新潟県道346号 親柄大白川停車場線 稲葉隧道 1

概要

新潟県道346号 親柄大白川停車場線 稲葉隧道の地図 平成14年1月25日、それは午後八時前であったという。
おそらくは静寂に包まれていたであろう山間の北魚沼郡守門村(現魚沼市)東野名(ひがしのみょう)集落に、突如として、何の前触れもなく、雪崩のような轟音が響いた。
それは東野名集落の村人が、設計はおろか測量すらもなしにノミとダイナマイトと勘だけで掘りぬいた稲葉隧道の、最後の断末魔であった。


稲葉隧道は北魚守門村、現在の魚沼市に流れる破間川(あぶるまがわ)が大きく南へと方向転換する、そのカーブの頂点にあった。
そこには地元の人に薬師山と呼ばれる小さいながらも険しい山が屹立しており、北にある東野名集落を陸の孤島にせしめていた。
隧道がなかった時代、東野名集落の人々はその山を40分もかけて上り下りするか、あるいは山の足元、破間川と薬師山の境に刻まれた、 幅1.5メートルほどの川べりの道を歩くかしかなかったのである。
川べりの道はせり上がる断崖の裾にかろうじて刻まれた道で、ひとたび増水すれば簡単に水没、流出し、また冬場は常時雪崩が発生するような所であり、往来は困難を極めた。

そんな道なものだから、大正時代には集落の馬が川に転落して流されるという事故も発生し、これを契機として隧道開削の陳情が県になされるようになったものの、 日本全土に吹き荒びつつあった軍国主義という暴風の前に、山間の隧道の話などはあっというまに掻き消されてしまう。

しかし、東野名の人々は強かった。
敗戦からわずか2ヵ月後の昭和20年10月、世の中の混乱が収まるどころか今始まろうとしているさなか、県からの補助金を受けて隧道の工事が着工されたのである。
一応隧道掘りの経験者に仕事を請け負ってもらうことにしたものの、実際に岩山に立ち向かったのは東野名の人々である。
彼らは測量もなく、設計図もなく、いきなり鑿と鎚とダイナマイトで掘り始めたというから恐ろしい限りである。
それも、ただ一直線に掘り進めるのならいざ知らず、地図を見ていただければ分かるとおり、破間川のカーブに沿った曲線の隧道を掘る必要があるのにもかかわらず、だ。
現代の工事でも複雑怪奇な計算と大変な難工事が予想されるこんな隧道を、彼らは勘と途中に開けた明り取りの窓(外までの距離を一定に保ち、崖に沿った隧道を掘削する)を頼りに掘り進んだという。

それでも大した事故もなく隧道の半ばまで進んだところで、突如として工事は滞る。
県からの補助金を受け取ったはずの工事請負人が、理由不明のまま村を出て行ってしまったのだ。
村人は困惑したが、「自らのムラのため」と団結して立ち上がり、集落で資金や道具をかき集め、残りの区間を自力で開削しようと決意したのである。
このとき、全44戸のうち、反対するものは一人もいなかったといわれる。

そうして着工から1年2ヵ月後の昭和21年12月、ついに隧道は貫通する。
ただ、要領の分かってきた頃から反対側からも掘り進めていたのだが、さすがに設計図も何もない手掘り洞門、 両者の合流地点が上下に2メートルほどもずれてしまうというアクシデントもあった。
また、開通当初は荷車を引くにも幅が足りず、足元は岩盤剥き出しで、かろうじて人が通れる程度であったという。
それでも集落の人々の歓喜は想像するに余りある。
実直な彼らは派手な開通式やらも行わず、独力で行うにあたって責任者となった区長の家に濁酒と手料理を持ち込み、ささやかに、しかしながら全戸が参加して、これを祝ったという。



そんな人々の思いが詰まった隧道が、ある日、突然の死を迎えた。


(参考文献:越後洞門 手掘隧道物語;磯部定治著 1999)

1-1 無法神仏に通ず?

