新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 1

概要

新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道の地図 現役なのに一癖ある南慶寺隧道を堪能し、集落道となった旧道の続きを進む。
現道と分かれてからわずか20分程度であるが、重厚な歴史に彩られたこの地の探索はすでに一山越えたような充実感。
先が思いやられる。

1-1 のどかなムラ

新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 15 妙法寺では車もポイ捨ての時代。これは深刻だ。
おまけにちゃんと捨てるのはUFOという・・・石油が出た村はスケールがでかい。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 16 そのまま集落道となった旧道を進んでいくと、現道とクロスする。左右に横切る道が現道で、直進が旧道だ。

現道はこのままトンネルを目指し、それまでほとんど勾配もなく妙法寺川に沿って延び、登りきれなくなったところで山腹をぶち抜いて峠を越える。
一方の旧道は狭い道ながら徐々に徐々に高度を上げていき、標高171メートルの峠に向かってゆく。

横切る現道に車列はそれなりにあったが、旧道を進むものは私だけであった。
朝が早いせいか、外を出歩く地元民の姿もまばら。
それまで時折落ちていた小雨もほぼやみ、いよいよ集落から離れていく本物の旧道にテンションもいっそう高まってゆく。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 17 現道の交差点を渡ってすぐ、道の脇に幾体ものお地蔵様が鎮座していた。さすがにかつては幹線街道として多くの往来があっただけある。
特に、ひときわ大きなお地蔵様は慈愛に満ちた微笑みを湛えておられ、少なからず旧道への不安をおぼえていた私の心を癒してくれた。
周辺はきれいに手入れされ、瑞々しい生花やみかんなどが供えられているところからも、 今でもお地蔵様を愛する妙法寺の方々の気持ちが伝わってくるようで、なぜか私までもうれしくなった。

自転車を降り、かつて牛馬を伴って歩いた古来の旅人もそうしたように、私も両手をあわせて旅の無事を祈る。
こうして手を合わせる旅人を、このお地蔵様はいったい何人見てきたのだろうか。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 18 現道と分かれても、しばらくは集落が続く。
だが、その密度は確実に減っていき、大胆なワインディングを以って朝靄が包む里山に道は伸びる。
その光景に高まるのは期待ばかりではなく、少し前にこの一帯を襲った豪雨によって道の消失などということもあるのではと、不安も拭えない。

紅葉のピークは過ぎていたが、ところどころに残された鮮やかな赤や黄色の木々が私の目を楽しませてくれた。
前夜までの雨に濡れたそれはなおいっそう艶やかに見え、朝靄とともに渋い家並みが続く山里の風景によくマッチしている。
日本昔話にそのまま出てきそうな、そんな穏やかで平和な世界だ。

1-2 薄幸の道

新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 19 やがて道は二手に分かれた。
ここにも小さなお地蔵様や不動明王像と思われるような石像が並んでおり、しっかり手を合わせていく。

最初は道なりに直進したのだが、路面は砂利というよりも土に近いものがあり、またいくら時代遅れの旧道とはいえ猛烈な勾配であって、 とても県道の旧道には見えなかった。
そのため再びこの交差点にまで戻って右折し、その道が正解であったのだが、帰宅後の調査で面白いことがわかった。

どうも、このあたりが旧来の長岡街道と明治に築かれた新道との分岐地点であるようで、おそらくはこのT字路がそれにあたるようだ。
すなわち、このまま直進していけば、旧街道を進むことになり、右折がかつて妙法寺の人々が明治天皇の巡幸路を期待して築き上げた明治の道ということだ。
昔は分岐地点に道標が置かれ、旅人にそれを案内していたというが、現在ではそれは民家の庭先に移動しているらしい。
県道が現役時代には青看(白看?)ぐらいないと確実に道を間違えると思うのだが、それらしい痕跡は見当たらなかった。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 20 直進の旧街道は越の山路様に任せるとして、私は旧県道に進む。

