新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道 1

概要

新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道の地図 新潟県道45号 佐渡一周線はその名の通り、佐渡西部は真野湾から時計回りに海岸線を一周する路線である。
ただし、今のところ終点は島の南西部に設定されており、厳密に始点と終点が一致して「一周」しているわけではない。
そのため、終点は県道としては行き止まりになってしまうのだが、どうやら自動車でも海岸伝いに一周することは可能である。
終点から始点までの残りの区間については、道路が十分な整備を受けていないということで指定を受けていないらしい。
いまだ未通区間を残すものの、それでも主要地方道としては日本一の距離を誇り、延長は170km近い。
この先の未通区間が解消されれば、さらに数十km伸びるだろう。

今でこそ「佐渡一周線」という誇らしい名称が与えられているが、もちろんこれは当初から一周することを目指していたわけではない。
もともとは海沿いに点在する集落をつなぐ海岸の県道だったのが、最近になってひとくくりにされたのである。
元となったそれらの海岸の県道も、各所によってさまざまな変遷があるため、今回のレポートは要所要所を分けることにした。


今回紹介する北狄(きたえびす)隧道も、かつては「両津外海府佐和田線」とか、「両津鷲崎佐和田線」とかいった、 いわゆる佐渡北西部の海岸を進む路線に属していた。
佐渡島北西部は「大佐渡山地」と呼ばれるように山がちであり、おまけに日本海の季節風と波浪をまともに受けるために、海岸線には断崖絶壁が連続する。
そういう地形では、隧道無しでは海沿いの陸上交通はありえないわけだが、実際に交通に耐えるような隧道が築かれたのは大正や昭和中期になってからである。
というのも、当時の佐渡は舟運が大変に盛んであったため、時化のときは出られないといえども、手間のかかる道路開削工事よりも、 手軽にこさえることができた船に頼っていたからだ。
そのため、中には陸続きでありながら初めて自動車が通ったのが昭和40年代、なんていう集落もある。
まさに、「離島の又離島」という極限条件であった。

北狄隧道は佐渡金山の御膝元として栄えていた相川町の北方にある。
相川から北はそれこそ親不知もかくやという断崖の続く海岸で、陸の上を行こうとなれば、海岸段丘を登り詰め、 さらに山沿いの細道を行かなければならなかった。
明治の初頭、当時まだ金山も盛んであった島の重要道路が県道指定されていったが、 海沿いの道はその中に含まれていない(まあ、当時は存在すらしていなかったわけだが)。
相川から北に道らしい道がようやく出来はじめたのは、大正になってからである。

詳しくは本文中に掲載するとして、早速佐渡の旅に出かけよう。

1-1 近くて遠い、水平線の島

新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道 1 佐  渡  どああああああ!

親不知の最終回にて自転車での富山県入りをひとつの目標として掲げていたことをお話ししたが、もうひとつの夢がこれ、佐渡旅行である。
佐渡に来るのは実は初めてではなく、諸事情で数年前に訪れたことがある。
しかし、このときは自転車ではなかった。

いつも陸から青灰色の島影を眺めるばかりで、目の前にあるくせにその地に足をつけることもできないというもどかしさを感じていた。
その島影が、海原の向こうに実体を帯びてくるにつれ、ついにここまで来たかと実感がわいてくる。
血沸き、肉踊る。
楽しみだ。
新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道 2 私は新潟港から両津港へのカーフェリーで上陸することにした。
この航路は全国の国道好きには外せない航路である。
というのも、この航路は紛れもなく国道350号。すなわち、海上国道なのだ。
本州と佐渡島を結ぶ航路としては、明治時代までは最短距離でいけた寺泊〜赤泊航路が重視されていたが、大正時代には、 県都新潟とを結ぶ航路のほうに重きが置かれるようになり、大正8年にこの路線が「海上県道」新潟相川線として指定を受けている。
現在の新潟〜両津間の海上国道は、この海上県道に由来する。

Wikipedeaの国道350号の項にはデッキにおにぎりがあるということが書かれていたため、航海中うろうろと船内外を探したのだが、 このような国道を示す看板はあっても、おにぎりは終ぞ見つけられなかった。
国道350号は新潟から両津まで海上を進み、佐渡を縦断して小木港から直江津港まで再び海上を進む。
小木-直江津の船にはあるのだろうか?
新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道 3 新潟港から2時間30分で両津港に到着。
新潟港からであれば、「ジェットフォイル」という高速船が出ており、それであれば1時間程度でいけるものの、料金は3倍かかる。
また、カーフェリーならば車両航送運賃(自転車は1300円)を支払えば、輪行の手間を省いて自転車ごと乗り込めることが大きい。
解体と組み立てに計1時間近くを要する輪行作業の手間と、ばらした自転車&荷物(総重量数十kg)を担いで乗下船する苦労を考えれば、 1300円の出費は十分に安い。