新潟県道346号 親柄大白川停車場線 稲葉隧道 1 魚沼市の中心部、旧小出町から国道252号に乗り、破間川沿いに上流を目指す。
国道は併走するJR只見線ともども、はるか上流は福島県まで延びていく。
只見線はかつて赤字83線にもリストアップされた歴史を持つ"ド"ローカルな路線だが、国道が県境付近で冬期通行止めとなるため、 冬場の交通はこれが唯一となる点から、今のところ廃止を免れている。

稲葉隧道に発破を仕掛けていた当時、使用するダイナマイトは小出の町から仕入れていた。
適切な保管場所がなかったため、毎日警察署に届出をして、その日使う分だけを購入していたという。
その数はおよそ20〜30本であったというが、そのダイナマイトの束をみかん箱や風呂敷に包んで只見線で運んだらしい。
今の時代にそんなことをしたら、特殊部隊が飛んできそうですな。
稲葉隧道が属していた県道は「親柄大白川停車場線」という。
いつの時点で県道に編入されたのか、明確な記載は確認できていないが、おそらくそれは昭和41年の「須原大白川停車場線」が認定されたことに始まると思われる。
須原は親柄集落と東野名集落の間にあり、起点を須原からさらに小出側に変更されて、現在の県道になったのではないだろうか。
新潟県道346号 親柄大白川停車場線 稲葉隧道 2 ストレートに県道を走ってもよかったのだが、国道252号から分かれて国道290号へ、さらにそこから県道に入った。
とにかく「ゆきばた」で走ったため、実際にはかなり遠回りをしてしまったようだ。

290号から分かれて1kmちょっと、件の稲葉隧道まであと一歩というところで封鎖が現れる。
コンクリートブロックにデリネータを埋め込み、「進入禁止」の四文字がご丁寧にも二つ並んでいる。

隧道の崩落は前記のとおり、平成14年1月25日午後8時前だったといわれる。
ただでさえ交通量の少ない山間の県道で、また夜だったこともあって、幸いにも人的被害はなかった。
しかし、歴史ある稲葉隧道もこの崩落で完全に閉塞、県は隧道の復旧を断念し、対岸に新たに橋を建設して現場を迂回することにした。
そのため、隧道は放棄、山古志は中山隧道と並ぶ手掘り隧道として誕生した稲葉隧道の使命は、約55年で幕を下ろしたのである。
新潟県道346号 親柄大白川停車場線 稲葉隧道 3 上の写真のカーブを曲がるとすぐ、稲葉隧道が現れるのだが、その前に坑口そばの得体の知れない構造物を見てみよう。

これはかつて破間川を渡っていた橋の跡と思われる。
隧道崩落から二日後の27日、人道用、続いて車道用の仮設橋が着工された。
最初はこれがその仮設橋かとも思ったが、ここから対岸に渡ったところで隧道の反対側には行けないわけで。
その仮設橋はどうも向こうに見える真新しい橋のあたりにあったらしい。

ちなみに、マピオンの地図には落とされたこの橋がいまだに記載されている。
新潟県道346号 親柄大白川停車場線 稲葉隧道 4 もうひとつ、草にまみれたコンクリートの遺構があった。
吊り橋の橋脚に見えるが、ここに吊り橋があったという話は聞かない。
昔の稲葉隧道の写真を見てみると、ここから対岸に索道らしきものが延びており、対岸にあるコンクリート工場に関連したものと思われる。
新潟県道346号 親柄大白川停車場線 稲葉隧道 5 そしてこれが稲葉隧道南側坑口だ。
竣工当初は完全な素掘りであったが、竣工から20年ほどたった昭和45年、巻き立てと拡幅工事が行われ、現在の姿になった。
ちょうど先に述べた県道指定(須原大白川停車場線)が認められた頃と重なることが、この隧道がかつてその須原大白川停車場線であったのではないかという考えの根拠だ。

崩落した隧道を放っておくわけにもいかず、当たり前だが完全に封鎖され、内部進入の道は・・・ない、のか。
現役時代には多くの道路標識が坑口を飾っていたようだが、今ではほとんど撤去されている。
新潟県道346号 親柄大白川停車場線 稲葉隧道 6 坑口に向かって右側に二体並んだ不動尊像。
かつて隧道がなかった頃は川べりの細い道を歩いていた。
切り立った崖の足元にあるそれは、肩の荷物がちょっと触れてよろめいただけでも、川に転落しかねない危険な道であった。
その通行の安全を祈り、まずは左側の不動尊像が作られ、川岸に祀られていた。

時は下って隧道開削中の昭和21年2月頃、坑内で発生したズリ(廃土)を捨てようと外に向かっていた抗夫二人が、雪崩に巻き込まれるという事故が起こった。
一人は仲間に助け出され、もう一人の穴沢松治氏は断崖の下まで雪崩もろとも押し出されてしまったが、かろうじて川に転落することなく、雪の上に顔を出すことができた。
そうして見た場所が、この不動尊が安置されていた場所であったという。
危うく川に流されかけた穴沢氏は「お不動様が助けてくれた」と日夜感謝していたが、昭和27〜28年頃、その不動尊像が増水した破間川に流されてしまった。
そこで氏は新しく不動尊像を寄進し、それが向かって右側の像である。
一度は失われた左の不動尊像も、後に川砂利を採取していた際に発見され、今もこうしてこの場にある。

