新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 2

概要

新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道の地図 献上場の東屋で小休憩を取っていたところ、意外にも一台のカブが旧道を走り抜けていった。
まさかこんなところで人に出くわすとは思わなかったが、それはカブに乗ったおじさんも同じだったのか、献上場に付設された駐車場でバイクを止め、 こちらをうかがっているような様子であった。
駐車場から東屋まではかなりの距離があり、その表情まで読み取ることは出来なかったが、カブはそのまま旧道の先へ姿を消した。

2-1 ヘアピン区間

新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 28 献上場の先もれっきとした舗装路。道は狭く勾配もきついが、旧道落ちしてから間もないこともあって、往来を途絶させるようなダメージはない。
だが、崖っぷちに刻まれた道路の真ん中には数メートルにわたって亀裂が走っていた。
明らかに路肩崩落寸前といった感じであり、実際に亀裂の崖側は山側に比べて10cmほど沈下している。
献上場も過ぎ、この先の道が完全に放棄されるのであれば、やがては亀裂を境にして崖側の路肩は谷底へ崩落するだろう。
それが今でないことを祈りつつ、慎重に進む。

バイク程度ならたいしたことないだろうが、大型車ともなれば通過中に路面崩落・・・なんてこともあるかもしれない。
まだまだ熟成期間の短いこの旧道だが、補修がないまま時を経れば、この場所も命がけで越えねばならない難所になると思われる。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 29 やがて地図にも記載されたつづら折り区間に差し掛かる。写真は最初のヘアピン。
このヘアピンの先に、先ほど献上場で見かけたカブが停車しており、おじさんがなにやら作業をしていた。
声はかけなかったが、まだ一応人の出入りはあるようだ。
写真を撮りながらなので一向に先に進まず、ましてつづら折りの中でチリンチリン熊よけの鈴を鳴らしている私はきっと怪しい人間に思われただろう。

予想通りというか、献上場を過ぎたあたりから両脇の植物の勢いが格段に増してきた。
もっとも、探索時はすでにその勢いも衰えた晩秋であったから、これが真夏であればさらにひどいのかもしれない。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 30 ヘアピンを二度重ね、高度を一気に数メートル上げる。
このあたりは明治の道とは多少異なったルートをとっており、自動車時代に合わせて改築されたもののようだ。

晩秋とはいえそろそろ太陽も勢いを増しつつあり、日向になった場所は路面が乾いている部分もあった。
しかし、このあたりは杉のうっそうとした中であり、路面に敷き詰められた落ち葉は濡れてよくすべる。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 31 頭上に広葉樹があるようなところでは、もはや路面が見えぬほど密に葉が落ちている。通るものもまばらだと、こうも落ち葉のじゅうたんが完成するのかと感心。
地面が砂利であれば、この落ち葉を栄養源にしてあっという間に藪に覆われるものだが、 アスファルト舗装で地面を固めてしまったこの道ではまだまだそれは先の話だ。
往来がなくなった砂利道がわずか数ヶ月で廃道並に藪に覆われた現場を通過したことがあるし、 一方で五十島トンネル旧道のように旧道落ちしてから数十年を経てもなおアスファルトが消えず、自然に帰れないところもある。
舗装というのが如何に自然に負荷をかけるものなのか、考えずにはいられない。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 32 その先にもうひとつつづらを折って、再度高度を上げる。
ほとんど180度ターンに近いきついヘアピンには十分なスペースがとられており、多くの車両交通を許すものだ。
舗装に加えてある程度の線形の改良がなされているのにもかかわらず、地図上で未開通とされてしまうのが全く不可解でならない。

杉林に囲まれ、一年を通してじめじめしている屈曲部分では、旧道落ちしてからまだ数年だというのにすでに苔に覆われていた。
走り屋気取りでカーブに突っ込めば、そのままスリップして路外に吹っ飛ばされるだろう。
それなりにアウトドア向けのトレッキングシューズを履いた私の足ですら、写真撮影中につるりと滑った。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 33 つづら折り付近から見え隠れした苔はその後の杉の植林地とともにしばらく路面を覆い続ける。
たっぷりと雨水を含んだそれは急勾配のせいもあって時に後輪が空転させるほど。

