国道333号 北見峠旧道 囚人道路 1

概要

国道333号 北見峠旧道 囚人道路の地図
中央道路上川道路北見道路、エトセトラエトセトラ。
ここ北見峠を含む国道333号は、さまざまな名称で呼ばれてきた。
そんななかでも異彩を放つものが、囚人道路の異称である。
伏古別隧道でお伝えした、「囚人を過酷な土木作業に従事させ、結果莫大な犠牲者を出す」という北海道の悲惨な土木史において、もっとも著名なるがゆえの異称である。


北見峠が道路史に登場するのは明治21年、時の北海道長官永山武四郎による北見峠道路開削の訓示に見ることができる。
実際の開削工事は、明治22年、空知集治監の囚徒37名の手により、旭川・網走間の仮道路を開削したところに端を発する。
その後、網走から北見を経て北見峠まで(延長約162km)は釧路監獄署の分担とされ、明治23年、釧路監獄の囚徒約1000名が網走に移動。ここに釧路監獄署網走分監、後にいう網走監獄が誕生することとなった。
網走への移送はその後も行われ、最終的には1300名に達し、そのうち道路工事に当てられたのは800名以上である。

明治24年4月、雪解けを待って本道路の開削に着手。
この工事はあらかじめその年度内に完工することを通達されていた上、工区を分けて競争意識を高めさせたことから、昼夜を問わない突貫工事が行われた。
そのような劣悪な労働環境に加え、栄養不良から病に倒れるものが続出し、毎日一人は脱走者が出る始末だったという。
特に峠に近づくほど(網走から離れるほど)死者数は増大していき、峠近くでは計算上工事が380メートル進むごとに一人死ぬという凄惨極まるものであった。
最終的な死者数は211名といわれており、実にその死亡率は20%にも及ぶ。

このような囚人たちの命によって築かれた道は明治24年11月に完工をむかえ、札幌〜旭川〜(北見峠)〜北見〜網走のメインルートとして明治28年に仮定県道中央線として認定された。
その後、鉄道の開通で利用頻度が減り、明治37年には県道旭川線に格下げされたが、明治40年には再び仮定県道中央線として認定される。
さらに大正9年に地方費道旭川根室線となり、昭和27年から一級国道39号線となった。
しかしながら、昭和32年に層雲峡を通る新道が網走まで通ずると、国道指定は距離の短い層雲峡経由に変更され、昭和35年から主要道道遠軽上川線に格下げされた。

国道指定は層雲峡に取られたとはいえ、絶壁下を走る層雲峡の道が落石で頻繁に通行止めになったことは当該レポートでお伝えしている。
その迂回路として、北見峠の役割は大きかった。
明治以来の囚人道路として活躍していた道路も、道幅が狭く、冬期通行止めであるなどの問題点を抱えており、これを克服すべく、昭和42年より峠の北見側で新道付け替え工事が行われ、現在の北見峠を経由する道路が完成した。
付け替えにより、明治に築かれた囚人道路(の北見峠北見側)は役目を終えることになる。
新道は昭和50年から国道333号に指定されたが、現在では国道450号の長大トンネル(自動車専用)が峠をバイパスしており、峠を走行するものは極めて稀である。


明治に築かれた"本物の"囚人道路はもとより、付け替え道路として誕生した現国道333号の北見峠ですら、通るものはほとんどない。
いわば、北見峠という存在そのものが、意義を失い、忘れ去られようとしている。
かつて、200名以上の魂が捧げられたというその道が、"もういらない"と、捨てられようとしている。
今道路を何気なく通る我々が、そんな有様で良いのか───などという義憤に駆られたかどうかはともかく、道路の重すぎる歴史に比して、かつての囚人道路を今に伝える情報は非常に限られており、少なくともネット上では見つけられなかった。

「だったらば、行こうじゃないか」

曲がりなりにも北海道の道路史を語る者として、ここを訪れるのはある種の使命にも近い動機であった。

1-1 史道は廃道になりき

現在地
この日の行程は少し複雑で、まず峠に自転車を置いた上で、北見側の新旧分岐地点に車でやってきた。
つまり、ここから歩いて登り、峠で現道に合流すれば自転車で現道を下ってくる、という算段だ。
これはひとえに、「有名どころなのに踏破レポートが見つからない」ことからくる怯えによるもの。

ネット上にレポートがないというのは、

1. 地形図から消えるなどの理由で存在およびルートそのものが知られていない
2. 存在は確かだが、マイナーすぎて誰も来ない。
3. 知名度もあるが、長大路線であったり痕跡が薄いなど、踏破が困難である。

などの理由が考えられる。
北見峠旧道の場合、最新の地形図からはルートが消えているものの、ほんの数年前までは地形図にも記載されていたし、知名度に関しては言わずもがな、である。
結果、その理由は間違いなく「3」で、道の荒廃ぶりは行く前から予想された。
そのため、初めから自転車での踏破は不可能と判断し、徒歩探索としたのである。
首尾よく峠で現道に合流しても、現道を歩いて戻ってくるのはダルいので、峠に自転車を置いてきた次第だ。
車があると人間ダメになるって本当だなあ・・・
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 1 といわけで、出発は峠の北見側のふもとから。写真は新旧分岐地点で、旧道は右奥のほうに入っていく。
ここから旧道を登っていき、峠に達することを目指した(峠まで4.5km)。


