新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 1

概要

新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道の地図 海府道の開通時期
大正2年、相川中心地から北進を始めた海府道の工事は、鹿ノ浦隧道南片辺の開鑿を後回しにしつつも、 大正14年、大倉隧道の手前にまで達した。
しかし、予算の関係で開鑿工事は一時中断され、後回しにされた区間や大倉隧道よりも北の区間に手をつけられたのは、昭和4年のことだった。
海府道開鑿の第二ラウンドといえるこの工事で、前述の鹿ノ浦隧道、大倉隧道が誕生(大倉隧道は明治期のものを改修)した。

鹿ノ浦隧道が開通したことで、相川町から大倉隧道まではとりあえず陸上交通路が確保されたことになるが、大倉隧道から北はまたしても難儀した。
というのも、第二ラウンドの昭和4年からの工事では、大倉隧道からわずか700メートルほど北東にある岬を攻略できなかったのである。
その岬は「禿の高」という高さ130メートルほどの岩山であるが、岬の幅が500メートルもあり、小さな半島状になっていた。
海岸線は高さ50メートルを超す垂直の絶壁が続くため、岬を回っていくこともできず、隧道を掘るにしても延長数百メートル規模の隧道が必要なのだ。
そのため、この場所もまたもや後回しにされ、昭和4年からの工事は大倉隧道よりもずっと北東の岩谷口集落から南進する形で進められた。
その工事は昭和11年からは農村漁村匡救事業として進められ、その数年後、南進してきた海府道は禿の高の地に達したものの、再び工事の進捗は滞る。

禿の高を陸上交通が攻略したのは戦後になってからであり、昭和28年12月、隧道工事が着手され、昭和35年3月に竣工した。
その隧道を「禿高隧道」といい、長さ427.2メートルという、当時の佐渡では最長の隧道であった。

なお、岩谷口集落より北方へ通ずる道が開通するまでには、まだ時間を要した。

1-1 禿高隧道

新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 1 大倉隧道を抜けた先は矢柄という集落である。
大倉集落と矢柄集落の間は明治時代に開鑿されたという改修前の初代大倉隧道で結ばれていたものの、 海府道の工事としてはかなり遅れた場所であり、昭和35年の禿の高隧道の竣工時にようやく車道が出来上がった。

海抜0メートルの矢柄の集落から道は急な上り坂となる。
禿の高隧道の延長を少しでも減らすべく、隧道は標高20メートル近いところに口をあけている。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 2 坑口の手前から頭上を見上げると、明瞭な鞍部とそこへ続く九十九折の徒歩道が見えた。
現在は落石対策の保守道として使われている(いた?)ようだが、ひょっとすると隧道竣工以前の徒歩道かも知れない。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 3 そしてこれが昭和35年竣工の禿高隧道。
ボロいなあ。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 4 長いなあ・・・

昭和中期のトンネルとしては、400メートル級となると数は限られる。
もとより狭い幅員のせいで出口の光がなお小さく見え、実際の延長よりもいっそう長く感じられる。
イントロで書いたとおり、隧道の竣工当時は佐渡一の延長を誇った。
この記録は昭和62年に佐渡南東部に大平トンネル(延長545メートル)というトンネルが開通するまで続く。

余談ではあるが、その大平トンネルの旧道こそ、私に蜂の恐怖を植えつけた場所である。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 5 コンクリート製のポータルのボロさに比較し、石造りの扁額は欠け一つない見事なものだ。
昭和28年着工、同35年竣工ではあるが、右書きであった。
また、隧道名の左には竣工当時の新潟県知事の名が彫られている。

脇には銘版もはめ込まれており、それに因れば竣工当時の県道名は「両津外海府佐和田線」であったらしい。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 6 内部はもう満身創痍そのもの。いくら昭和中期に竣工を迎えたとはいえ、もう半世紀近くを過ぎているのだ。
ひび割れは壁面の至る所に見られ、そこから染み出した地下水が不気味な紋様を形成している。
県道として今なお現役である以上、行政もそれを放っておけるはずもなく、つぎはぎだらけの修復箇所は隧道全体に見られる。
痛々しいその姿は、廃されたはずの第二大倉隧道のほうがまだ綺麗であったように思える。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 7 修繕工事を繰り返された禿高隧道には、その工事の際のチョーク書きの図面がびっしりと書かれていた。
呪文のように壁面を覆わんばかりのそれはまるで「耳なし芳一」のそれを髣髴とさせる。
「狭い、暗い、長い、古い、変な染み、呪文のような工事図面」と、場所が場所なら超ド級の恐怖スポットに挙げられていたことだろう。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 8 もっとも、自転車での通行が安全か危険かでいえば、交通の絶対量が少ないため、そこらのトンネルよりはるかに安全である。
こんな風にど真ん中で立ち止まって写真を撮ったって、誰からも文句は言われない。
まあ、こんなところをひとりとぼとぼと歩く(自転車含む)者がいたら、別の意味で怖いだろうが・・・


明治時代に竣工された隧道にある芸術品のような美しさは、この禿高隧道には微塵もない。
あるのはただ使い古され、ボロボロになった汚いコンクリートだけだ。
だが、だからこそ、50年もの間使い込まれ、決して多くはない交通量ながらも数万数十万の自動車を通した、その歴史を肌に感じられた。
芸術品を見るような一歩引いた視点ではなく、リアルに使い込まれたそれには愛着すら感じる。