やがて杉は少なくなっていくが、日当たりの良くなったこの辺りから両脇の雑草の勢いがさらに増してくる。
晩秋とはいえ所によっては道の八割がたをふさぐような有様。
舗装のため足元から生えることはなく、真夏でも通れないことはないだろうが。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 34 二つ目のつづら折りからおよそ150メートルで切り通しの峠が見えてきた。

沖見峠という名の通り、沖を望むことはできるのか?

2-2 ×沖見峠 ○妙法寺峠

新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 35 ふもとの妙法寺集落で現道と分かれてからおよそ1時間(探索、休憩時間含む)で峠に到着。
現在の地形図には「妙法寺峠」と書かれているが、平成に開通した峠越えのトンネルは「沖見峠トンネル」である。
歴史的には、妙法寺峠、沖見峠の両方が使われていたようだ。

残念ながら周囲を見渡しても海は見えない。
車路開通に合わせて掘り下げた可能性もあるが、これはかつての旧長岡街道の峠が今よりちょっとずれた場所にあったためと思われる。
稜線の鞍部といったら確かに現在の位置なのだが、古い地図に載っている古来の妙法寺峠はここから北へ100メートルほどのところにあり、 標高はここよりも少し高い。
街道はその「峠」と書かれた場所からここまで南下し、実際に稜線を越えているのは今の峠の位置であるため、 鞍部と峠の位置が一致していないことになる。
この理由についてはよく分からないが、鞍部付近は平坦なスペースがほとんどなく、 茶屋や眺望といった峠のメイン機能は平坦な場所を確保できた北の位置にあったため、その場所に「峠」の名が冠されたのかもしれない。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 36 振り返って撮影。
海が見えるならばこの方向にあるはずなのだが、見えるのは植林された杉の巨木のみ。
今「沖見峠」とはいいがたい状況にあるのは、峠の位置がかつてと違う可能性のほかにも、このような杉が視界を遮っていることも考えられる。
そのような理由から、今の地図には沖見峠ではなく、妙法寺峠と書かれているのだろうか。


かつての長岡街道時代、峠には茶屋もあったし、また見事な笠松もあって、多くの旅人が感嘆の声を上げていた。
峠から望む海、山、そして空が調和したその絶景に、峠から降ることすら忘れたという。
それはこの地を通った雅人も同様で、川端康成をして「日本の真髄は越後の四季と良寛の心にある」と言わしめた越後の名僧、良寛も、この峠において
霞立つおきみ峠の岩つつじ
誰が織りそめしから錦かも
という歌を残したほどである。

そのような眺望がもし植林によって失われてしまったのだとしたら、実に残念なことだ。
平成の新トンネルが沖見峠トンネルと名づけられたのも、それを懐古してのことなのか。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 37 現在の峠からは北へ伸びる道が分かれており、これがかつての長岡街道と見られる。
そこへの進入路はとても車が入れないほどの急勾配であって、明らかに自動車の往来を考えたものではない。
だがしかし、その先の道は二車線に近い広々とした幅員で、かつての街道としての姿を十分にとどめている。

旧街道となると私の範疇を越えると思い、ちょっと入って引き返してしまったのだが、 よくよく考えるとここは明治の初めまでまぎれもなく県道だったわけで・・・いっときゃよかったかな?

