新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 2

概要

新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道の地図 外海府海岸に陸路を拓くべく、相川町中心部から道は北へ伸び始めた。大正2年のことである。
現在の県道に相当するその道は当時は海府道と呼ばれていた。
難所を後回しにし、また幾度も中断されながらも、着実に工事は進んでいく。

そして工事開始から実に56年後の昭和44年、最後の難所、大ザレと呼ばれる渓谷にひとつの橋が架けられた。
それが、外海府海岸がひとつになった瞬間であった。

2-1 小さな大橋

新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 19 跳坂より北へ進む。

佐渡外海府の大部分は海岸段丘を形成しており、海岸付近は断崖絶壁でも、それを何とか登りつめれば、比較的平坦な場所が開けるところが多い。
しかしながら、跳坂を登ったこのあたりは例外で、平地らしいものがない。
この地形も、開通が最後まで遅れた理由のひとつであろう。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 20 狭く危うい道を進んでいると、不意に視界が開け、そこには狭い狭い狭い橋がこっそりとあった。
これこそが海府道のゴール地点、昭和44年竣工の「海府大橋」それである。
この海府大橋の誕生と周辺の整備により、半世紀以上もの歳月を要した外海府の道はようやく通じ、相川町から佐渡外海府最北端の地まで、ついに陸路で結ばれるに至ったのである。
「海府大橋」というその名前も、その完成の時点で既に「海府道」開鑿当初の記憶をとどめる者もわずかとなった中で、 往時の記憶を永遠に刻み付けるがごとき名前である。


海府大橋から外海府最北端の間には3つの集落があり、それぞれ南から真更川、北鵜島、願という。
旧相川町は外海府の大部分を含んでいたが、この3つの集落だけは、両津市に属していた。
こうなってしまったのも、ひとえにこの橋(&跳坂の道路)がなかったためである。

昭和31年、旧旧相川町は昭和の大合併により、外海府村を合併した。
先の三集落はこの外海府村に含まれ、相川町に編入されている。
昭和31年当時の海府道といえば前回紹介した禿高隧道を一生懸命掘っていた頃であり、当然跳坂道路も海府大橋もなかった。
そのため、三集落の人間が陸路で相川町役場に行こうとなれば、昭和中期にならねば架橋できなかったような大渓谷を徒歩で越え、延々と50kmもいかねばならない。
その一方で、外海府の反対側である内海府の北端の地、鷲崎からは両津へ向かう定期航路があったため、そちらを利用したほうが容易である。
このような事情により、合併前から両津市への編入が陳情され、合併の時点で「一年以内に集落の有権者の三分の二以上が分割を希望し、 両津市が編入を認めた場合には分割・編入を認める」ということになった。
両津市側は未開発(当時、自動車で集落へは行けなかった)の三集落を編入することに二の足を踏んだりもしたが、最終的に集落の陳情が認められ、 昭和32年11月3日、両津市長や相川町長代理らが出席する中、盛大な合併祝賀会が催された。

もしも、合併の時点で海府大橋があったのなら・・・
その後の地図は今(平成の大合併により、現在は佐渡一島で佐渡市だが)とは変わっていたはずだ。
そういった意味でも、この橋の歴史的存在感は極めて重い。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 21 海府大橋の存在感はその歴史的意義にとどまらない。
橋の延長こそ100メートルほどであるものの、その高さは県内一である。
橋の袂からは、アーチの下にある谷底は見えない。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 22 橋の中央から谷底を見下ろせば、まさに目もくらむ高さ。
写真ではなかなかお伝えしにくいが、50メートル以上あることは確実だ。

また、写真で谷底の川が切れている辺りには「大ザレの滝」と呼ばれる落差70メートルほどの滝があるという。
徒歩といえども谷底、海面に降りることは困難であり、その滝は海からしか眺めることができないそうだ。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 23 橋の上流側。
もはや人語を絶する凄まじい渓谷である。
川は数十メートルはあろうかという両岸の絶壁に遮られ、窮屈そうに身をよじりながら、蛇行している。
「川原」という言葉は、ここにはない。


橋がなかった時代の交通は船に頼る面が多かったというが、陸路もなかったわけではないらしい。
当時、このあたりには「笠取峠」というつま先上がりの急坂を登るような難所があったと記録されている。
現在の地図からはその道は消えており、どこにあったのかははっきりしないが、相当内陸側に迂回しなければ、とてもこの渓谷を渡れないだろう。
海府大橋の先にある真更川、北鵜島、願の集落が、ここを避けて両津市への編入を望んだも無理はない。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 24 然るにその眺望もまた人語を絶するものだった。
あの親不知の光景を髣髴とさせる切り立った断崖絶壁に加え、海底の地形すら見える透き通った美しい海と岩。

「日本にこんな光景があったのか・・・」
海府大橋の先には怪しい展望台があり、そこから外海府の海岸を眺めることができ、果ては海側から見た海府大橋まで遠望できる。
そのスケールを少しでも味わっていただくため、大きい画像をUPしてみた。興味のある方は以下のリンクをクリック。
■画像(注意!948x712ピクセル、85.7kBの巨大画像です)

