国道253号 儀明峠トンネル旧道 儀明峠 0

概要

国道253号 儀明峠トンネル旧道 儀明峠の地図 国道253号は新潟県上越市を起点とし、山間の南魚沼市に至る路線である。
今回紹介する儀明(ぎみょう)峠はその中間地点、旧大島村太平と旧松代町儀明をつなぐ道だ。
国道253号の大部分は明治22年に指定された県道大島線に由来するが、大島線は儀明集落と峠を避け、 やや南よりの現在でいう国道403号で松代に入っており、儀明集落は主要幹線から取り残された形となった。

儀明のほど近くにあり、同じく大島線から取り残された蒲生集落はこれに対抗し、明治の後半、独自に郡道赤倉線を整備、 やがて儀明峠を抜け、大平にまで至る郡道北平線が開削された。
資料でははっきりしなかったのだが、北平線は測量までは行われたものの、実際には開通しなかったか、 少なくとも車馬が往来できるものではなかったようだ。

大正9年、県道大島線は県道十日町直江津港線と名称を変更。どうやらこのときに路線の変更も行われたらしく、 十日町直江津港線では儀明集落を通過する形で指定されている。おそらく、先の北平線を儀明〜太平間の路線としたのだろう。
さらに、県道十日町直江津港線は昭和30年(28年という情報もあり)に主要地方道直江津十日町線としての指定を受けている。

戦前から戦後にかけて、儀明〜太平間の車道開削の話が上がったものの、実際に具体化したのは昭和24年頃であった。
この頃、大島村側から車道整備の話が持ち上がり、路線設定に揉めたものの、 昭和31年、ついに現在我々が地図上で目にする形の儀明峠越えの車道が完成、 悲願の車道開削とあって、このときの儀明をはじめとする沿線集落の歓喜の声は並々ならぬものだったそうだ。

こうして開通した車道は昭和35年から38年にかけて県営の直轄事業として整備され、車道開削から9年後の昭和40年、 一般国道253号としての指定を受けるにいたった。
ちなみに、車道開削に当たって尽力した小堺元一郎翁は周辺自治体との連携に奔走し、山間の儀明集落のためと、代用教員を辞め、 村議、部落長として運動を推進した。
しかしながら、翁が開いた峠道も今日の交通には耐えられず、現在では昭和54年に開通したトンネルで峠下を突き抜けている。

翁の道は今ひっそりと藪に埋もれ、トンネルを通るドライバーが往時の苦労を偲ぶことはない。
周辺は見事な棚田が広がる山間の田園地帯、そこに開かれた道の今を見にゆく。

0-1 旧道探し

国道253号 儀明峠トンネル旧道 儀明峠 1 この日、県道78号の未通区間を突破してきた私が国道との合流地点で目にしたものは、色鮮やかな二つの橋梁であった。
現在いる黄色い橋は県道の田麦大橋で、奥に見える谷間にかかる蜘蛛の巣のような赤い橋が国道のものである。

黄と赤、そして空の青と木々の緑。鮮やかな原色に彩られた光景に、しばし暑さを忘れ、見惚れた。



あの長大橋であれば、旧道があっただろう。
地図を見ると向かって右側に、橋のたもとからこの付近へ降りてくる道があり、これが旧道と思われる。
しかしながら、降りてきた旧道が橋の左へと抜けていく道は見当たらない。

あらかじめ目的地を設定していれば、事前に調査をしてくるのだが、今日は暑さのあまり予定のルートを外れ、 近道をするつもりでこの道へと踏み込んだため、古い地図などを用意していなかった。
そのため、旧道の「匂い」で探索にあたったわけだが、あいにく旧道を見つけることは出来なかった。
それらしい分岐を見つけ、藪をかき分けながら進んでみたのだが、ただの砂防ダムの工事用道路の跡だったり、 別なところに当たりをつけ、延々道なりに進んでみた先は見当違いの方向に出たりと、 30度は超えていたであろう暑さの中、精神的にも肉体的にも大きな消耗となってしまった。

