新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 1

概要

新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道の地図 (佐渡一周編その6からの続き)

外海府から佐渡最北端の地、鷲崎から南下する海岸線は内海府と呼ばれる。
佐渡の親不知と呼ばれた交通の難所が三つも四つも連続するような外海府とは異なり、断崖が海に直立するような箇所はあまりない。
とはいえ、所によってはやはり隧道なしでは自動車の往来ができないような場所もあり、鷲崎まで車道が開通したのは昭和40年代のことである。
それまでは鷲崎と両津を結ぶ航路によってかろうじて結ばれており、陸続きであるにもかかわらず、生活必需品などの輸送は船に頼っていたのだ。


内海府のその道の開鑿も、外海府と同じく大正時代に遡る。
外海府における海府道の工事が始まった大正2年、「県道馬首線」の予算六千円が県議会で計上され、 翌大正3年6月に両津市(当時は両津町)を起点として測量が開始された。
(あくまでも外海府と比較して、だが)地形が穏やかな馬首集落までの道は5年後の大正7年に到達し、さらに延伸されて北に進んでいった。
大正8年の県議会において馬首線は「海府線」として名称を改められ、その終点は佐渡最北端の地、鷲崎とされた。
これにて名実ともに外海府の「海府道」に繋がる、沿岸道路の開通を目指すことになる。
当初は10ヵ年継続事業として予算が計上されており、思うに10年での開通を目論んでいたようだ。

しかしながら、馬首のすぐ先の「鬼の面」と呼ばれる難所で一気にブレーキがかかり、さらにその先の隧道工事に6年も要したため、 予定の10年以上を経過した昭和5年になっても、海府線は鷲崎より程遠い黒姫という集落に達しただけであった。
さらに、黒姫集落より北は山塊が海に突き出た険しい場所が続き、さらに戦争の激化に伴って、工事は中断してしまった。

戦後もしばらく工事が再開されることはなく、かろうじてそれまで開通した区間を走るバスも昭和30年頃までは黒姫集落が終点であった。
工事再開には時間を要したが、昭和37年および40年に難所を避ける隧道(虫崎隧道、北小浦隧道)が完成した後は加速度的に工事が進んでゆくことになる。
その一方で、鷲崎からさらに奥に入った集落、願・北鵜島・真更川周辺の道は県道といえども磯を歩くようなところであり、 昭和39年に出された道路開削の陳情書は自衛隊による道路開削を求めるほど切実なものであった。(なお、当時自衛隊による道路工事は多く見られ、佐渡の県道開削に自衛隊や果ては米軍まで動員された例は数多く見られる。)
その願いに応えるべく、工事は急ピッチで進められ、ついに昭和45年、県道は鷲崎の地に到達した。
海府大橋の項でもお伝えしたように、この頃外海府を結ぶ道も出来上がり、 この昭和45年を以って佐渡の外海府、内海府を結ぶ陸路がひとつになった事になる。
陸路が整備されたことで、それまで生活物資のよりどころとなっていた両津-鷲崎航路は昭和46年に役目を終え、廃止された。

1-1 北小浦隧道

新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 1 外海府海岸はその険しさゆえ、県道として開通後に度重なる改良工事をうけた結果、 現道を走る限りはほとんど自動車走行に気を使うようなところはない(跳坂以北を除く)。
しかしながら、中途半端に険しい内海府の県道は今現在も未改良の箇所が多く、特に北部地域はこんな狭い道がしばらく続く。
新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 2 鷲崎からほぼ真南に進むことおよそ6km、海に突き出た山塊が立ちはだかるその場所に、小さな隧道が見えた。
あれは内海府で最も北にある隧道、北小浦隧道である。
新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 3 内海府の道、海府線の工事は両津市から一貫して北上するように進められており、外海府の海府道のように難所を後回しにしたりはしなかった。
そのため、最北の北小浦隧道が同工事の最後の関門であったといえる。
銘板によると、竣工は昭和40年。
県道の全通にはあと5年を要したわけだから、この隧道を開鑿してやれやれということもなかったようだ。
また、反対側の銘板によれば、開通当時の県道名は「両津外海府佐和田線」といった。

