国道278号 日浦トンネル旧道 日浦岬の原木隧道(原子隧道) 3

概要

国道278号 日浦トンネル旧道 日浦岬の原木隧道(原子隧道)の地図
封鎖を越えてから歩いた距離は300メートルにも満たないのに、素掘りの廃隧道が四つも連続した。
この間どこを見ても凄まじく危うい道のはずなのに、足が止まらない。
まだ、引き返せない。

3-1 自動車道路だった

国道278号 日浦トンネル旧道 日浦岬の原木隧道(原子隧道) 33 四号隧道より先は・・・また陥没。
水平方向の隧道と垂直方向の陥没と、穴好きにはたまりませんね(そういう意味ではない)。
国道278号 日浦トンネル旧道 日浦岬の原木隧道(原子隧道) 34 初めて現れた舗装はコンクリート製の簡素なものだった。
竣工当時としては珍しく、コンクリートによる部分的な舗装はされていたという。

目の前のコンクリートは後に付け替えられたもののように見える。
もっとも、それもご覧の有様。
その下の路盤は流れ去り、空洞になったそこに落ち込んでいたり浮いていたり。
国道278号 日浦トンネル旧道 日浦岬の原木隧道(原子隧道) 35 隧道内では上が、隧道外では下が危うい。
浮いたコンクリートに体重をかけてはどうなるかわからない。
山側の地山を歩いた。
国道278号 日浦トンネル旧道 日浦岬の原木隧道(原子隧道) 36 キモっ

石垣を外からコンクリートで覆ったような構造のうち、石垣のほとんどが消えてなくなってしまった。
どうやったらこんな崩れ方をするんだ。
国道278号 日浦トンネル旧道 日浦岬の原木隧道(原子隧道) 37 路肩の石垣は消え、舗装も路盤もなくなったただの海岸線。
それでも、開通以来、ここが確かに準地方費道(昭和3〜29年)、一般道道(昭和29〜45年)、そして天下の国道(昭和45〜48年)だった時代があったのである。
開通後、この場所にはバスも通った。戦時中には、木炭車までも通った。
多発する落石に悩まされながらも、函館との往来に重要な役割を果たしたのだ。

何もないように見えても、頭上に広がる錆びた落石覆いはその歴史を見た存在。
かつての路面は岩の色が変わっているあたりだったと思われる。

3-2 落石に覆われた落石覆い

国道278号 日浦トンネル旧道 日浦岬の原木隧道(原子隧道) 38 原木四号隧道から100メートルほど。
ここまで消滅した路盤は、この先の岩を掘り割った部分で復活している。
そして、ちょうどその場所に、"変なもの"が乗っかっている。
普通では、ないよね・・・
国道278号 日浦トンネル旧道 日浦岬の原木隧道(原子隧道) 39
うっわわわっわっわ
国道278号 日浦トンネル旧道 日浦岬の原木隧道(原子隧道) 40 何がどうなっているのか? いや、何がどうなっていたのか?
どこが上でどこが横なのか?
まさかこんな三角屋根の落石覆いであったというわけではあるまいに。

原型すらも、想像がつかない。
国道278号 日浦トンネル旧道 日浦岬の原木隧道(原子隧道) 41 この場所で発生した崩落により、古びた落石覆いは正視できぬほど無残な姿を晒していた。
かつてはその内部にバスをも通したはずの空間は完全に圧壊しており、その上部に積もった瓦礫の上を越えて行くしかない。

瓦礫の量としては、三号隧道の先で起こっていたそれよりはずっと少ないが、直撃を受けたロックシェードは耐えられなかったようだ。
・・・こんな角ばった岩塊・・・痛かったろうなあ・・・
国道278号 日浦トンネル旧道 日浦岬の原木隧道(原子隧道) 42 日浦側にはほんの少しだけ、かろうじて直撃を免れた部分が残っていた。

しかし・・・ここも何がなんだかわからないほどグシャグシャになっている。
目の前を斜めに横切る鉄骨も、もともとは垂直に立っていたようだ。
それがこんにゃくか何かのように、ぐにゃりとねじれ、あらぬ方向を向いている。
路盤は消滅して覆道の中に2メートルほどの谷を形成し、左奥の鉄骨など宙に浮いているではないか。

ぞっとする光景だった。
国道278号 日浦トンネル旧道 日浦岬の原木隧道(原子隧道) 43 崩れた瓦礫を伝い、慎重に下まで降りる。
正直言って、内部には、入りたくなかった。
この日の強烈な風は圧壊したこの覆道の中にも勢いよく吹き込んでおり、千切れかけた鉄骨をユラユラと揺らしている。
万が一にも頭上に落ちれば、私の体など豆腐を切るより簡単に真っ二つになるだろう。