2-3 峠を越えて現道へ

新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 38 かつて旅人に下ることすら忘れさせた眺望も、いまや望むべくもない。峠から長岡側へと下ることにする。
峠から現道まではわずかな距離。悲運にまみれたこの道の締めくくりをお伝えしよう。

地図上の道は緩やかに二回ほどカーブを描いて現道に合流しているが、実際にはこのようなヘアピンや細かいカーブが連続する。
濡れた路面に濡れた落ち葉、急カーブ、そして下りのスピードと転倒要素がことごとくそろっており、 とても片手にカメラを構えながら走行している場合ではなかった。
右手にカメラを構えると、必然的に左手(後輪)のブレーキのみになるわけだが、ただでさえ効きの悪い後輪ブレーキではとても制御しきれない。
停止してはカメラを取り出し、撮影してはまたしまうというストレスのたまる走行だ。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 39 柏崎側のうっそうとした植林地に対し、長岡側の峠付近は開けていた。写真は峠から少し下り、峠付近を望んだ。
道の両脇にはなんとなく段々畑のように平地になった部分がそこかしこに見られ、何か建物があったようにも見える。
この場所に集落があったという話は聞かないし、かつて存在した峠の茶屋もこの場所ではない。
石油関連施設でもあったのだろうか?
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 40 もう何度もお伝えした気がするが、とにかくここの美麗な情景は筆舌に尽くしがたい。
峠から沖が見えずとも、周囲に広がる山林の彩りはほとんど紅葉の時期を過ぎたこのときでも思わずカメラを向けたくなるほど美しかった。
この一年を精一杯生き抜いた木々の精気が清浄な空気とともに肺に流れ込んでくるようである。

豪華絢爛さでいえば、黄色や赤でキラキラ輝くような名所も数多いだろうが、 最期まで不運にまみれたこの道には穏やかで落ち着いた晩秋の光景がよく似合っている。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 41 周囲の光景に目をうならせているうちに、現道が見えてきた。

スリップしやすいのはもちろんのこと、ガードレールももともと設置されていなかったようで、いくら周囲の景色が目を惹こうともわき見運転は禁物。
場所によっては10メートルくらい転落しかねない。

景色のほかに目を惹いたものとして、沿線にはなぜか自生している柿の木が多く、ちょうどこの頃はどの木にもたわわに実がなっていた。
峠の長岡側、刈羽村というと柿の名産地といわれるが、こんなところにまでなっているとは思わなかった。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 42 現道に近づくと、道路が突然アーチ状に膨れ上がった。
明らかにトンネルの上だ。

路面には土にまみれたタイヤ痕が幾筋か残されており、自動車の往来もあるらしい。
峠前に見かけたカブといい、造林もしくは山菜取りなどでそれなりに利用されているようだ。
新潟県道393号 礼拝長岡線 沖見峠トンネル旧道 43 午前8時40分、現道に到達。
旧道はトンネルのすぐ脇から登り始め、ポータルの上を通って峠へ向かっている。
トンネル工事に伴い多少の路線付け替えがなされたようだ。

目の前の沖見峠トンネルは流石に平成12年竣工だけあって近代的なつくり。
その分没個性といった印象も否めない。
ただ、個性といっても翼壁に不気味なレリーフを施すのだけはやめていただきたいが。

柏崎市のホームページによると、このトンネルの名称は当初、「沖見トンネル」に決定されている。
扁額や銘板には「沖見"峠"トンネル」と書かれ、峠の一字を加えることにどのような経緯があったのか、なかなか興味深い。
江戸時代には長岡街道と呼ばれ、多くの往来を捌いて主要街道のひとつとして挙げられた道。
明治の初めには県道指定を受け、明治天皇巡幸のために成し遂げられた車路開通であったが、 それを省みられることなく南方の曽地峠に地位を奪われた挙句、昭和後期まで見放されてしまった悲運の道でもある。

実は現地ではこれらの事実を知らなかったのだが、県道を越えた後、私が向かった場所はこの地に引導を渡した道───そう、曽地峠だった。
悲しみの歴史に導かれるがごとく、目指すは国道8号 赤田トンネル旧道 曽地峠───
[ 05' 11/26 訪問 ] [ 06' 1/13 作成 ]
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