新潟県道45号 佐渡一周線 戸中トンネル旧道 戸中第一・第二隧道 2

概要

新潟県道45号 佐渡一周線 戸中トンネル旧道 戸中第一・第二隧道の地図 戸中隧道は洞窟に出ていた。
こんなありえない隧道が、佐渡にはある。

2-1 隧道から、谷底へ

新潟県道45号 佐渡一周線 戸中トンネル旧道 戸中第一・第二隧道 15 まさしく想像を絶した光景である。
かつてここにあったであろう橋はどこにもなく、谷の向こうへは容易にはたどり着けない。
こちら側に崩落したと思われる巨大な岩塊がゴロゴロしているため、それを足場にしてここから"谷底"である洞窟の床面に降りていくことは不可能ではない。
一方で、向こう側はきれいなものであり、足場となるようなものが何もない。
対岸の坑口は洞窟の床面から2メートル以上の高さにある上、ややオーバーハング気味になっており、洞床から登ることは難しそうだ。

考えていても埒が開かない。
とにかく、洞床に降りてみよう。
新潟県道45号 佐渡一周線 戸中トンネル旧道 戸中第一・第二隧道 18 洞窟内に降り、振り返って撮影。

なんというか・・・もう言葉にもならない。
自然の洞窟でありながら、まさにそれと融合したといえる驚愕の隧道だ。
何かしら、現実とは隔世の感を思わせる。
佐渡外海府は「秘境」とも呼ばれており、それも納得。
まあ、ここは普通の人間が好んで訪れるような場所ではないが・・・
新潟県道45号 佐渡一周線 戸中トンネル旧道 戸中第一・第二隧道 19 かたや隧道は写真の左右に伸び、かたや洞窟はまだ奥に続いていた。
といっても奥行きはさほど長くなく、交差地点からも数メートル程度。
洞窟の入口から見れば、全体での奥行きは10メートル強といったところか。
新潟県道45号 佐渡一周線 戸中トンネル旧道 戸中第一・第二隧道 20 そして、これが目指す"対岸の"隧道である。
さまざまな資料に目を通したが、この戸中第一隧道が、二本の隧道から成っているということは記載されていない。
公式には谷を挟んだ全体でひとつの隧道であり、延長174メートル、幅3.4メートル、高さ3.8メートルと記されている(佐渡相川の歴史)。
私が進入した側の延長は100メートルにも満たなかったであろうから、ちょうど半分くらいのところに、このような谷があることになる。

さて、予想通り、ここから目の前の坑口に這い上がることは無理のようだ。
カメラの位置からも分かるとおり、隧道は見上げる高さにある。
垂直飛びと懸垂を駆使すれば可能かもしれないが、オーバーハングなので足をかける場所がない。
困った。

2-2 戸中の洞屋

新潟県道45号 佐渡一周線 戸中トンネル旧道 戸中第一・第二隧道 21 で、私が取った行動は、なぜか、「外へ出る」だった。
目の前の坑口にそっぽを向き、「脱出」を選択したのである。

自分でも、何でこのような選択をしたのか、記憶にない。
対岸の隧道の出口、すなわち戸地集落側の坑口は、前回見てきたとおり、絶壁の中腹である。
海側を回りこんで到達することなど、ここを這い登ること以上に不可能であることくらい分かっていたはずだ。
今考えても全くその行動は理解できない。
最も、後にして思えば、これは「誘われた」のかもしれない・・・
新潟県道45号 佐渡一周線 戸中トンネル旧道 戸中第一・第二隧道 22 すすすごいところにあるなこりゃ・・・

外に出て、問題の洞窟を撮影。
なにかこう、巨大なハンマーで叩き割ったような、豪快な板状節理だ。

隧道が存在しなかった明治以前、人々は今私が立っているような波際を歩いていた。
その時代には、この近辺は「戸中の洞屋(ドヤ)」と呼ばれた難所として知られていたのである。
「洞屋」というのは、もちろんこの洞窟のことを意味するのだろう。
本家親不知においても、天嶮の絶壁にはいくつかの洞窟があるといわれる。
波が押し寄せてきた際には、その洞窟に身を隠し、やり過ごしていた。
中にはその洞窟の中で一週間ほども外に出られなかった旅人もいたという。
佐渡の洞屋・・・まさに今私の目の前にある洞窟にも、きっとそんな歴史があるはずだ。
新潟県道45号 佐渡一周線 戸中トンネル旧道 戸中第一・第二隧道 23 ちなみに、今立っているわずかな海岸に到達するためには、私が通ってきた戸中第一隧道を抜けてこなければならない。
南の戸地集落からは隧道に入ることも、崖を回りこむことも不可能であり、また、北の戸中集落からの陸路(明治以前の波際の道)はすでにない。
写真は戸中集落の方向を写したものであるが、絶壁の下にあったかつての道は海中に没している。

2-3 更なる神秘

上の写真のように、北方向へは進めないし、進んだところで目的の隧道とは逆方向になる。
小さな海岸を南方向、すなわち、入れなかった対岸の隧道に並行して歩いていると・・・
新潟県道45号 佐渡一周線 戸中トンネル旧道 戸中第一・第二隧道 24
ま  さ  か
新潟県道45号 佐渡一周線 戸中トンネル旧道 戸中第一・第二隧道 25 そんなことが・・・許されていいのか?

