国道289号 点線国道八十里越 [前編] 0

概要

国道289号 点線国道八十里越 [前編]の地図
八十里越全体図 (左の図はクリックするたびに切り替わります)
国道289号は新潟県新潟市と福島県いわき市を結ぶ一般国道である。
一応一直線の国道で結ばれてはいるが、福島県の甲子峠付近には自動車通行不能区間があり、「登山国道」として全国的に有名だ。
そしてもうひとつ、新潟県と福島県の県境付近にも、約16kmに亘って自動車の通れない区間があるが、そのルートにもしっかり「国道色」が塗られている。
それが今回の舞台である点線国道───通称、八十里越である。


新潟県と福島県はお隣同士であるにもかかわらず、両者をつなぐ道路というのは片手で数えられるほどしかない。
それは両県の間に越後山脈という山脈が連なるためで、阿賀野川の水運が利用できた越後街道(現在の国道49号)はともかく、 陸路の山越えとなるとその往来には昔から大変な困難があった。
「八十里越」という名称も、「あまりの険しさに八里の道も八十里のように長く感じられる」というところから来ているといわれている。
道の歴史は長く、はるか前史時代にまでさかのぼり、平安時代には平家滅亡のきっかけを作った以仁王が会津側から峠を越えたという伝説がある。
また、戦国時代にも上杉氏の軍勢数千がこの峠を往来しており、峻険な道ではあったが越後と会津を結ぶ重要な街道としての地位が垣間見える。

その歴史においてもっとも有名なのが、北越戊辰戦争で活躍した長岡藩の名将、河井継之助の八十里越えであろう。
長岡城の攻防において足を負傷した河井は、戸板に乗せられて会津へと敗走した。
その途中で詠んだ辞世の句が、
「八十里 こしぬけ武士の 越す峠」
である。

会津と越後を結ぶという至上命題のあった八十里越であるが、それをほぼトレースする現在の国道289号は前述のとおり、21世紀になった未だに車道が通じていないのである。
その原因は、あるときに八十里越の道そのものの利用価値がなくなってしまったことに相違ない。
それは明治後期に開通した岩越線、今のJR磐越西線のためであった。
岩越線の開通により、それまで生活物資を越後地方に依存していた奥会津の人と物の流れは会津若松方面へと向かい、 やがて歴史ある八十里越の道は街道から外れることとなる。
その一方で、掻き立てられる歴史への情慕と「点線国道」という異色のステータスは未だに多くの人を惹きつけてやまない。


点線国道区間は河井や長岡藩士数千名の敗走路となった道とは、一部で重複しつつもかなり異なったルートを通っている(上の路線図を何度かクリックしてください)。
現在の国道は大谷ダムから五十嵐側沿いに上流に入っているが、江戸時代の八十里越は西の尾根をひとつ越えた吉ヶ平から峠へ向かっていた。
現在のルートは明治9年に新潟、福島両県の知事宛てに提出された八十里越の新ルート開削の願い書に端を発することができる。
この願い書では、現在の国道のように大谷村(現在は大谷ダムの湖底に沈んでいる)を経由したルートであった。
しかしながら、願い書の提出から2年後、「新道開削は線路危険の難場多く、成功の見当これ無きに付き」という返答により、机上のままで終わる。
岩越線開通以前の明治半ばには幾度となく改修され、福島県側では大きくルートを変更された部分もあるが、新潟県側は基本的には吉ヶ平から登るルートのままであった。
明治の改修の結果、八十里越は県道に指定されるも、やがて岩越線の開通に伴い、斜陽を迎えることとなる。

ほとんど見捨てられた八十里越に再び光が当たるのは戦後になってからであった。
昭和23年、福島県側から「只見三条産業道路」の開設同盟会が自動車道路の開通を目指して結成され、 このときに新潟県側のルートを吉ヶ平経由から大谷経由へと変更している。
この「只見三条産業道路」にのっとり、昭和33年には大谷から峠直前に至る「塩野淵林道」が開削され、昭和45年には林道と八十里越の峠道がまとめて国道に指定された。
自動車道路の開通を目指した当初の計画では、基本的には、塩野淵林道以外の区間については当時の道(江戸、明治期の山道)を改修して竣工させるつもりであったようだが、 結局今日に至るまで塩野淵林道以外で自動車が通れるようになったところはほとんどない。
平成になってから車道を通すべく鋭意工事が進められているが、いくつものトンネルで県境を越えるルートが計画され、現在の点線国道とはまるで違うルートである。



さて、そもそも旧車道でなければあまり興味のない私なのだが、「点線国道」となれば話は別。
なにより、自転車を買った時点から、「富山入り」「佐渡旅行」と並ぶもうひとつの目的が「八十里越」なのだから。
なぜ点線国道、登山国道の話で唐突に自転車の話が出てきたか?
それはもう・・・