100年前の壷は美しい。
10年間使い込んだ安物の湯飲みには愛着がある。
どっちがいいという話ではない。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 9 現代の数千メートル級が当たり前になったトンネルに比べれば短いといえども、長い長い禿高隧道を通過し、振り返って撮影。
杉の植林と蔦に覆われたポータルがなんとも独特の味を醸し出しているではないか。

交通量皆無とはいえ、自動車のすれ違いは難しいほど狭い。
ここはまだ大型車も通行可能であり、観光バスも通ることだろう。
徒歩や自転車も暗い内部は反射材などの目印なしに通行することはさすがに危険だし、改良されても不思議ではない。
特にここがバイパス化されるような様子も噂もないが、満身創痍のこの隧道がいつまで現役でいられることやら。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 10 禿高隧道を抜けて少し行くと、県道は写真左に写る大きなトンネルに入っていく。
あれは平成4年竣工の関鍔峰トンネル。
旧道はトンネル右の小高い丘を越えていくが、集落道として現役らしいのでこのまま現道を進んだ。

1-2 燃える道

禿高隧道から北東におよそ3km、岩谷口の集落に着いた。
昭和4年から始められた海府道工事第2ラウンドでは、この集落から南進した。

そもそも相川町から北を目指したはずの海府道が、なぜこの岩谷口から北へ進むことをあきらめ、南進することになったのか?
それは次の写真でお分かりいただけるはずだ。
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アッツ!!!!
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 12 アツイ!!!!
それは吠えたくなるほどきっつきつに詰められた九十九折!!
こりゃあ昭和初期の技術と資金では登れないわ。

岩谷口の集落より北は、高さ100メートルを越える断崖絶壁が続く海岸線。
このような場所は海岸段丘の上を行く山越えになるわけだが、ここは段丘に出ることも容易ではなく、 切り立った崖を無理やり登っているのだ。

ちなみに、九十九のこの坂を「跳坂」という。
坂に名をつけられるくらいなのだから、その存在感がいかほどのものか想像できるだろう。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 13 岩谷口より北の道は上記の禿高隧道の竣工から4年後の昭和39年に着工された。
昭和初期の工事(鹿ノ浦隧道)を海府道第2ラウンドとするならば、昭和28年の禿高隧道工事が第3ラウンド、 そしてこの跳坂の工事が第4ラウンドといえる。
第4ラウンドの工事はもともとは県道としてではなく、幅4メートルの「大幹線林道海府線」として進められ、昭和51年に県道に編入されたものである。

九十九折の道ということで拡幅もままならず、幅は一車線もあるのかというくらいだが、観光バスも平気な顔をして通る。
また、この写真の上方で平成18年の夏に土砂崩れがあり、一ヶ月ほど通行止めとなった。
夏の観光シーズンに合わせて仮復旧されたが、本格的な復旧のために現地探索の一ヵ月後の11月から再び閉鎖された (それを伝える県のページ。大型観光バスがここを通る写真あり)。

1-3 跳坂隧道

新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 14 ぜえぜえ言いながらひたすら登る。
自転車にはきつい登りだが、九十九折の典型のような道を無理やり登っていると、なぜか自然に口元は緩んでくる。苦しいが、楽しい。

写真は2つ目のカーブ。
1つ目のカーブは膨らみも十分でない狭いものだが、ここは異様に広かった。
その曲がった直後に・・・
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あぶなっ!!

「カーブの先にトンネル」といったらダメ線形の筆頭に挙げられるわけだが、 ここは「180度カーブの先に幅員4メートルの狭小隧道(灯りなし)」という、レベル99的極悪道路だ。
また、九十九折の中腹なので当然傾斜がついている。
向こう側から来た場合、隧道を抜けたとたんに九十九折のカーブが待ち構え、冬期ならば凍結するようなところの斜面である。
まさしく「険道」だ。
なお、まぎれもなく主要地方道45号である。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 16 隧道名は「跳坂隧道」という。
昭和42年、上述のとおり林道のトンネルとして開通した。
九十九折とトンネルのコンボであり、跳坂の工事は難儀したという。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 17 跳坂隧道反対側の様子。
隧道は跳坂に突き出た岩盤を貫くもので、長くはない。
しかし、内部で曲がっているために向こう側の様子が見えず、見えた瞬間にはいきなり180度カーブである。
「ドライバーに合わせた道」が作られる昨今では考えられない、「地形に合わせた道」だ。
後者が自然で当たり前なのだが、今作られる道は当たり前ではないことを見せ付けられた。
「スピード落とせ」など、本来言う必要はないのかもしれない。後者の道なら、スピード出せば死ぬのだから。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 18 見下ろせば今まで通ってきた九十九の道が見える。
斜面の傾斜は50度を超えていると思われる。
こんなところに車道を通そうなどとは、よく決心したものだ。

実際、大正2年から始まった海府道の開削は、跳坂隧道の掘削を含む第4ラウンドの工事にて相川町の端に達することになる。
相川の市街地からはかなり離れた場所であることを差し引いても、昭和の中期にならねばこの坂は攻略できなかったのだ。
外海府海岸もいよいよ大詰め。
大正初期に開削されはじめた道が、ようやくゴールにたどり着く。
[ 06' 10/1 訪問 ] [ 06' 1/26 作成 ]
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