国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 4

概要

国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群の地図 昭和30年代の改築によって、永豊8号は姿を消した・・・
わけではなかった!

4-1 永豊8号隧道

国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 61 もう一度位置関係を整理しておこう。
右に写る覆道が「覆道D」の昭和40年代に後設されたと思われる部分であり、手前が永豊側、奥が豊浜側である。
覆道はこの奥で岩山に吸い込まれており、その位置に永豊8号隧道があった。
先ほど通過したとき、8号隧道は昭和30年代の改築の結果、拡幅とコンクリート巻き立てによって消滅したものと考えたが、覆道と岩山との間のわずかな隙間はどうやらそうではないことを示している。
ちょっと豊浜側に戻り、その隙間を確認してみよう。
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 62 覆道が岩山に突っ込むその境目からは土砂が流入していた。
おまけに漏水が凍ってさながら氷瀑のようだ。

ここを登らなければ隙間は確認できない。
杭や金属の巻き立て部分を支えにしながら、暗闇の隙間を求めて猛進する。
ゴキブリみたいで悲しい。
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 63
kitaaaaaaaaaaa!!!!
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 64 間違いない、失われたと思われた永豊8号隧道だっ!!!
昭和の改築工事の結果、コンクリートの覆工でその幅員を1メートル以下に狭められながらも、向こう側の光が見えている!
いけるのか、どう考えても、奥は入口よりも狭いぞ・・・
詰まったら出てこれないぞ・・・
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 65 狭さの元凶はこのコンクリートの壁にある。
これまでの隧道にも見られたように、素掘りの大正隧道を山側に拡幅すると同時に、その大正隧道をも巻き込んで覆工で覆ってしまうのが昭和30年代のこの道の改築方法だった。
その代表が永豊5号隧道であり、これを隧道が残される範囲で極限まで突き詰めた姿が、この永豊8号隧道といっていいだろう。

「隧道のコンクリート覆工の裏側を歩く」なんて滅多にできない経験で、狭く暗く黴臭い陰鬱な大正素掘り隧道にあってやたらテンションは高かった。
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 66 入口から見たとおり、進めば進むほど道幅は狭くなっていく。
すでに前を向いては進めなくなっており、覆工にへばりつきながらカニ歩きが精一杯。
天井も低いし、ゴツゴツしたでっぱりが行く手を塞ぐ。

大きな崩落はなく、地盤は悪くなさそうだが、必然的に岩盤にドカドカと頭がぶつかるわけで、不安感は半端ない。
こんなところで詰まって死んだら、化石になるまで出てこれないなあ・・・
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 67 限界!

もう数メートルは行けそうだが、この先は足元がなくなっていた。
改築工事の結果か、ここから地盤が1メートル近く下がっている上、覆工から張り出した出っ張りが邪魔をしている。
さらに、漏水が凍って氷の滝となっており、なくなった足元に落ちてしまえば、そこは二度とは這い上がれぬ奈落の底。
上で書いたように化石となって未来人に発見されるか、物好きが探索して私の遺骸を発見するかだ。
後者なら、その物好きとは私の生まれ変わりに違いなかろう・・・


旧旧道である永豊8号隧道は延長38.5メートルと記録されている。
これを改築した旧道の隧道も大体そのぐらいだ。
進めたのは入口から30〜35メートル程度で、出口の光までは到達できなかった。
無理に進めば、奈落に落ちるか狭さに詰まるか、いずれにせよここが墓場になる。

4-2 永豊9号隧道の痕跡

国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 59 帰りも覆工にへばりついてカニ歩きで帰ってきた。
変な蟲とか持って帰ってきてないだろうな?


写真は前回も掲載した、永豊8号隧道から続く「覆道D」から海側に出て撮影したもの。
前回お伝えしたとおり、覆道Dはいくつかの時代のものが連結されてできている。
写真に写る部分はその中でも新しいものと思われる場所だ。
ここで注目したのは、写真の右端に写っている岩の柱。
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 68 何度も同じ写真が出てきて申し訳ないが、これは上の写真の部分を振り返って撮影したものである。それに岩の輪郭に補助線を加えた。

私は現地であの岩の柱に不自然さを感じた。
太線で示した、あのきれいな曲線が・・・
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 69 十中八九、こういうことだと思う。黄色で示した部分を開削したのである。
おそらくここには大正隧道があった。
順当に言えば、永豊9号隧道となる。
永豊9号隧道の延長は5.5メートルと記録されており、「柱」と表現できるほど短い痕跡であることとも一致する。

4-3 永豊10号隧道

国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 70 上の2枚の視点が高くなっているのは、この雪の斜面を登ったからだ。
左端に写っているコンクリートが覆道Dであり、旧道はまた地中に潜っている。
ということはここにも旧旧道があることを考えるのが当然であろう。
実際、坑口は雪にほとんど埋まりながらも、上のほうでわずかに口をあけている。
中を覗いてみると・・・
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 71 THE・融合!