2-2 北鵜島隧道

新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 25 海府大橋を過ぎ、外海府海岸もあと少し。
北鵜島の集落手前で道は再び海岸に戻るべく、下る。
この下りもなかなかゴッツイ九十九折で降りており、跳坂と合わせて、これまでの区間がいかに難所であったかを物語っている。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 26 昭和44年、海府大橋の竣工により、海府道は完成した。
外海府がひとつになったそのときから後れること一年、昭和45年には両津市側から海岸(内海府海岸)を進む道が佐渡最北端まで開通し、 これにて両津から相川に至るまで、佐渡島を半周する海岸道路がひとつに繋がったのである。
もっとも、繋がったといっても完成当時の道はあの戸中隧道を通るような道(その後完成した戸中トンネルは昭和49年竣工)ではあったが・・・

さて、海府大橋よりも先にも、特筆すべきものがある。
それが北鵜島の集落の先にある隧道。隧道は三つあるが、ひとくくりにして「北鵜島隧道」と呼ばせてもらう。
写真はその最初、最も南にある北鵜島3号隧道である。
「3号」は現地看板によるもので、南から順番に3,2,1とつけられている一方、隧道リストでは逆になっている。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 27 一応現在地は外海府海岸に面し、相川町から始まった海府道開鑿の延長なのは間違いない。
しかしながら、その由来は正直言って謎に満ちているといわざるを得ない。
というのも、竣工年が不明なのだ。
海府道に関しては「佐渡相川の歴史」に詳しいが、その記載内容は旧相川町の範囲内(跳坂まで)に限られている。
海府大橋が最後まで完成しなかったことからも、この隧道は相川町から続いた一連の海府道とは切り離して考えるべきものかもしれない。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 28 ただ、隧道リストで北鵜島隧道の幅員を見て驚愕した。
その幅、なんと1.5メートル。
車の通れる幅ではなく、かつては人道用として開鑿された歴史がうかがえる。
となれば、その竣工年は相当に古い時代であることは想像できる。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 29 3号隧道から300メートル足らずで2号隧道に到達。
こちらも3号隧道と同じく、素掘りにコンクリートを吹き付けている。
現在の幅員は自動車も楽々通れる幅であり、かつての人道用隧道を拡幅した姿であろう。
佐渡地域振興局地域整備部の年表に、 「昭和41年 佐渡一周線北鵜島第1、第2、第3トンネル完成」とあるので、拡幅工事は昭和41年に行われたようだ。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 30 北鵜島隧道はどれも延長数十メートルの短いもので、あっという間に通過してしまう。
写真は2号隧道を過ぎ、振り返って撮影。

北鵜島隧道が人道用隧道であった頃と比べればずいぶん手が加えられている。
しかしながら、小さく狭い隧道が小さな岬を申し訳程度に貫くその姿は、十分に自然な姿である。
佐渡らしい、いい光景だ。


ちなみに、このあたりは大型車通行止め。
観光バスなどは入って来れないわけだが、佐渡の行政が集客目当てにバイパス化してしまわないことを願う。
それは本末転倒に他ならないのだから。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 31 そうこうしてるうちに外海府最後の隧道、北鵜島1号隧道だ。
これまた他の隧道と同じ姿であり、写真を並べるとどれがどれだか区別がつかない。
こうしてレポートを書くにあたっても、同時に撮影した隧道名の看板がなければ、わけが分からなくなっていたことだろう。

2-3 外海府の終点

新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 32 北鵜島1号隧道を抜けると、ついに外海府海岸の終点が見えた。
左に写る巨岩は「大野亀」といい、頂上の高さは170メートルほど。
亀はこの辺りでは神をさし、その頂には竜神の祠があるという(なんかRPGっぽいヒビキ)。
一見取り付く島もないような岩山に見えるが、頂上まで続くスリリングな歩道があるらしい。

その脇の小高い丘を越えると、思い出深い外海府からもお別れ。
新潟県道45号 佐渡一周線 禿高隧道、海府大橋、北鵜島隧道 33 丘を越えるその道も、タダでは終わらない、それが佐渡外海府。
北海道は美瑛の丘に勝るとも劣らない、天空への道が外海府の締めくくりを祝福してくれた。
今までにないその表情は、どこか女性的。
外海府の大部分を占める男性的な荒々しい断崖絶壁を乗り越えてきた者に、最後のほんの一瞬だけ、女神が微笑んだ。
佐渡外海府は一生忘れられない光景をいくつも見せてくれた。
手付かずの自然が人々の生活の中に絶妙に融和し、生きている。
忘れられたかつての光景が、ありありと広がっているのだ。
皆様もそんな光景をゆっくりと、徒歩や自転車で眺めてみるのはいかがだろうか。

(佐渡一周編その7に続く)
[ 06' 10/1 訪問 ] [ 07' 2/2 作成 ]
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