北小浦隧道の延長は59メートル足らずで、あっという間に通過する。

1-2 失われるもの

新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 4 北小浦隧道とほとんど連続して次の隧道、昭和37年竣工の虫崎隧道である。
北小浦隧道よりも長く、記録によれば延長268メートルだ。
新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 5 内部は歩道もない1.5車線の道。
交通量が多ければ非常に危険な隧道であるが、車どおりはほとんどない。

外観や竣工時期などは禿高隧道と類似しているが、ボロボロであった禿高隧道に比べればずいぶん綺麗である。
新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 6 虫崎隧道南側坑口。
この近くに工事用の飯場があり、その看板を見てみると「黒姫トンネル開通工事」とあった。
もしや北小浦隧道と虫崎隧道をバイパスする新トンネルかと思ったが、ちょっと違っていた。
新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 7 虫崎隧道から南下すること約1.5km、虫崎の集落から南に向かって口をあけるトンネルを発見。
これが(仮称)黒姫トンネルらしく、内海府の道路改良計画の一環として平成8年度より進められたもののひとつである。
工事は7割程度完了しており、黒姫トンネル(延長1.8km)は平成21年の開通を目指しているらしい(国道交通省の再評価結果(PDF)より)。

道路改良の理由のひとつに「個性ある地域の形成」が挙げられているが、目的地まで真っ暗闇のトンネルのどこが個性的なのか、私には理解できない。
確かにトンネルによって「個性ある地域」の佐渡最北部へのアクセス性が向上するだろうが、逆に周辺の景色という個性を放棄することに違いない。
新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 8 ちなみに、黒姫トンネルにバイパスされる区間は全編に渡ってこのような景色。
切り立った崖はたびたび崩落し、頻繁に通行止めとなるという。
バイパス化するなとはいわないが、その場所の景色という旅にとって最大の個性も軽視しないでもらいたい。

1-3 大山隧道

新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 9 黒姫トンネル南側坑口の目の前が、昭和30年頃まで車道の終点だった黒姫の集落である。
前述の通り、黒姫集落までは昭和5年に完成している。


黒姫集落の南端に一本の橋が架かっていた。
小さな湾を渡る海上の橋なのだが、よく見なくても怪しい道である。
昭和初期に開通するわけもないこんな橋、間違いなく、近くに昭和初期に開通したはずの旧道があるはず・・・
新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 10 橋の親柱の銘板には「昭和62年竣工」「黒姫大橋」とあった。
これは確実に、「ある」。

こういうパターンで一番多いのは、旧道が絶壁の下に張り付いているケース。
そこで橋の上から岸壁を見てみたのがこの写真。

・・・道なんかありませんな。

だが、左側に写るコンクリートブロックがどうも怪しい。
路肩のようにも見えるのだが、路盤らしきものがはっきりしない。
かといって路肩でないとしたら、あんなところをコンクリートで補強する理由があるのだろうか。
新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 11 上の写真より少し右に目を向けると、なにやら路盤のようなそうでないような平場もある。
そしてその平場は、岩の中に続いている。
これは・・・隧道だ!!
新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 12 上の写真は振り返って撮ったもので、もし写真の位置が南側坑口なのだとしたら、北側坑口はどこだ?

写真は少し戻り、橋の北詰。
隧道が直線的に伸びていれば、この辺りに北側坑口があるはず。
が、見る限りそんなものはどこにも見当たらない。
数分うろついてみたり、あるいはもっと長い隧道だったのかとさらに北に戻ってみたりもしたが、ない。



だが、怪しい。すごく怪しい。
右の藪の辺りに、何かあるような気がする。
怪しいので・・・
 突 入 。
新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 13
おらっしゃあああああああああ!!!
新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 14 藪の壁を掻き分け、潅木がふさぐその場所を覗き込んでみると、予想通り隧道を発見!
実際、植物をよけてみないと全くこの場所は見えなかった。写真を撮るのにも潅木を押さえながらなので、ひどく苦労したものである。

これぞ昭和5年(2年説あり)竣工の、大山隧道である。
もっとも、現地でこれを発見したときは「大」の字が「六」にしか見えなかったため、六山隧道だと思ったが。

隧道が見つけにくかったのは、藪に覆われてそもそも見えにくくなっていたことに加え、そのほとんどが現道の路盤に埋まっていたからである。
現道の黒姫大橋は緩やかなアーチ構造になっており、橋の取り付け部分から高度を上げ、かつての大山隧道のほとんどを埋めてしまったのだ。
わずかに見せたそのポータルには、かろうじて扁額が無傷で残り、また見事なデンティルが認められた。
今のところ新潟県でデンティルが備わった隧道というのはこれだけである。