御影石に刻まれた「佐渡が島 両津港」の文字の前で誇らかに起立する我が愛車。
これから佐渡一周一泊二日、二百数十キロの旅程、よろしく頼むぞ。
佐渡全景と行路予定 旅行計画は時計回りに海岸沿いを一周すること。
初日に島の南東の海岸を進み、赤泊、小木を経て外海府海岸の相川に出たところで野宿するつもりだ。

1-2 シーズンオフ

新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道 4 上の写真は初日の午前7時頃に撮影したものだが、いきなり22時間ほどぶっ飛ばして、この写真は翌日の午前5時半頃に幕営地から撮ったものである。
上陸当日はどうしたと突っ込まないでくれ。
向かい風に阻まれて完全に海岸をトレースできず、ショートカットを余儀なくされた上、とある廃道を探索中には、 私が最も恐れる脅威のうちのひとつ、の大群に囲まれ、死に掛けたのだ。
それも2回。
刺されずにすんだのが奇跡だった。

そういった事情で十分な探索時間が得られなかったのと、蜂に追い返されたのがあって、佐渡島南部における探索は未完遂になってしまったものが多い。
さらに、佐渡の魅力は北西部の外海府にあるといえるので、こちらを先にお伝えすることにした。
初日の模様も、外海府のレポートの次にお伝えするつもりだ。


相川町(現在は平成の大合併により、一島で佐渡市)の公園でテントを張り、野宿となったこの日。
未明に目を覚ましてみれば、テントの中は結露でひどく濡れていた。
これは就寝中の水蒸気が外の冷気で冷やされて露となったわけだが、これがひどくなると、その年のテント泊の旅はもう終わりであることを痛感する。
案の定、外の気温はウィンドブレーカー(代わりの雨具だが)一枚では震えが来るほどだ。
新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道 5 起き抜けには寒気を感じていても、さすがに漕ぎ出せば上気する。
ウィンドブレーカーはあっという間に脱ぎ去った。

相川町から北に進んでいくと、県道は早速にして迫力ある絶壁の下を進むことになる。
イントロで少し述べたように、このあたりの海岸の道が開削されたのは、大正時代、正確に言えば大正2年。
当時はこの道を「海府道」と呼び、浜の断崖に発破を仕掛け、毎日のように爆裂音が響いたという。
一部に難工事もあったが、関係者の大変な尽力により、年を追うごとに道は北進していった。
開通当時の道は幅二間(3.6メートル)であったというので、その後に相当大掛かりな改修工事を行ったようだ。
新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道 6 さらに進むと、佐渡外海府海岸においても最高の景勝地、尖閣湾に到達。
大正時代までは徒歩道すらなかった海岸も、何とか交通を確保してしまえば、奇岩奇勝が観光の目玉になる。

ただ、この日は10月1日という夏とも秋ともとれない絶妙なオフシーズンである上に、朝7時にもなっていない早朝の観光地は恐ろしいほどに静まり返っていた。
撮影地は遊覧船の受付や遊具もあるようなところなのだが、人気のない零細遊園地のような寒々しい空気が漂い、 さながら「探偵ナイトスクープ」の「パラダイス」を思わせた。

1-3 鷹の巣トンネル

新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道 7 幕営地から尖閣湾を経て北に進み、最初の廃隧道、それが今回の主役だ。
右の大きなトンネルは現道の鷹の巣トンネル。
銘版はなかったが、新潟県佐渡地域振興局地域整備部の年表によれば、 昭和50年竣工とある。
新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道 8 現道の3分の1程度の規模しかない小さな小さな旧隧道へ接近する。
足元は一切手を加えられた様子のない砂地である。
雨天時などはさぞぬかるむことだろう。
新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道 9 その砂地には古びたガードレールが健在。
何十年と潮風を受け続けたそれはすっかり錆び付き、藪に飲み込まれつつある。
新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道 10 上の写真のとおり、現道から隧道までの距離はほとんどない。
また、取り付け道路に特に立ち入り禁止の表示もなく、車の轍すらあった。

