国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 5

概要

国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群の地図 「覆道G」の崩壊により、それまで越えてきた数々の覆道や隧道を再び引き返す羽目になった。
「雪がなければ自転車担いで越えようとしただろうな・・・」という悔しさを噛み殺し、現道の長いトンネルを抜けるとそこは雪国旧道の反対側でした。

5-1 旧道永豊側

国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 82 写真は国道の新旧分岐地点。写っているトンネルは現道の大平トンネルである。
旧道はこの左側に分かれていくが、すっかり雪に埋まっていて現時点ではほとんど意識されない。
一応、現道から数メートルくらいは車でも入っていくことができ、そこを駐車場として利用させてもらった。
ネズミ捕りが待ち構えやすい場所でつね・・・
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 83 その先はひたすらに続く雪原の道。
比較的締まっていそうに見える雪の上も実際には落とし穴であり、5歩中1歩くらいは膝まで埋まる。
靴の中を雪まみれにして感覚もなくなりつつある中、猛る感覚は隧道への熱意のみ。
あるべきそれを目指してズボズボと進んだ。

5-2 覆道H

国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 84 雪の中を進むこと5分。
汐見トンネルと同タイプの、要石がないコンクリートポータルと出会う。
あのトンネルと同タイプということは・・・
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 85 やはり。
銘版は金属製で、そこには「鷹の巣トンネル」「1973年11月」とあった。
反対側の銘版は失われていたが、大理石製であったことは確かだし、扁額には「鷹の巣隧道」とあったことから、こちら側だけ改築されていることがわかる。
延長は632メートルと書かれており、改築後の数字である。


トンネルとはいってもしばらくは覆道(覆道H)が続いている。
坑口の海側には遠くに素掘り隧道が見えたが、おそらく内部を通って近づけると判断したため、まずは中に入ってみよう。
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 86 内部には廃土が詰め込まれており、そのうえ金網で封鎖されていた形跡がある。
もっとも、封鎖の左半分は人為的に取り外されており、坑口の横に立てかけられていた。
現道に接する部分として封鎖されるのはもっともなことであるが、これほどまでにゆるい封鎖であることは北海道では珍しい。
廃土の上を歩くのは毎度ながらあまり気持ちいいものではない・・・足場がとにかく悪いのだ・・・
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 87 ややも行くとまた横穴が開いていた。
外に見えた素掘り隧道にはここから行けるに違いない。
外に出てみよう。

5-3 永豊14号隧道?

国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 88 外に出るとその先には素掘りの大正隧道。
出口側が崩落してふさがりかけており、洞内の光は頼りなく見えた。
なにより、その崩落土砂の上をうっすらと雪が覆い隠しているのが気がかり・・・


ところでこの隧道の手前にある、右側のコンクリートは覆道Hの続きである。
さきほど横穴から出てきた場所のコンクリートとは明らかに時代が異なるもので、新しく見える。
実はこの場所、昭和56年の元日早々に山側からの土砂崩れ(土砂量3,000立方メートル)によって埋まった場所なのだ。
この災害によって、52日間も通行不能になったという。
それまでにも再三の土砂崩れによって通行不能となることが多く、これを契機として現道の大平トンネルが計画されたのである。
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 89 そんな土砂崩れ現場の目の前にあるこの大正隧道。
間違いなくその瞬間を目撃したわけだが、幸いにしてその影響を受けることはなかったようだ。
昭和56年の土砂崩れ当時にはすでに廃止されており、現道が崩壊したにもかかわらず、今もこうして光は通している。

目測十数メートルほどの地中を進んだ後、外に出ている。
さて、果たしてこれは永豊何号隧道なのか?
覆道Gの崩壊現場を迂回し、反対側からアプローチしたため、順番に番号を割り当てることはできなくなってしまった。
反対側からアプローチしたということは、一連の永豊隧道の最後である永豊15号隧道と想像できる。
しかし、昭和30〜40年代の改築や昭和56年の土砂崩れによって、もっと手前にあった隧道が消滅した可能性は否定できないうえ、資料にある永豊15号隧道の延長はわずか3メートルしかなく、今目の前にある隧道の延長とは大きな隔たりがある。
方や、永豊14号隧道の延長は13メートルとされており、目の前の隧道の延長に近い。
結論としては、永豊14号隧道であるといわざるを得ない。