永豊5号隧道と同様、昭和30年代の改築によって、大正時代の隧道と拡幅されて誕生した隧道が中途半端に融合していた。
その結果生まれた明り取りの横穴が独特でたまらんねえ。
水銀ゼロ使用の蛍光灯よりも、自然エネルギーで発電して点灯させるよりも、はるかにエコでしょう。
人類が滅亡しようとも、その場を照らし続けることができる究極のエコ照明。
実際、廃道の様相は人類が滅亡したかのようであり、そういったところに存在を許されるものこそ、自然に認められたエコな存在なのかもしれない。
土砂崩れ、崩落、残る素掘り隧道、・・・全部自然に認められ、存在を許されたものだ。
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 72 ここが、永豊10号隧道、その今の姿である。
やっと3分の2だよ(笑

入口側は改築による侵襲を全く受けていないのに対し、出口側はほとんど新隧道に奪われてしまっている。
左の地中から来た新隧道が一気に迫ってきた印象を受ける。
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 73 振り返って入口を撮影。
こちら側は上から降ってきた土砂に埋もれかけている。
吹き込んだ雪や氷でこれまた上り下りには緊張した。


永豊10号隧道は延長18メートルとある。
今通った地中区間もそれくらいであることから、10号隧道と断定していいだろう。
このことからも、8号隧道と10号隧道の間に9号隧道があり、その痕跡が「岩の柱」という仮説を支持する。

4-4 覆道Eと永豊11号隧道

国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 74 永豊10号隧道を出ても20メートルほどの覆道(覆道E)が続く。
この覆道も形状の違う2つの覆道が連続したものだ。
手前側のより歴史のありそうな(そして細くて脆そうな)柱は地圧に負けて粉々に砕け散っていた。

その瞬間はどんな音がしたのだろう?
その瞬間はどんな風に砕けたのだろう?
そしていつこの覆道はまとめて崩壊するのだろう?

興味は尽きない。
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 75 同じ「覆道E」の新設部分。
横穴がない部分は地中を進んでおり、すなわちここにも大正隧道があったことが考えられる。
覆道から海側を覗いてみたが、今度こそ何もなし。
永豊11号隧道は昭和の改築工事によって消滅した。
延長は20メートルと記録されており、目の前の昭和30年代隧道とほぼ同じである。

4-5 覆道Fと永豊12号隧道

国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 76 11号隧道跡からも隙間なく覆道が続く(覆道F)。
写真は振り返って撮ったもので、比較的長い覆道であることがわかる。
一面が錆びまくった金属の補強に覆われており、廃道独特の一種異様な空気が体中をくすぐる。
その悩ましさといったら、耳元でささやく睦言のようなのだ。ぞくぞくぅ。
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 77 「覆道F」もそのまま地中に吸い込まれる。
地中部分は短く、20メートルもないだろう。
ここは海側の地山が少なく、旧旧道は存在し得ない。
すなわち、この隧道も大正隧道である永豊12号隧道を拡幅した姿である。

4-6 覆道Gは冬期通行止め

国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 78 12号隧道に続く覆道は「覆道G」。
写真は「覆道G」から外にカメラを出し、道の先を写したものだ。
海と崖に挟まれた狭い空間に道が身を捩っていることがわかる。
道の終わりは崖の陰になっていて見ることができない。


そして、写真ではわかりにくいが、この先に「ただならぬ予感」を感じさせる光景が、ここにあった。
進退を決断する、不気味な光景が───
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 79
ブッ潰れてるねえ・・・
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 80 ここまで崖べりの危うい地形に続いたいくつもの覆道。
7つ目にして、ついに大地という強大な力に屈する時が来た。
いやいや、これまでの6つの覆道と隧道群が無傷であったことを褒めるべきか。

「覆道G」も古風な柱を持つ独特の外観をしたものであったが、どうやら頭上からの落石によって崩壊したようである。
「ゴシャァッ」という擬音が聞こえてきそうなほど痛快に潰されていた。瓦礫に覗く覆道のアーチが痛ましい。
崩落部分には空がひらけており、貫通しているという意味ではいまだ通行を許すことは間違いない。
道としての使命が、ある地点と別の地点を貫通させ、そこに人なり動物なりの通行を許すものというのならば、道路探索者としての使命は何か。
それは、顧みられることのなくなった道路の使命を果たさせてやることにつきる。
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 81 崩壊地点の海側から外をのぞくと、そこは足元十数メートルの絶壁の上だった。
崩壊地点を迂回していくことは、海岸線に下りない限り不可能である。
また、おそらくは崩落土砂を乗り越えていくことはさほど難しいものではなさそうに見えた。
ただし、それは夏場に限る。
崩落土砂を雪がやんわりと覆い隠した現状では、瓦礫の上は一面の落とし穴と考えるべき。
転落死とは何も海側に転げ落ちるものとは限らないということを、私は知っている。

以上、explorerの観察と経験による情報。
そこから導かれる結論は・・・


撤退!!
道路探索者の使命?なにそれおいしいの?
永豊5号隧道から永豊8号隧道の配置
幅員50cmとなった永豊8号隧道から、開削されて消えかけた9号、改築されつつもいまだ生き残る10号、完全に吸収された11号と12号、そして崩壊現場と、千差に富んだ区間である。
いくつかの覆道は昭和40年代に統合されており、それ以前はそれぞれに隧道名が与えられていたが、いまやどの覆道がどれなのかは判然としない。
「覆道G」は、わずかな隙間を残して瀕死の状況であった。
それでも息絶えていない以上はその使命を果たさせてやりたかったが、まあ時期が悪いよね。
岩と岩の間が数メートルの深さで穴が開いていたりすることはよく有るし、今はその穴を薄い残雪が覆い隠している。
真っ白な雪の下が真っ黒な暗闇というわけだ。

心配せずとも反対側からのアプローチという手段が残されている。
残りわずか3つとなった大正隧道がどうなっているか、まだその探索手段が尽きたわけではない!
[ 12' 3/23 訪問 ] [ 12' 5/19 作成 ]
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