ポータルはカミソリの刃も入らぬほど緻密に積まれたコンクリートブロックで構成されており、わずかに覗くアーチを見る限り、内部もコンクリート製であるようだ。
もっとも、完全に埋められてしまった坑口からはその内部構造をうかがうことは不可能。
新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 15 隧道に確信を得たことで、もう一度最初に想像した南側の坑口を探してみた。
できれば旧道の路盤に立ちたかったが、ずぶ濡れにならない限り、それは難しそうだ。
この日はこれからフェリーに乗って帰らねばならないので、あまり物騒ないでたちになるのは困る。
そういうわけで橋の上から目をこらして坑口付近を眺めたところ、確かに南側坑口があることを確認。
こちら側は塞がれておらず、旧道の路盤に立ちさえすれば、内部に入ることはできそうだ。
新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 16 旧道に立てない以上、橋の上から眺めていくしかない。
上で紹介したとおり、大山隧道を抜けた先の旧道の路盤は極めて薄いうえ、すぐに大規模な土砂崩れでふさがれてしまう。
新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 17 しかし、土砂崩れの先の痕跡のなさは普通じゃない。
それもそのはず、大山隧道は全部で3つあり、先ほど見た隧道が第一、 そして土砂崩れ地点から先のこの辺りの地中を第二隧道(延長は203.1メートルもある)が貫いているはず。
第二大山隧道の北側坑口は、先ほどの土砂崩れで埋まったようだ。

先ほど怪しんだコンクリートの補強であるが、本来の旧道の路盤から1メートル程度高い位置にあり、どうもあれは道路関係のものではなさそうだ。
新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 18 第二大山隧道の南側坑口は、まだ何とかその所在地がはっきりしていた。
とはいっても土砂崩れとその上を覆う藪に包まれ、たとえ海を渡れたとしても内部進入にはてこずるだろう。
まだ何とか存在感を示すロックシェードが、地中より生えてきている。
あそこが第二大山隧道南側坑口であることは間違いない。
新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 19 第二大山隧道の南側坑口からすぐ、再び旧道の痕跡が消える。
右下に写る路肩の石垣の延長線上に道があったはずなのだが、そこも土砂崩れに埋まってしまった。
また、想像されるその路盤はまたも岩盤の中に吸い込まれている。
あの緑色の土砂崩れの下に、第三大山隧道の坑口があったと思われる。
新潟県道45号 佐渡一周線 黒姫大橋旧道 大山隧道 20 第三大山隧道が地中を進む岩が、黒姫大橋の終点となる。
したがって、第一大山隧道がそうであったように、第三大山隧道の南側坑口は一応陸路でアクセス可能であるはずなのだが・・・

推定されたその場所はやはり土砂崩れによって塞がれているようである。
ただ、ちょっと記憶があいまいなのだが、ブロック脇で藪に埋もれた看板は立ち入り禁止の看板だったような気がする。
それが旧道に付随したものであるとすれば、少なくともかつては、どうにか進入可能な坑口があったのかもしれない。

非常に藪が深く、秋の時期に立ち入るのは・・・できませんでした。
大山隧道詳細図 最後にこの場所の詳細図を掲載しておく。
旧道に入るべき両端の隧道はいずれも塞がれている上、切り立った波打ち際を歩いて迂回することは難しい。

・・・この透き通ったマリンブルーの入り江を泳いでみる?
両津港出航まで3時間を切った。
内海府海岸の終点は、両津の港である。
私はその場所から、再び海を渡らねばならない。

初日に秋の廃道の怖さを教え、二日目にはここ以外では味わえない感動を与えてくれた。
多くの感動を胸にしっかりとしまいこみ、私は両津港に向けてペダルを漕ぐ。
再来を誓いながら・・・


(佐渡一周編その8(初日の模様)に続く・・・かも)
[ 06' 10/1 訪問 ] [ 07' 2/9 作成 ]
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