隧道は高さ十数メートルの垂直の断崖をぶち抜いている。
ポータルには何の構造物もなく、本当にくりぬいておしまいだ。
一応落石防護ネットが断崖に張られているものの、それももう管理されておらず、ネットを突き破った落石がいくつも転がっていた。
新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道 11 現道のトンネルは「鷹の巣トンネル」であるが、旧隧道であるこれは近くの集落の名前を取って「北狄隧道」である(山形の廃道様の全国隧道リストより)。
ただし、相川町の史書、「佐渡相川の歴史」には「旧鷹の巣トンネル」とも書かれており、どちらの名称が正式なのかはよく分からない。

さて、お伝えしている通り、相川町からここに至る海岸の道は大正時代に造られたもの。
そこに控える古隧道も相応の歴史を持っている。
その竣工は・・・大正6年。
ぶふぇ。


竣工は大正の一桁なわけだが、実はこの隧道はこんな掘りっ放しのクセに、改修工事を受けている。
その改修もまた一桁、昭和4年から昭和5年にかけてだという。
改修以前の姿は知る由もないが、今の姿よりもさらに小さな坑口であったに違いない。


独特の紫色をした岩盤に刻まれた大正隧道。
いざ進入。

1-4 北狄隧道

新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道 12 内部もコンクリートの吹き付けすらない、完全な素掘りのまま残されていた。
現道を通れば誰でも目にする隧道であるが、坑口にも立ち入り禁止の表示はない。
というか、取り付け道路の轍は内部にまで続いていた。
大正一桁に竣工した天然記念物ものの古隧道だというのに、一枚岩の岩盤をくりぬいた隧道は相当安定しているらしい。
落石もなく、歩きやすい。
新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道 13 しかしこれは一枚岩という表現は適切ではないかもしれない。
地質的なことはわからないが、砂に埋まった石をまるごと固めたというか・・・
天井の石もぽろっと落ちてきそうなもんだがな。
新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道 14 あっという間に反対側坑口に到達。
こちら側の坑口はやたらいびつな形をしていた。
具体的にどう、と言われてもちょっと表現に困るのだが、写真右上のあたりの天井が突き抜けているというか・・・
明らかに薄い坑口右の岩盤はある時期に崩れたのかもしれない。

隧道は短く、リストによれば22メートルとある。
一方で、町史(佐渡相川の歴史、1995)では長さ26.2メートルと食い違う。
リストから町史が発行されるまでに伸びた・・・わけはないので、これは隧道の「どこを出口と取るか」という測量の違い程度だろう。
また、幅員も高さも両史料で異なっている(幅員:リスト〜3.2m 町史〜3.5m、高さ:リスト〜2.5m 町史〜3.4m)。
改修工事の可能性もありうるが、この隧道の高さに関して言えば、3.4メートルもなかったような気がするが・・・。
新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道 15 隧道を抜けた先は残念ながら道は通じていない。
現道のトンネルの延伸部に道をふさがれ、往来は不可能だ。
再び隧道に足を向けた。
新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道 16 波間には奇妙な岩が転がっている。
ボコボコの穴の開いた、ちょっぴりグロい岩。
これは波が渦巻くことで生じる浸食作用により、クレーターのような穴が開いた結果だという。
隧道のもう少し北には佐渡外海府の魅力その2、平根崎波蝕甌穴群(国指定天然記念物)と呼ばれる奇勝があり、 このような甌穴のある岩がゴロゴロしている。
新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道 17 現道から簡単に入ってこられるわけだが、隧道が安定しているせいか、特に通行止めにもなっていない、北狄隧道。
「大正時代の廃隧道をおおっぴらにくぐる」なんてことは、そう簡単にできることではないと思っていたのだが・・・佐渡は別格。
網の目のように伸びた佐渡金山の坑道から見れば、この程度の隧道は通行を規制するまでもないというわけか。
いや実にありがたい。
新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道 18 現道に戻って撮影。
こちら側からも北狄隧道はよく見えた。


しょっぱなから大正時代の廃隧道という幕開け。
しかも隧道リストには、この先も北狄隧道のような大正一桁台竣工の古隧道がずらりと並んでいるわけで・・・
佐渡の探索は、波乱の予感だ。
佐渡外海府の旅はまだ始まったばかり。
この先いったい何が待ち受けているのか!?

(佐渡一周編その2に続く)
[ 06' 10/1 訪問 ] [ 06' 10/27 作成 ]
これより前の記事はありませんこれより先の記事はありません
ひろみず http://d-road.sytes.net/ webmaster@d-road.sytes.net
新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道1