思えば、この失敗からすでに、峠越えの行く末をほのめかしたものだったのかもしれない・・・
国道253号 儀明峠トンネル旧道 儀明峠 2 帰宅後の調査によると、どうやらこの分岐付近から先ほどの橋の左側へと続いていたようだ。
だが、現道に付け替える際に周辺の地形が大きく変えられ、かつての道は存在しないようである。
もっとも、現場ではそれを知らず、目の前の道を旧道と見て突入してしまったのだが・・・
国道253号 儀明峠トンネル旧道 儀明峠 3 道はこんな感じで、国道旧道といわれたら、信じてしまうでしょ、これは。
この道は現在ではただの農道で(昔からただの農道だったんだが)、引き返す決め手もないまま、ひたすらに登ってゆく。
国道253号 儀明峠トンネル旧道 儀明峠 4 ただ、よく整備された美しい棚田が広がる光景は見事である。
周囲の山々と比べてもわかるとおり、この辺もそれなりの高地であり、標高は250メートルを越える。 このような山間の地にまでわずかな平場を見つけ、あるいは作り、開墾してしまう人間の力強さを感じた。

0-2 儀明峠入口

先ほどの農道を抜けるとやや広めの道に出る。さらに進めば、目的地の儀明峠トンネル旧道に出るが、接続点はトンネルよりも高い位置にあり、 トンネル旧道を最初から最後まで正確にトレースしようとするならば、いったんトンネル付近まで降りる必要がある。

余談だが、儀明峠トンネル北口には大山温泉がある。この温泉はトンネル掘削中、峠に安置された薬師像直下から湧き出たもので、 薬師様から授けられた霊泉として人気が高い。
汗だくでこの地に降りてきた私もご利益にあやかりたかったものだが、あいにく時間が押しており、付設のレストランで遅めの昼食をとるにとどめた。
国道253号 儀明峠トンネル旧道 儀明峠 5 店内のクーラーですっかり体が冷えてしまったのであるが、外は初夏を過ぎて真夏の日差し。 アスファルトの熱波にうんざりしながらも、補給を終えてペダルを漕ぐ力にも気合が入る。

写真は現道である昭和54年竣工の儀明峠トンネル北口。
トンネル坑口にはスノーシェッドが付属しており、実際の坑口を見ることは出来ない。
そのため、本来坑口上部に掲げられるはずの扁額は、わざわざ足場を組んでスノーシェッドの前にでかでかと掲げられていた。
扁額自体も普通のものの倍の幅はあろう。さらに、青銅のような鮮やかな青を背景とした扁額は非常に目立つ。 なにやら、この峠の開削に苦心した翁や沿線住人の気概が伝わってくるようではないか。
国道253号 儀明峠トンネル旧道 儀明峠 6 一応旧道の北側入口。だが、周囲はかなり地形を変えられ、本来の接続点ではない。
また、この道は先ほど休息をとった大山温泉への入口であるとともに、旧道モドキたるあの農道への接続点であり、 このまま200メートルほどは現役で利用されている。
国道253号 儀明峠トンネル旧道 儀明峠 7 その途中からは儀明峠トンネル本来の坑口が見えた。
藪が邪魔ではっきりとは望めなかったが、扁額が掲げられていた様子は無く、 先ほどのスノーシェッドと巨大な扁額は竣工当初からそういう設計だったらしい。
国道253号 儀明峠トンネル旧道 儀明峠 8 ここが本当の旧道入口である。

否、旧道の真髄の入口だ。

この入口の手前で道は二手に分かれ、左は農道へ、直進は旧道の続きとなる。
簡単な車止め代わりの鎖が道を横断しているほかは、旧道を示すものは何も無い。 お決まりの不法投棄禁止やら立ち入り禁止やらといった看板もだ。
それならば、遠慮なく突入させていただこう。

もっとも、「立ち入り禁止」や「通行止め」といった挑発的な文言がないのも、ややさびしいものではあるが。
車止めの先、旧道の真髄は次回。
この日は厄日だった。
[ 05' 6/25 訪問 ] [ 05' 11/2 作成 ]
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