では、最後の隧道である永豊15号隧道はどこにあったのだろうか?
14号隧道より永豊集落側には、その存在を匂わせるような地形はどこにも見つけられなかった。
地形改変か土砂崩れか、いずれにせよわずか3メートルしかなかった隧道は今に生き残ることはできなかったらしい。


何とか生き残った永豊14号隧道に進入。
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 90 うーん、この雪の斜面はあまり登りたくないな・・・
崩落した隧道(正確には出口の土砂崩れ)にあって、恐怖の対象が頭上ではなくて足元にあるってのも不思議なものである。
シチュエーションは覆道Gの崩落を迂回したときと同じであって、その足元が落とし穴になっているかもしれない。
まあ、ここは高さがないし、露出した岩を手掛かりにすれば、何メートルも転落することはあるまい。
ちょっと怖いけど・・・
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 91 そんな感じで登ってみました。
幸いにしてズボッといくようなことはなく、その頂上から向こう側を覗くことができた。

まず目に飛び込んできたのは、向こう100メートルほどのところにある、小さな素掘り隧道だ。順当に行くなら、永豊13号隧道ということになる。
しかしながら、そこまでの旧旧道の路盤は徹底的に傾いた雪に覆われており、傾いた地面ならばまだしも、スキー場のゲレンデみたいになったこんなところを歩いてはいけない。

路盤は全体的に左にカーブしており、13号隧道の向こう側すらも見通せた。
よく見ると、永豊11号、覆道F、永豊12号、覆道Gも見えた。■拡大写真
覆道Gの崩壊部分は陰になっていて見えない。

山側には昭和時代の道がなく、この区間はずっとトンネルになっているようだ。
この先の“ゲレンデ”を進めないのなら、昭和時代のトンネルに迂回する必要がある。
そんな迂回路ですら廃トンネルだというのだから、なんと贅沢な道であることよ・・・!!
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 92 覆道Hに戻り、さらに先を目指す。
昭和の道も永豊14号隧道の横で地中に潜っている。
相変わらず廃土の山が続いており、その向こうに出口の光が見えた。
出口を出れば、そこは永豊14号隧道すらも通り過ぎた先のはずだ。

5-4 覆道Iと永豊13号隧道?

国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 93 トンネルを出たところで廃土の山も終わる。
そして、そのまままた覆道に連結する(覆道I)。
覆道の出口がどうかなってるんだけど、まあ今は目を背けるとして、通り過ぎたであろう永豊13号隧道に向かってみる。
覆道の横穴から外に出た。
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 94 振り返ると、やはりそこは永豊13号隧道の出口側。
今の時代には絶対にありえないほどの小さな地山が時代を感じさせた。
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 95 延長は10メートルくらいか。
資料にある永豊13号隧道の延長は9メートルであり、よく一致する。

ほんの数歩で通り過ぎてしまいそうなミニ隧道。
自然の力としての崩落・埋没、人類の力としての撤去、隧道を消す力はいろいろあるだろう。
それらの力に耐え、生まれてから100年近くの時間をよくぞ生き延びたものだ。
そう思うと、一連の永豊隧道群はどれも感慨深い。
いま目にできるどの隧道も、そういった力の狭間で揺られながら、危ない橋の上に残った構造物のような気がするからだ。
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 96 永豊13号隧道から14号隧道方向を見る。
写真ではわかりにくいが、永豊14号隧道が天井付近でわずかに黒い口を開けているのも見えた。

注目すべきものは雪の斜面の斜度もさることながら、水面からの高さもだ。
ズルッといけば、早春の日本海に沈む前に致命的なダメージを被ることができるレベルである・・・
素直に先ほど後回しにした崩落現場に行くとしよう。

