新潟県道45号 佐渡一周線 大倉トンネル旧道 大倉隧道 2

概要

新潟県道45号 佐渡一周線 大倉トンネル旧道 大倉隧道の地図 明治時代に既に使われなくなったという徒歩道時代の道、大倉走りを平成の今に歩き、封鎖された第一大倉隧道を迂回。
旧道への足場は危うく、最悪の場合は戻ってこれないかもしれない。

2-1 第一大倉隧道

新潟県道45号 佐渡一周線 大倉トンネル旧道 大倉隧道 15 それでも私はやってしまった。
比較的頑強そうな柵の支柱を2、3度グイグイと強く引っ張り、強度を確かめた上で、それを支えにして下半身を思いっきり持ち上げた。
そのまま柵の下を寝転がった姿勢で潜り抜け、何とか旧道路盤上に到達したのである。
支柱が支えになるということが明らかになったため、戻るときには逆の手順で戻ることもできるだろう。

ようやくにしてたどり着いた旧道は、それに見合うだけの輝きを放っていた。
いい具合に道らしさが残り、また失われつつもある、絶妙な熟成加減といえよう。
廃道の特有の寂寥感に心癒される。

大倉隧道は二つあるが、とりあえず先に第一大倉隧道から探索することにした。方角的にいうと、来た方向へ戻ることになる。
新潟県道45号 佐渡一周線 大倉トンネル旧道 大倉隧道 16 1.5車線の狭いロックシェードの中にはすでに横から崩れてきた土砂が進入してきている。
また、場所によっては道の8割がたを土砂が覆うような場所もあった。
このような大規模なものに限らず、左側のロックシェードの隙間から落ちてきた石は路面を覆いつつある。
新潟県道45号 佐渡一周線 大倉トンネル旧道 大倉隧道 17 二つの隧道とその間の路盤(今立っているところ)の掘削は、明治45年に行われたところに由来する。
その後、大正時代の海府道工事など、幾度となく改修を受けた。
ロックシェードの柱の一本には、昭和63年の銘板が残されていた。
昭和51年の航空写真にはすでにロックシェードらしきものが見え、 またコンクリートの劣化具合を見てもこれがロックシェードの竣工年とは言いがたい。
現道の大倉トンネルの竣工が平成3年であるから、この銘板が取り付けられた頃にはそろそろ現道の工事も始まっていたのではないか。
新潟県道45号 佐渡一周線 大倉トンネル旧道 大倉隧道 18 第一大倉隧道東側坑口。
反対側の坑口は木の板で封鎖されているが、こちらは開放されている。
隧道に挟まれたロックシェード内に、人が直に到達することは元より考慮されていなかったのだろう(当たり前だ)。

反対側からは雑草と封鎖に阻まれたが、旧旧道たる「大倉走り」を越えてきたものにはその門扉は開かれているのだ。
新潟県道45号 佐渡一周線 大倉トンネル旧道 大倉隧道 19 内部は落石もほとんどなく、ロックシェード内よりよほど歩きやすい。

この第一大倉隧道も元は明治時代に築かれた隧道に由来するわけだが、度重なる改修により、当時の姿はもはや素掘りであるという事実のみと思われる。
素掘りのクセにやたら規模の大きい断面は圧倒される。
全国隧道リストでは、高さは3.8メートル、幅は3.7メートルほどだという。
また、リストには竣工年は昭和3年と記載されており、大正の海府道(現県道)の工事が一度中断された後、再開された時期なのだろう。
新潟県道45号 佐渡一周線 大倉トンネル旧道 大倉隧道 20 ロックシェード内にもあったが、大倉隧道を含む旧道区間には蛍光灯が設置されていたらしい。
ただ、ご覧の通り第一大倉隧道のそれはもはや風前の灯。
仮に下を通行中に落下すれば、私の命も風前の灯。
新潟県道45号 佐渡一周線 大倉トンネル旧道 大倉隧道 21 第一大倉隧道の延長は21メートル。
たどり着いた反対側の坑口の封鎖は職人の手ともいえる精密な組木で構成され、カメラで向こう側を撮影することは可能そうでも、 隙間から出入りすることは無理。
反対側の藪を掻き分けて坑口にたどり着いたとしても、それほど報われるものではない。
新潟県道45号 佐渡一周線 大倉トンネル旧道 大倉隧道 22 封鎖地点より振り返って撮影。
ミニマムな廃道はなんとなく「かわいらしい」。
軽自動車でも離合は非常に難しく、改良されるのも無理はない。
だが一方で、画一的な現道から比べれば、この際どさこそに味があると思う。


第一大倉隧道を後にし、続いて第二大倉隧道に向かう。

2-2 第二大倉隧道

新潟県道45号 佐渡一周線 大倉トンネル旧道 大倉隧道 23 旧道の途中から第二大倉隧道を迂回する大倉走りを見る。
明治時代に隧道が穿たれたわけだから、放棄後90年以上を経過した道ということになるが・・・
ただの磯にしか見えないそれはかろうじて人の往来も許すだろうが、道らしさはどこにもない。
磯を歩いていた道が、明治時代に新道に切り替えられる点では親不知と類似しているが、往来の程度はそちらとは比較にならないほど少なかっただろう。
新潟県道45号 佐渡一周線 大倉トンネル旧道 大倉隧道 24 そしてこれが第二大倉隧道西側坑口である。
見ての通り、人為的に土砂が盛られ、封鎖されている。
そのせいもあるかもしれないが、坑口の断面積が脅威の狭さだ。
ほぼ同時期に造られた、鹿ノ浦隧道よりも一回り小さく見え、 なまじコンクリートで覆われているために素掘りであった第一大倉隧道よりもなお狭く見える。

内部はすぐに右にカーブしており、出口の明かりは見えない。
もっとも、ここからでは明かりが見えないのがカーブしているせいなのか、崩落のせいなのかは分からない。
当然、この土砂を登りにかかる。
新潟県道45号 佐渡一周線 大倉トンネル旧道 大倉隧道 25 内部が気になるところだが、土砂に登ったところで振り返って撮影。

探索時点では竣工年(海府道工事の改修)は分からなかったが、隧道リストでは昭和7年とある。
第一大倉隧道の竣工が昭和3年なので、両隧道を結ぶ路盤の改修にもかなり手間取ったことが想像される。

それはともかく内部は・・・
新潟県道45号 佐渡一周線 大倉トンネル旧道 大倉隧道 26 大きくカーブしたその先には、確かに明かりが見えた。
目測で延長は50メートルほどか。
隧道を封鎖する土砂は出口まで続いているようで、困難な道のりが予想された。
佐渡に来た理由ともいえる二つの大倉隧道、その最後のひとつに、私は足を踏み入れた。
「とても大事なもの」を忘れていることを、なぜかこのときは全く頭になかった。
[ 06' 10/1 訪問 ] [ 07' 1/12 作成 ]
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