0-1 マミー型テント

国道289号 点線国道八十里越 [前編] 1 6月は週末ごとにやれ学会だ何だとまともに休めた覚えがないまま、とうとう入梅してしまった。
探索も前々日には土砂降りの雨となり、「6月土日全滅」の危惧を覚えたが、幸いにして探索予定日は晴れの予報となり、久しぶりの旅支度を整えた。
ここで、「久しぶり」だったことが後にとんでもない忘れ物をすることにつながるのだが・・・


写真は東三条駅近くの跨線橋から撮影。
緩やかに弧を描く足元の道路はかつての国鉄弥彦線の跡である。
やまびこトンネルの項でお伝えしたとおり、国道は三条からしばらくは弥彦線の路盤を利用している。
弥彦線はもともとの計画では八十里越の峠を越えて福島県入りするはずであったが、果たせなかった。
国道289号 点線国道八十里越 [前編] 2 東三条から1時間半ほど走ると、県道が右に分かれていく。
この県道183号鞍掛八木向線はかつての八十里越に由来する道で、青看に示された吉ヶ平はかつて八十里越の新潟側起点として賑わった地である。
現在でも八十里越をトレースする登山者達に利用されている道であるが、私の目的は八十里越そのものよりも点線国道にある。ここは直進だ。
国道289号 点線国道八十里越 [前編] 3 もう何度目になるか、大谷ダムに到達。
国道はこのダムを越え、登山道になりつつも峠を越えて福島県入りする。
しかし、ダム上流から現在進行中の新道工事のため、一般車両は通行止めになっている。

明治9年、吉ヶ平を経由していた八十里越をこの大谷経由にしたいという請願には、この場所からなら五十嵐川の水運が利用できるという利点も強調されていた。
もしもこのときに路線付け替えが実現していたら、ダムに沈んだ大谷集落の運命も変わっていたのか?
・・・答えはおそらくNOである。
かつて八十里越の拠点として栄えた吉ヶ平の地も、八十里越の道が廃れるのと同時に活気を失い、昭和の中ごろには廃村となってしまったのだから。
国道289号 点線国道八十里越 [前編] 4 家からここまではそう遠くないのだが、日帰りで探索できるほど近くもない。
そのため、今日はダムサイトでテントを張り、明朝早くに出発することにする。
この先実際の登山道=点線国道まではまだかなりの距離があるものの、土曜日の今日ではあのゲートを越えられないだろうし、 越えたとしてもその先は人家もない山中である。野宿には向かない。


ペシャンコのテント、もちろんこれで完成ではないのだが、このときはこれ以上どうしようもなかった。
なんと、あろうことか支柱を忘れてきたのである。
結局このまま中にもぐりこんで寝ることになるのだが、時折近くにやってきた虫取りの家族連れには、人型に膨らむ怪しげなテントがさぞ不気味であったことだろう。
国道289号 点線国道八十里越 [前編] 5 ただでさえ寝心地の悪いテント泊はますます最悪なものとなり、一時間と寝た気もしないまま、午前4時、出発。
あたりには一切人の気配はないが、数台の車や原チャリがこの先を目指していたようだった。

以前大谷ダムを探索したときにはここで引き返しを余儀なくされたが、さすがに日曜日のこの時間には門番もいない。
いざ、八十里越え工事用道路(現役国道289号)へまいらん。

0-2 道の歴史は天と地に

国道289号 点線国道八十里越 [前編] 6 通行止めとなっている工事用道路区間には実は去年の秋にもやはり日曜日に訪れたことがある。
そのときは途中まで行って引き返したのだが、レポートの写真はしばらくはそのときのものを掲載したい。

最初のゲートを越えてややも行くと、もうひとつ古びたゲートがあった。
ダム資料館のおばちゃんによると、かつての封鎖地点は現在封鎖されている場所よりももっと奥であったというから、ここがその場所のようだ。
国道289号 点線国道八十里越 [前編] 7 道は1.5車線だが、沢を渡る小さな橋にはいくつか旧橋が残っているものも散見され、国道工事のためにかなり改良が施されているらしい。
今でこそ人より熊のほうが多そうな道に見えるが、平日はダンプカーがせわしなく動き回っているはずだ。
国道289号 点線国道八十里越 [前編] 8 上空にかかる天の道。
ゲートにあった工事予定看板によると、橋の名称は一号橋梁(長さ239メートル)、見えているトンネルは日本平トンネル(同478メートル)というらしい。
橋は日本平トンネルから現道をまたいでかかっているが、その対岸は地中に突き刺さっており、まだ未開通のようだ。
国道289号 点線国道八十里越 [前編] 9 国道とはいえ、規格は昭和33年に竣工した林道のレベルであり、登りの傾斜はきつい。

