のほかは、私の前進を止めるものは何もない。
その歩みの先に、何を見るのか・・・?
「炭坑跡」が意味するものとは・・?
[ 07' 10/13 訪問 ] [ 07' 11/11 作成 ]
前の記事へ次の記事へ
ひろみず http://d-road.sytes.net/ webmaster@d-road.sytes.net
松代町の雪中隧道012