驚愕の「隧道内洞窟」で骨抜きにされた私に、佐渡は又もその予感を感じさせてくれた。
秘境、佐渡外海府海岸よ、お前がそれを望むのならば、私はそれを全て受け入れる。
そんな、「ありえない救いの手」を、お前が許すのならば。
新潟県道45号 佐渡一周線 戸中トンネル旧道 戸中第一・第二隧道 26
入れちゃった・・・
新潟県道45号 佐渡一周線 戸中トンネル旧道 戸中第一・第二隧道 27 すいません、少し、泣いてもいいですか・・・

岸壁に穿たれた二つの穴。もしや隧道内に通じているのではと思ってみれば、その通りであった。
奥に見える明かりは、確かに私が外へ出た洞窟。

戸中隧道・・・大正時代に竣工したというこの隧道を越える隧道は、この日本に果たして存在するのだろうか。
新潟県道45号 佐渡一周線 戸中トンネル旧道 戸中第一・第二隧道 28 私が再進入に利用した横穴を、内部から望む。
まるで天地が逆転したかのような写真であるが、決してそうではない。
横穴自体がやや奥まった洞窟の先端にあるため、こんな豪快な天井が見えるのだ。
新潟県道45号 佐渡一周線 戸中トンネル旧道 戸中第一・第二隧道 29 反対側には、柵で封鎖された出口が見えた。
あれは戸地の集落で見た、入れなかった坑口に違いない。
立てなかったあの場所に立つまでに、これほどの感動を味わうとは夢にも思わなかった。


横穴から入ったあたりは、ここも待避所のように膨らんでいた。
これで、かつてあった隧道内橋を挟んで両側に離合区間が設けられていることになる。
この戸中第一隧道の延長は100メートル以上あるわけだが、当初から離合箇所が2つも必要とされていたとは考えにくい。
やはり、あの洞窟と両坑口の両方から掘り進めた結果、合流地点がずれてしまったのではないか。

2-4 高嶺の花を摘みに

新潟県道45号 佐渡一周線 戸中トンネル旧道 戸中第一・第二隧道 30 "谷"に向かうか出口に向かうかで迷ったが、ひとまず出口を目指した。

谷を挟んだ向こう側の隧道のような巨大な落石というものはないが、細かい落石は多く、こちらも足元は悪い。
落石の間に残るわずかな砂地には、一切の人の足跡や轍というものは見られなかった。
佐渡という地には、廃道を歩く不心得者はいないのだろうか。
大正時代の廃隧道、それも感動的な光景が待ち受けるこんな驚愕の隧道であれば、何かしらの情報があってもよさそうなものだが、 内部探索レポートはおろか、その存在を紹介するような記事すらも皆無に等しい。
私は自転車だからよいが、佐渡に自動車を持ち込もうとすればン万円の航送料金を取られるわけだから、そう簡単に訪問し、 命がけの探索を行うのは難しいのかもしれない。
新潟県道45号 佐渡一周線 戸中トンネル旧道 戸中第一・第二隧道 31 内部の様子は次回にまわすことにして、出口に到着。
柵の向こうには川を挟んで集落が見える。
この場所こそ、戸中隧道で最初の感動を味わった、"高嶺の花"たる戸地集落側坑口なのだ。
感激。
新潟県道45号 佐渡一周線 戸中トンネル旧道 戸中第一・第二隧道 32 坑門の裏側は非常に不安を感じさせた。
向こう側からは重厚な造りに見えた坑門も、裏側はひどく劣化しており、表面の化粧板しか残っていない。
新潟県道45号 佐渡一周線 戸中トンネル旧道 戸中第一・第二隧道 33 どうやらこれはアーチの一部が崩壊した結果のようだ。
側壁にはコンクリートの塊が残されており、おそらく往時はこのコンクリートが天井部分までのびていたに違いない。
ただ、足元には崩落したような形跡は見当たらなかったため、崩壊は隧道廃止以前に起こったのではないか。
不安なアーチもあって、柵をすり抜けて向こう側へ出ることはしなかった。
それでも、たどり着けなかった戸地集落側坑口に足をつけたことで、十分に私の心は満たされた。
神秘の隧道に戻り、残りの未探索区間、そして、戸中"第二"隧道を目指す。
[ 06' 10/1 訪問 ] [ 06' 11/10 作成 ]
前の記事へ次の記事へ
ひろみず http://d-road.sytes.net/ webmaster@d-road.sytes.net
新潟県道45号 佐渡一周線 戸中トンネル旧道 戸中第一・第二隧道123