ゲートから3kmほど行くと、それまで川の右岸に延びていた道が左岸へと渡る。
写真に写るその橋の名前を「岩菅橋」といい、平成4年に竣工したものだ。
おそらく新道の工事のためにかけられたものだろうが、工事用にしちゃ立派な橋名"岩"である。工事終わったらどうなるんだ?
国道289号 点線国道八十里越 [前編] 10 岩菅橋のすぐ隣には、現・岩菅橋が架けられる前の旧・岩菅橋がひっそりとたたずむ(写真は渡った後に振り返って撮影)。
親柱は健在で、昭和30年竣工と書かれていた。
幅員は現橋よりちょっと狭いくらいだが、大型車が通れないほどでもない。
老朽化のために架け替えられたのだろうか?
国道289号 点線国道八十里越 [前編] 11 左岸に渡った途端、無理矢理なつづらなどで一気に体力を消費させてくる。
そんな中、ふと広い場所に出たと思いきや、見慣れないマークが地面に大きく描かれていた。
これ・・・ヘリポートだよな。
土砂災害などで孤立したとき、あるいは救急車もすぐには来れないこんな場所で急病人が出たときのための緊急用のヘリポートか?

何にせよ、現役国道がヘリポートになっている国道なんてのは、日本中でここだけだろう。
国道289号 点線国道八十里越 [前編] 12 なんという看板・・・
国道289号 点線国道八十里越 [前編] 13 お伝えしている通り、大谷ダムよりも奥の道は昭和30年頃に開削された「塩野淵林道」に由来する。
はるか昔、それこそ明治以前から、このあたりの山中にはいくつかの鉱山があった。
それらを結ぶ道をまとめ、新たな八十里越のルートとして請願されたのが、明治9年の「大谷・富貴平線」である。
大谷を経由する塩野淵林道とこの大谷・富貴平線がどの程度一致するのかはっきりしないが、相当異なっているような気がする。
まさか、明治の頃にこんな崖にへばりつくようなところに道路を通そうなどとは思うまい。
スピードの出しすぎは本当に谷底行きだ。
国道289号 点線国道八十里越 [前編] 14 道は再び右岸へ。
この橋は榾橋(ぼたばし)といい、青い鋼鉄製のアーチ橋だ。
許可された登山客を乗せたバスは、ここまで登ってくるらしい。
国道289号 点線国道八十里越 [前編] 15 またも橋を渡った途端に強烈に登っていき、あっという間に水面からこんな高さまで登ってきた。
目も眩む高さだが、終わりかけた紅葉は非常に美しかった。

昭和33年に国道の前身である林道が開通してから平成のはじめに工事用道路として通行止めとなるまでは、自動車でも入ってこれる道だったはず。
工事が終われば、再び観光用道路としてでも開放されるといいのだが・・・まあ、10年以上も先の話になる(八十里越の車道開通は平成30年代といわれている)。

0-3 三滝隧道

国道289号 点線国道八十里越 [前編] 16 ゲートから約1時間、秋の探索時の目的地であった小さな隧道、「三滝隧道」へと到着。
工事用道路の最深部にある小さな隧道ということで、いったいどんな姿をしているのかと想像していたのだが、意外に普通・・・
名称を示した標識が近くにあるだけで、銘版はおろか扁額もない。
しかし、塩野淵林道の竣工が昭和33年であることから、この頃の竣工と思われる。

坑口付近はコンクリートで覆われているが、内部は素掘りに吹きつけ。
コンクリートの劣化振りを見るに、竣工当時からほとんど改良を受けているような様子はない。
国道289号 点線国道八十里越 [前編] 17 秋の探索は三滝隧道が目的地だったので、ここで引き返した。
しかし、今回の探索はその先の点線国道だ。
地図で見る限り、ここから車道終了地点まではまだ2kmもある。
すでにゲートから高度にして300メートル近くも登ってきているので、体力的にはすでにきついものがある。
写真は三滝隧道の上流側から写す。
あのでかいのはまたダムでも造るのか?
国道289号 点線国道八十里越 [前編] 18 道がだんだんやばくなってきますたよ。
まだ工事用道路が続き、往来もあるのだが、路肩は鉄板で補強されるようなところだ。
この先で柵が備え付けられている場所は小さな橋になっているのだが、それは架設の橋で、かつての林道時代の橋は崩落して川底に転がっていた・・・
国道289号 点線国道八十里越 [前編] 19 ちょうどここは9号トンネルの工事現場らしい。
9号トンネルは新潟と福島の県境下を貫く八十里越最長のトンネル(長さ3173メートル)で、ちょっと前に県境にまで達したというニュースを聞いた。

新道が地中を進むのに対し、国道はまだまだ地を這って稜線を目指す。
国道289号 点線国道八十里越 [前編] 20 のだが、実はここでちょっと道を見失ってしまった。
目の前に道はなく、沢によって遮られている。
で、周辺を探索してみて見つけた分岐が写真の場所で、資材が置かれた右方へと延びている。
それまで舗装されていた道は工事現場で砂利道になり・・・
国道289号 点線国道八十里越 [前編] 21
いや〜〜〜〜な予感がしますわ
予想していたこととはいえ、早すぎるんだよ。
地図ではまだ立派な車道が続いているというのに・・・
[ 06' 11/19、07' 6/24 訪問 ] [ 07' 7/15 作成 ]
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