分岐から右折すると、それは見事な里山の光景が広がる。
雲か霧かわからないが、晩秋の山里にかかるそれは峠を目指す旅人の不安を煽るものというより、旅情を掻き立てる極上のアクセサリーである。
旧県道には秋を彩ったであろう木の葉がいっぱいに落ちており、山もそろそろ冬支度を始めたようだ。
今頃は色とりどりの山の風景というより、真っ白に雪化粧をした新潟の冬の光景が広がっていることだろう。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 21 このあたりは棚田のような人工的な平地が多く見られる。
どうやら鯉かなんかを養殖しているようだが、濁った水中にその姿を見ることはできなかった。
これらの管理用として、それなりに往来はあるのだろう。道自体はしっかりしている。

現役時代の地図でも下手をすれば未通とされている区間に不安がなかったといえば嘘になるが、ガッチリ舗装された姿に拍子抜けしたのもまた事実だ。
なんかこう、スパイスが効いてないっていうかさ・・・いやいや、安全であることに越したことはないな。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 22 養鯉場を過ぎると往来は確実に減り、秋に落ちた葉や木の枝などが舗装された路上に散乱している。
しかし、廃道と呼ぶほどには荒れておらず、対向車さえなければどんな車でも通行は可能だ。

さすがに今時分に建設されるような近代的な道に比べれば、三桁県道らしいショボイ道なのは否めない。
幅員は一車線ちょっとしかないし、勾配も10%はゆうに超えているだろう。
冬季交通など絶望的である。

しかし、ここを近代的道路比較するのはそもそもお門違い。
導入の回でも述べたとおり、ここは明治のはじめ、時の明治天皇をお迎えせんがために切り開かれた道である。
宿場町とした栄えた妙法寺集落において、江戸時代の終焉に伴う宿場制度の崩壊は死活問題であった。
そこに活を見出すべく、明治天皇の北陸巡幸路に賭けた希望は如何ばかりであったか。
時代が江戸から明治へと変わり、交通の流れも変わってゆく焦燥感と、明治天皇をお迎え出来るかすかな希望に燃え、 重機も何もないその時代に大いなる努力を以ってやっと築いた車路。
その瞬間、集落の誰もが江戸期に賑わった長岡街道の再興を確信したことだろう。

だがそんな努力もむなしく、南方に築かれた曽地峠に巡幸路が決定したのである。
そのときの沿線住人の絶望振りたるや想像するに余りある。
さらに県道の指定まで持っていかれ、昭和も後半に差し掛かるまで、ここはほとんど忘れられてしまった道なのだ。
ショボイ道などとは口が裂けてもいえない。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 23 地図からはなかなか想像できなかったのだが、山腹に忠実に沿って進む道は細かいカーブがくねくねと続く。
旧道のそこかしこに残されたデリネータにはしっかりと「新潟県」と書かれ、ここがれっきとした県道であったことを明確に主張している。
とはいえ、現役当時から地図から無視されてしまうような道で、いったいどれだけの車両がここを通ったものか・・・
今のところ、道自体は車両が通れないということはなく、地図が無視してしまうような極悪路では決してない。何で無視したん?

1-3 草生水献上場

新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 24 さて、上の写真の中ほどまで進むと、なにやら駐車場のようなスペースがあった。駐車場はかなり広く、十台以上は駐車できる広さだ。
ここに至るまで旧道にありがちな通行止めだの何だのといった看板の類は一切なく、そしてそれは今後も設置されないことがこの地にたどり着いて確信した。
同時に、少なくともここまでは廃道化することがないことも確信した。
それらの理由が、ここにある「草生水献上場」である。

それまで、集落を後にしてからの旧道沿線にある人工物といえば、養鯉場の作業小屋のようなものと、廃墟と化した一軒の農場だけであった。
ここに来て真新しい看板がさびしげにたたずむ姿を発見し、予想もしていなかった出会いにココロトキメクワタシ。
もちろん、興味を持ったからにはその詳細を明らかにしなければ気がすまない私のこと、南慶寺隧道に続いて再び寄り道だ。
入り口の看板でおやと思ったのだが、「献上場」は「ケンジョウバ」ではなく、「オンジョウバ」と読むらしい。
その後ちょっと調べてみたところ、元々はケンジョウバといっていたのが訛ったそうだが・・・どういう訛り方だ・・・?