そうでなくとも、足元の瓦礫がどの程度安定しているのかわからない。
足を乗せると揺れるような岩だってある。
国道278号 日浦トンネル旧道 日浦岬の原木隧道(原子隧道) 44 振り返って撮影。私は瓦礫の山の稜線から中まで降りてきた。
思わず息を呑むほどに凄惨な光景だ。
なまじ現役時代の姿をかろうじてとどめているだけに、事の残酷さが痛感されてしまう。
怖い、怖い、楽しい、怖い。
国道278号 日浦トンネル旧道 日浦岬の原木隧道(原子隧道) 45 逃げるように脱出し、振り返って撮影。
ここまで来てようやく全容が見えてくる。
幅一車線ほどしかない小さな覆道が、覆道としてのアイデンティティを保てるギリギリのレベルで、どうにか立っているといった感じ。
もっとも、路盤は外骨格を残して流出している。

そう遠くはない未来に訪れる次の一手で、覆道でなくなるだろう。

3-3 原木五号隧道?

国道278号 日浦トンネル旧道 日浦岬の原木隧道(原子隧道) 46 さて、この落石覆いだが、若干の謎を含んでいる。
それは、この道が放棄される直前まで、ここに隧道があった可能性があるのだ。


現道の日浦トンネルがバイパスする区間には、かつて7つの隧道があったとされるが、この数も史料によってばらついている。

・恵山町史「トンネルは原木一号から七号まで七か所
・昭和3年の道路開通記念式典に出席した新聞記者の記事(昭和3年8月25日函館毎日新聞)「見るも恐ろしい岩山をくりぬいた隧道が五ヶ所
・隧道リスト:名称こそ一号から七号まで揃っているものの、五号が欠番=六ヶ所

どうも新聞記事の記述は間違っていたようで、正体は「7ヵ所の隧道が掘られたが、後に原木五号隧道が消滅した」というのが正解らしい。
根拠は昭和43年4月19日夕刊の「北海道新聞(道南版)」で、新トンネル(現道の日浦トンネル)着工を報じる記事に、以下の一文がある。
原木一号から同七号までの七本のトンネルのうち、同五号(約五メートル)は昨年春、落盤がひどいためオープンカットして、いまは大小六本(延べ百七メートル)が残っている。
つまり、延長5メートルという短い原木五号隧道は昭和42年春、落盤対策としてオープンカットされて消滅したのである。
その位置については、恵山町史にあった図に記載されているが、この図はあてにならない。一応以下に引用したい。
原木五号隧道 (恵山町史;2005;1098ページより引用。ただしこの図は上記北海道新聞の図に著者が五号隧道を追加したもの)
一〜七号の数字が隧道リストと逆で、かつ、原木側にあるはずの三連隧道が描かれていない。
この図が正しいのだとすると、レポートにおいて二号隧道、三号隧道とした隧道の間に五号隧道が存在したことになるが、 短い距離で連続していたこれらの隧道の間に別の隧道があったとは考えにくい。

そもそも間違えて描かれていた新聞の図に、町史の筆者が「四号と六号の間に五号って書いとけばいいんじゃね?」と描き込んでしまったのか。
恵山町史は本路線に関して非常によくまとまってるだけに、ちょっと残念。
国道278号 日浦トンネル旧道 日浦岬の原木隧道(原子隧道) 47 写真は帰り際に撮った覆道の外側の部分。

残念ながら、位置特定に関してこれより詳しい史料は持ち合わせていない。
しかし、この落石覆いの場所以外に掘割・地形改変は見られず(目の前に写る立岩もちょっと怪しいが・・・)、 5メートルという短い延長にも合うため、ここがかつての五号隧道だった可能性が考えられる。
さらに、覆道の前後区間の路肩は石垣で構成されているのに対し、覆道の路肩だけが、このようなコンクリート製であり、少なくとも改築されていることは確実だ。
国道278号 日浦トンネル旧道 日浦岬の原木隧道(原子隧道) 46 もう一度、原木五号隧道在りし日の姿の想像図。

昇格まであとたった3年だったのに、五号隧道は国道の名を冠することなく、この世から消えてしまった。
その跡地にでき、狭いながらも国道として車両を通した覆道に与えられた致命的な一撃は、五号隧道の恨みの一撃にも見える。
五号隧道をオープンカットするに当たり、落石覆いの建設や他の隧道への補強工事を行ったものと思われる。
つまり、落石覆いや支保工などは、昭和42年から放棄される48年までの、たった6年間しか使われなかったらしい。
まあ、ないでは済まされない道なのは間違いない。
[ 09' 3/20 訪問 ] [ 09' 5/3 作成 ]
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