5-5 終点

国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 97 覆道Iに戻り、崩落現場の前に立った。
ここにも雪が堆積しており、崩落土砂の上を歩いていくことは自殺行為である。
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群 98 覆道Iの外から先を眺めると、先ほど引き返した覆道Gが見えており、おそらくこの土砂崩れは覆道Gを崩壊せしめたものから連続しているのだろう。
覆道Iと覆道Gは同一のものである可能性もあるが、現地は雪に覆われていて、崩壊した部分をよく見ることができなかったため、結論は避けておく。
もう少し雪が融けていれば、崩落を乗り越えてその全容を明らかにできただろうに───
後ろ髪を鷲掴みにされるような思いはあったが、それ以上に得た収穫は大きなものだった。
久しぶりに“廃美”が濃縮された廃道を通ることができ、私が探索を始めた10年近く前に立ち返ったような、青く熱い気持ちを思い出させてくれた。
大平トンネル旧道と旧旧道
さあて、隧道のナンバリングはこれでいいものか?
痕跡を含めても14個しか発見できなかったということは、どこかにあと1個あったはず。
最後の1個はもはや史料に頼るほかない。
私は図書館へと飛び、ヒントになりそうな本を求めて司書さんにあれを取ってきてくれ、これを戻してくれと何度も書庫を往復させる傍迷惑な客になっていた。

5-6 残された謎

鷹の巣隧道
ここに一枚の写真がある(写真A)。
これは「1963 島牧村村勢要覧」から引用したもので、昭和38年頃の写真と思われる。
具体的な場所は図のキャプションにもないものの、現在の鷹の巣トンネルの一部であることは間違いない。
その根拠を説明しよう。
鷹の巣隧道今 左の写真(写真B)はレポート中にも使用した、永豊14号隧道から永豊13号方向を写したものである。
矢印で示した場所に、11号隧道と12号隧道がある。
この写真の黄色い枠で囲んだ部分を拡大し、上の写真と比較してみた。
その結果を下の図で示そう(写真C)。
鷹の巣隧道類似点
赤丸で示した部分が一致しており、少なくとも写真AとBが同一方向を写していることは間違いない。

写真Aには赤矢印で示した3つの隧道が確認できる。
写真Bとの類似性から、奥の2つが永豊11号隧道、永豊12号隧道であることは九分九厘間違いない。
そういう意味では、後の改築工事で姿を消した2つの隧道の素掘り時代を残した貴重な写真でもある。

ここで解けない謎がある。
「クエスチョンマークで示した隧道は何号なのだろうか?」
★説1:13号の可能性→現地調査の結果、13号隧道の手前(14号隧道との間)に覆道は設置されていなかった。そのため、考えにくい。
★説2:14号の可能性→14号隧道の手前からは11号や12号隧道はこれほどはっきりとは見えない。なので、考えにくい。
★説3:15号の可能性→14号隧道と同様の理由により、考えにくい。

・・・・どれも否定されてしまうじゃないか。
何も難しく考えなくとも、写真Aに写る覆道の形状と撮影範囲から判断すれば、撮影位置はレポートにおける13号隧道のやや先、覆道Iの崩落現場のやや手前であろうと想像される。
ただ、このように仮定すると、写真の隧道が永豊12号隧道と永豊13号隧道の間にあった隧道という結論にならざるを得ない。
永豊12.5号隧道・・・なんてわけはないから、
★説4:問題の隧道が本当の13号隧道で、レポートで13号と紹介した隧道が実は14号、レポートで14号と紹介した隧道が実は15号だった。本当の13号隧道は覆道Iと覆道Gの間にあって、崩落によって消滅した。
という結論がスマート。
この説の弱点は、資料にある15号隧道の延長(3メートル)と、今に残る推定15号隧道(レポートで14号と紹介した隧道)の延長(10メートル以上はある)が矛盾することだ・・・

それにしても、★説4であったならば、これほどロマンを感じることはない。
だってほら、この白黒写真の中に、今では存在しない素掘り時代の11号と12号隧道、さらに消滅した13号隧道まで写っているのだよ!
古きをたずね、更なる古きを知る───
目の前にあるものも、姿形を変えながら、連綿と歴史を紡いできたことは間違いない。
今や見ることができなくなった嘗ての姿形に想いを馳せること、それがロマンというものだ。
だから廃道はおもしろい!
[ 12' 3/23 訪問 ] [ 12' 6/9 作成 ]
前の記事へこれより先の記事はありません
ひろみず http://d-road.sytes.net/ webmaster@d-road.sytes.net
国道229号 大平トンネル旧旧道 永豊隧道群12345