なお、レポートは便宜上国道333号旧道としているが、戦後の旧道の来歴は
昭和27年 国道39号に指定
昭和35年 道道に格下げ
昭和40年代 新道に切り替えられ、放棄
となっており、国道333号を名乗ったことはないことを付記しておく。
何であったかといわれれば、旧一級国道39号線であったというべきだろう。
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 2 旧道に入って砂利道を少し歩くと、道は左右に分かれる。
峠へは左だ。

車を止めた地点にご老人がおり、少し話を伺ったところ、7〜8年前まで大型車を運転してこの道に入ったことがあるという決定的な証言をいただいた。
ただ、それは峠に達する旧道ではなく、ここから右のほうに用があったらしい。
今ではその道も崩落し、通れなくなったと聞く。
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 3 「え、終わり?」

分岐を左に行くと、すぐに線路(JR石北本線)にぶち当たって終了。
現道からは300メートルも進んでおらず、土道ではあるが自動車でも楽々入ってこられる道だった。
そんな道は、真新しいバラストの上に敷かれた鉄路で行き止まり。
道は・・・間違ってないはずだ。
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 4 よく見ると・・・線路を踏み切って、向こう側に路盤が見える。
目印となるビニールテープのマーキングもあるようだ。

「右よーし、左よーし、横断!」
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 5 ・・・まあこうなりますよね・・・

線路を渡ったとたん、自動車通行は不可能となる。
囚人道路のスタートラインは、あの線路であったといえよう。

1-2 現役時代の残り香

国道333号 北見峠旧道 囚人道路 6 ガードロープ!!
いきなり、国道時代の遺構に遭遇。
足元の線路への転落を防ぐもので、かつての国道時代に活躍したものだろう。

線路ができたのは、昭和7年のこと。
このあたりの路盤は地面を掘り下げて造られており、これにあわせて明治の囚人道路から多少のルート変更があったかもしれない。
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 7 やばいね、非常にやばい。

まだ現道から分かれて500メートルも行っていないというのに、完全廃道。
崩落が起こった様子もないのに、完全廃道。
行けるのか、進めるのか、この道は。
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 8 囚人道路とは、いわば北海道の歴史の道、史道ともいうべき道である。
だから、「歴史の道として整備されているか、史家が歩いたりしているかも」という淡い期待も、なかったとはいえない。
しかしながら、密集した笹薮の道にはそのような痕跡は認めがたい。
かろうじて目印となる赤いテープが張られていても、それもいつのものなのかも判然としない。
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 9 なんぞこりゃ。
真っ赤で巨大な懐中電灯には、白のマジックで「指令車」の文字が書かれている。
それ以外に情報はなく、拾い上げてスイッチを押してみても、もちろん明かりはつかない。
この道が現役であった40年以上も前のもの・・・ではなさそうだ。

ここにそんな痕跡があるのは、すぐ脇をJR石北本線が走っているため、その保線の意味合いもあるのだろう。というか、その意味合いしかない。
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 10 旧道は左に折れ、線路とはお別れする。

藪が消えれば、かつては国道39号線として自動車を通した往時の姿が見えてきた。
道幅は1車線ほどしかなく、囚人道路として生まれた当時の姿と、そう変わっていないのかもしれない。
このくらいならば、歩きやすいいい道だ。
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 11 放棄されたのが昭和40年代ということで、道路設備に関する遺構は期待できなさそうだ。
標識の類は今のところ見当たらず、転がっていたのは木製電柱っぽい。
文字情報は書かれていなかった。
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 12 お、なんじゃこりゃ?

転がった電柱に文字情報を探していると、近くの法面に何か見つけた。
縦横10cm、高さは埋まっているのでわからないが、御影石のような石の人工物。
天辺には矢印が彫られていて、境界標らしい。

書いてある記号は判読困難であったりしてチンプンカンプンだが、「昭35」とあるのは確認できた。
昭和35年といえば、この道が国道から道道に格下げされた年である。
所管が国から北海道へと移るとき、いろいろと実地調査を行ったことが伺える。
今もこれ、有効なのかな?

1-3 スプリコヤンベツ川

国道333号 北見峠旧道 囚人道路 13 いつの間にか、右手には小さな川が流れるようになっていた。
川の名前はスプリコヤンベツ川というらしい。長っ。


スプリコヤンベツ川によって造られた谷はさほど深くなく、両岸も素手で上り下りできるくらいの傾斜だ。
その谷底をふと見てみると、転げ落ちたか棄てられたか、グシャグシャになった黒い車が横たわっていた。
この道がまだ車でも入ってこれた時代のものなのは間違いない。果たしてそれは何十年前のことだったか・・・

なんか不気味なので、運転席を覗くことはできなかった。
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 14 川と右岸の岩に阻まれ、心なしか道幅が狭くなったような・・・
そして、その先の道がやけに明るい。
「明るい道」には大概、突破困難になる何かが待っていたりする。
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 15
はぶしっ!!
ですよ。もう無いけど。
囚人道路の、ですよ。無いけどね。
[ 10' 10/23 訪問 ] [ 11' 3/2 作成 ]
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