松代町の雪中隧道 2

概要

松代町の雪中隧道の地図
冬季の交通を許すために造られた雪中隧道。
十日町から物資を運ぶためのその道は、松代町にとって生命線ともいえた存在だ。
すっかり忘れられたそれを通ることで、かつての姿が少しでも甦るだろうか・・・
松代町の雪中隧道 32 それほどメジャーな隧道ではないが、案内看板があるあたり、興味を持った人間が入ってくることもあるのかもしれない。
・・・ただ、最低限明かりはないと進めないし、そばを走る電線にはいろいろなものがぶら下がってるので、ヘルメットくらいは欲しいところだ。

スポットライト状に照らされた、電電公社の正体不明な文字盤。
数字やカタカナで「タイ」と書かれていた。
廃隧道内ではあまり物に触れたくないので、じろじろと眺める程度に留める。
松代町の雪中隧道 33 半分を過ぎたあたりから、いろいろなものが転がるようになってきた。
特に多く見られたのが、発泡スチロールの板だ。
これは現役時代のものとは思えないが・・・なんでこんなところにあるんだ?
松代町の雪中隧道 34 また少し進むと、ようやく廃隧道らしいものが転がり始める。
おなじみ、側壁の崩落である。
といっても規模は小さく、単なる障害物でしかなかった。
ここまで、真上から落ちてきたような落石はあまりなく、そういった意味でも恐怖感は薄い。
松代町の雪中隧道 35 比較的歩きやすかったコンクリートの上も、崩落やら外れた電線やらが通せんぼ。
たるんだ電線が強制的に泥の足場へと向かわせた。
電線と一緒に電球がぶらぶらと揺れており、やっぱり触りたくはない。

・・・なんていっていても、暗い上に足場の悪い隧道内ではそこまで気が回らず、何回か頭をぶつけたりしたが・・・
松代町の雪中隧道 36 さびまくった缶ジュースの空き缶のそばには、子供のものらしい小さな足跡があった。
注目したいのは、この辺の足元は泥ではなく、ましてや今足跡をつけられるほど柔らかくはないことだ。
隧道現役、というか、工事中につけられたものなのか・・・?子供が・・・?
松代町の雪中隧道 37 崩落の規模は進むにつれて少しずつ大きくなっているような気がしないでもない。
それでも、致命的というほどのものはない。

平成16年の中越地震においては、松代町では震度5強を観測している。
実を言うと、中越地震の起こったその時、私は家にてある場所の探索の準備をしている真っ最中であった。
その場所というのが、この松代の雪中隧道なのである。
もちろん、当初の探索予定日であった地震翌日にはそれどころではなくなったわけで、あるいは地震発生が半日ずれていたら、私はこの辺の山中に埋まっていたかもしれない。
雪中隧道もどうせ崩落して、探索することもあるまいと思っていたのだが、意外にもほとんど無傷に近い形で残っていたのは驚きだ。
松代町の雪中隧道 38 そばには木枠に嵌った看板らしきものがあった。
残念ながら、文字の痕跡はどこにもなく、何が書いてあったのかは不明だ。

2-1 呼び声

200メートルほどの雪中隧道探索も終わりに近づき、出口の10メートルほど手前までやってきた。
出口は緑に覆われており、脱出した先が只事ではないであろうことは予想された。
入り口の看板にあった、気になる「炭坑跡」もまだ解明できていない。
隧道の先にあるとするならば、これは秋の廃道で藪漕ぎなのか・・・?
松代町の雪中隧道 39
中でした。
松代町の雪中隧道 40 洞内分岐
de


坑道分岐!!


これは驚きましたよ・・・「やー、やっと光の下に出られるなー」なんてニコニコしてたら、もっと深い闇がこっちを見てるんですもの。
一瞬にしてその笑顔が引きつったものに変わったに違いない。
松代町の雪中隧道 41 これがどうやら入り口の看板で示された「炭坑跡」だろう。まさか隧道の中から分岐しているとは思いもよらなかったが・・・
坑木によって支えられた先は完全に闇で、当然だが全く光はない。手持ちの明かりが届く範囲では、少し左に曲がっているらしい。
また、この付近はコンクリートの足場以外は全体に水没しており、20〜30cmほどの水深で奥まで続いている。
坑道なんて入る気はしないが、入るにしても相応の装備が必要となりそうだ。
「坑道だけは手をつけちゃなんねえ」
まず延長距離が違う。
一般的な隧道の、100とか200mとかじゃない。桁が違う。3000とか5000とか、下手すりゃ10000とか、ありえない。
で、分岐しまくり。
平面分岐どころか、多層構造で立体的な分岐。死ぬ。
炭坑なら、メタンガスとか出てる。当然死ぬ。