思えば、現役隧道の崩落という、ことによれば二桁の死者を出してもおかしくない大事故で、たった一人の被害もなかったのはまさに奇跡ともいえる。
それもまた、このお不動様の力なのかもしれない。
新潟県道346号 親柄大白川停車場線 稲葉隧道 7 不埒な私はそんなお不動様の御心も知らず、隧道の中を覗き見。
坑口は完全に密閉されているわけではなく、10cm四方くらいの赤い金網でふさがれている。
おかげで隧道の冷気が足元にゆっくりと流れ込み、えもいわれぬ居心地の悪さを醸し出す。
「崩落閉塞」という嫌過ぎるステータスもまたそれを手伝っている。

破間川のカーブに沿って掘られた稲葉隧道は昭和中期の改修工事によって大きく姿を変えたが、ルート自体は竣工当時のそれと変わらない。
写真ではちょっと分からないかもしれないが、前方30〜40メートルくらいで思いっきり右に曲がっている。
ちょっと距離があるため、フラッシュをたこうが懐中電灯で照らそうが奥まではよく見えない。
ただ、見る限り閉塞しているような様子はない。
新潟県道346号 親柄大白川停車場線 稲葉隧道 8 なぜこんな施工にしているのか知らないが、金網には扉がつけられ(無論ガッチリ施錠)、ことによっては内部に入れるようになっている。
その足元にはわずかな隙間があるが・・・高さ15cm・・・

足元に漂う不気味な冷気の中に這い蹲ってみたが、残念ながら(?)頭すら入らない。
うぬぬ。

1-2 幕を引いたもの

新潟県道346号 親柄大白川停車場線 稲葉隧道 9 いくらやっても駄目なものは駄目。
あきらめて反対側の坑口を目指した。

県道は一度川を渡って左岸に移り、もう一度渡って右岸に戻る。
右岸に戻る橋が隧道崩落後に造られたもので、平成16年12月竣工の守門稲葉橋という。
新しい橋にしては幅員が1.5車線しかないのは、やはり急造であったからだろうか。

橋は水面からかなり高いところにあり、そこまで登る築堤には安全を祈る石碑が設置された。
新潟県道346号 親柄大白川停車場線 稲葉隧道 10 うわぁ・・・

橋の上から望むその"傷"は想像以上のものだった。
隧道天井の崩落ではなく、そのさらに上部から根こそぎ崩落している。
あの土砂の中に、手掘り隧道が沈んだのだ。
横穴1
相変わらず机上調査は現地探索後に行う人間なので、このときはそれと気づかなかったが、確かに写真をよく見てみると、川沿いに隧道竣工以前の徒歩道らしき路盤がある(詳しくは下画像)。
稲葉隧道には明り取りと隧道の位置を確かめるための横穴が転々と穿たれていたはずで、冬場になればそれも見えてくるらしいが、今ははっきりしない。
なんとなくそれらしい黒い点があるような気がするようなしないような気もする。
なお、横穴はその後隧道が巻きたてられたことにより、内部からは通じていない。
横穴2

1-3 無限に遠い坑口

新潟県道346号 親柄大白川停車場線 稲葉隧道 11 橋を渡って左に少し進むと、隧道、というかそこから延長されたスノーシェード(ロックシェードも兼ねるだろう)がある。
付近は住居が近接しており、その瞬間の音は雪崩にも似た響きであったという。

こちらも反対側と同じ封鎖の仕方で、やはり扉がついているが、開くわけがない。
足元の隙間もやはり、人が通れるものではなかった。
新潟県道346号 親柄大白川停車場線 稲葉隧道 12 すでに年月の経過を感じさせるスノーシェードの扁額には、「○葉雪覆工(○は草に隠れて読めず。まあ"稲"だろうが)」とある。
正確な竣工年は不明だが、十中八九昭和45年の隧道改修工事のものだろう。
新潟県道346号 親柄大白川停車場線 稲葉隧道 13 お地蔵様、中に入りたいんだけど、どうしたらいいかな?
新潟県道346号 親柄大白川停車場線 稲葉隧道 14
あそこが、見たいんだよ。
子供でもそう簡単には入れないほど小さな足元の隙間。
だがしかし、それに囚われてはいけない。
[ 07' 5/26 訪問 ] [ 07' 6/3 作成 ]
これより前の記事はありません次の記事へ
ひろみず http://d-road.sytes.net/ webmaster@d-road.sytes.net
新潟県道346号 親柄大白川停車場線 稲葉隧道123