ともあれ、「草生水(くそうず)献上場」という名前からして、わかる人にはここがどういうところかわかるだろう。
私もなんとなく想像はついたが、想像を確信にするべく、歩を進める。

私は好奇心がMaxに達するとき、相棒を降りてスピードを落とし、目はスキャンモードになる。 当然、ここは相棒を横に辺りを見回しながら、ゆっくりと進んだ。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 25 車止めの先の両脇には植樹されて間もない木々が並び、このあたりの整備は少なくとも平成に入ってからのことと思われる。
そんな木々の間に、筆書きでなかなか味わい深い説明板がおいてあった。

これによると、日本書紀の一文に、天智天皇の即位7年(西暦668年)に「越の燃土・燃水を献ず」と書かれており、その場所がこの地だというのだ。
燃土・燃水とは当然石油のことであり、看板にあった草生水というのは石油の古い呼び名だ(某剣客浪漫譚で「くそうずなどという古い呼称はよしてもらおう」なんていってましたね)。
実際に献上された石油がここなのかどうかについては多分の推定も混じっているようだが、おおむねこのあたりだろうということである。
妙法寺集落では明治時代から本格的な石油採掘が始まったが、それ以前にも日本書紀に記載されるほど昔から石油はこのあたりでは身近であったらしい。
何しろ、当時は石油が自噴していたくらいで、住民は防腐剤や燃料に用いていたというのだ。
そして、いまでもその名残として、石油ガスが噴出しているという。

そこまで言われちゃその現場を見てみたくなるものだ。さらに先へ進む。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 26 説明板から続く道の途中には東屋があったりして、ふもとからここまでそれなりの勾配で登ってきた人間にはよい休憩所となる。 もちろん、私も帰りしなにここで小休憩をとった。
その東屋のすぐ横に、小さなくぼ地になにやら液体がたまっている。
白い標柱には、今は市町村合併で消滅した「西山町」の文字と、裏には「石油湧出場所」と書かれていた。
確かに、水溜りのようにもなった池にはヘドロにも見える黒々とした"何か"がたまっており、これがかつて自噴していたという石油の痕跡だろうか?
さすがに手を突っ込んでみる気にはなれなかったが・・・
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 27 そして、池の底からは確かにぼこぼこと泡が湧き出していた。天然温泉にも時々見られる光景だが、ここには温泉の独特な臭気はなく、 泡に近づいてみてもまったくの無臭。
火でも近づければ燃えあがるのかもしれないが、あいにく火気は持ち歩いていない。

おそらく気体は天然ガスといえるようなものなのだろうが、その勢いは弱弱しく、たとえ採掘をしようとも、採算は取れまい。
仮にこの地にプラントを立ち並べたところで、かつてあった歴史に想いを馳せることはできないだろう。
歴史のロマンに心めぐらすには、その名残程度の勢いで十分なのだ。

周囲はまったく人気のない山林で、風もない穏やかなこの日、聞こえるのは泡がはじけるかすかな音のみ。
ここから石油を桶にすくい取り、天智天皇に献上した歴史、そして、時に水柱のごとき大噴油もあったという周辺の油田地帯。
その痕跡として石油ガスが今も湧き出るその音に耳を傾け、静かに往時の姿を想像してみた。
東屋で小休憩を取った私は三度旧道へと戻り、峠を目指す。
道はスパイスにかける平凡な舗装路だが、それを補って余りある歴史のロマンに想いを馳せながら。
ここは、面白い。
[ 05' 11/26 訪問 ] [ 06' 1/6 作成 ]
前の記事へ次の記事へ
ひろみず http://d-road.sytes.net/ webmaster@d-road.sytes.net
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道012