てなわけで、暗闇の奥から聞こえるドス黒い呼び声には必死で耳を覆い、出口へと足を向けることにする。

2-2 時の流れが行く手を阻む

松代町の雪中隧道 42 出口には気になる物体があった。
高さ30cmくらいの金属製のそれからは、絶え間なくちょろちょろと水が噴き出している。
現役のものなのか?それとも偶然湧き水がここからあふれているのか?
よくわからないが、人工的な動力で動かしているようなものではなさそうだ。
松代町の雪中隧道 43 ようやく光の下に出るも、そこは緑の藪の中だった。
現在の国道はここよりずっと左のほうを直線的に進んでいるのに対し、旧国道は川にへばりついて進んでいた。
・・・要は、目の前にあるのが旧国道の路盤というわけだ。

が、旧道は完璧なまでに藪に覆われ、先ほど雪中隧道手前で味わった藪よりも尚苛烈なものだった。
それどころか、そもそもここから旧道の路盤に到達することすら難しくなっている。
目の前の藪があまりにも濃すぎ、地面が見えないのだ。
入り口がそうであったように、旧国道の路盤とは2メートルほどの高低差があるようだが、その差を埋める取り付け道というのがすでに所在不明。
進むべきは、前に広がる光の世界か、はたまた後ろから迫り来る闇の廃隧道か・・・迷う余地のないはずの選択肢が・・・

・・・撤収〜
松代町の雪中隧道 44 出口から振り返って撮影。
これ以上引くと転落するので、坑口全体を捉えることはできなかった。
松代町の雪中隧道 45 脱出の目論見は脆くも崩れ去り、再び雪中隧道内にもぐりこんだ。
相変わらずほとんど緊張感のないままに脱出して、国道に戻る(■現在地)。

目の前の橋は田沢大橋といい、昭和49年竣工である。
奥のトンネルは田沢トンネルというが、こちらは銘版がなく竣工年ははっきりしない(49年以降なのは確実)。
これらの構造物によって渋海川に沿っていた旧国道は必要なくなり、同時に冬期の交通も確保された。
すなわち、雪中隧道の終焉を意味するのだ。
松代町の雪中隧道 46 旧道は橋を渡ることなく、川沿いに進む。
この先に出られなかった雪中隧道出口があるはずなのだが・・・一面の激藪・・・
松代町の雪中隧道 47 途中までは頭上の送電線に続く作業道として生きているが、そこより先は完全に死んでいた。
この辺で何枚か写真を撮ったのだが、全部藪しか写っておらず、道の先を撮ったのか、後ろを撮ったのか、はたまた全然違う山のほうを撮ったのかすらもわかりません・・・
たぶんこれは前方の道のような気がするが、ま、要は全部似たようなもんということだ。
自転車は作業道との分岐地点に放棄してきた。
松代町の雪中隧道 48 隧道の出口から見えた景色から判断するに、この写真のどこかに坑口があると思われる。
・・・どこにあるんだよ、そんなもん。

自動車も通ったはずの旧道の路盤はすっかり藪に埋め尽くされ、ましてや徒歩道であった隧道への取り付け道路など、痕跡すら残さずに消えている。
坑口の姿自体、藪の壁に阻まれて全く見えない。
松代町の雪中隧道 49 旧道はこの先の田沢まで続いていたわけだが、坑口疑定地から先はひどい藪がさらに輪をかけてひどくなる。
仕舞いには3メートルを越す密集した藪に立ちはだかれ、前に進むことすらできなくなってしまった。
まあ、隧道前の旧道の様子からしても、この先に何らかの遺構があるとも思えない。
隧道探索という本懐は遂げたわけだし、今日はここまでにしておこう。
松代町の雪中隧道 最後に、史料にあった雪中隧道現役時代の写真を転載したい。
バスが通っていることから、旧道が現役だった頃、昭和40年代初頭のものと思われる。
ちょうどバスがいる場所の40数年後の姿が、上の写真だ。
時の流れとは凄まじいものである。

(「道程 〜松代町制施行50周年記念写真集」(2005)、8ページより引用)
思わぬ「ウェルカム」から始まってしまった雪中隧道。
鼻歌交じりの探索の最後に、トンでもないものを用意していてくれた。
それどころか、"それ"はこの次の探索の布石となったのである。
なぜなら、私は松代町史に見てしまったから。
「第二雪中隧道」の存在を・・・


続・松代町の雪中隧道 to the deeperに続く。
[ 07' 10/13 訪問 ] [ 07' 11/23 作成 ]
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