国道333号 北見峠旧道 囚人道路 2

概要

国道333号 北見峠旧道 囚人道路の地図
多くの犠牲の上に成り立ったこの囚人道路。
初っ端から始まった藪の道の先には、落ちた橋が待っていた。

2-1 栄橋

国道333号 北見峠旧道 囚人道路 16 右岸の岩に前をふさがれたと思いきや、道は90度谷へと向かい、橋を以ってその谷を一跨ぎしていた。
橋そのものは廃止から40年余りを過ぎた今に残っておらず、崩れかけた石造りの橋台が対岸に見えるだけだ。
峠を目指すとあらば、一度谷底に降り、対岸によじ登らなくてはならない。
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 17 谷の深さは10メートルもなく、下っていけるだけの傾斜は十分にあった。
細かい土の斜面に滑らないように慎重に降りていくと、こちら側にも立派な橋台を発見。
城の石垣のような、精緻な石組みの橋台だった。
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 18 銘版その他も何もないので、橋の由来は現地では全く不明。
一応、帰宅後の調査でここにあった橋は栄橋という名前であったことが明らかになっている。
また、昭和45年の資料(白滝村史)には、それが木造土橋で、延長15メートル、幅員4メートルというスペックが記載されている。
昭和45年といえば、もう新道に切り替えられる寸前である。
結局木造のまま現役を退いたようだ。

人為的に落とされたのか、廃道化後に流出したのかは不明。
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 19 さて、興味は「この橋台が明治に囚人たちが造り上げたものかどうか」ということだ。
昭和初期の地図にも栄橋が記載されていることから、明治時代に囚人によってここに橋が架けられたことはおそらく確かだろう。
一方で、先の資料にある栄橋は「架橋年月 昭和35年3月」となっており、明治からずっとこのまま、というわけでもないようだ。
実際、川底には橋台を補強するコンクリート構造物が見られた(写真)。
ただ、昭和30年代に橋を架け替えるなら、石組みの橋台をわざわざ造るとは考えにくいところがある。

果たして、この橋台が彼らの血を以って築き上げられたものかどうか・・・
山中で問う声は、沢音に掻き消された。
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 20 対岸によじ登ってる途中、振り返って撮影。
対岸の斜度は意外ときつく、自転車では確実に踏破不能となっていたところだ。

谷の上り下りにはエゾシカがつけたらしい獣道を利用したが、彼らは対岸のきつい斜面を一気に登っているようだった。
うらやましい。

2-2 魂の掘割

国道333号 北見峠旧道 囚人道路 21 なんだかんだいいつつも、谷を渡るのには5分もかからなかった。

さらに色濃くなった藪に辟易しながら進んでいると、橋のすぐ先の左カーブで、またもや何かが来る気配を感じた・・・

割っている・・・岩を、真っ二つに・・・
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 22
掘割った!!!!
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 23 割っちゃった!

幅5メートルほど、高さ4メートルほどで、道を塞ぐ大岩が真っ二つになっていた。
地形的に迂回のできないところであり、道を誕生させようと思えば、割っておかねばならないところだ。
要するに、囚人たちの手によって割られたものである。

足元の路盤全部がそうとはいえ、こういった明らかな遺構があるというのはやはり感動的である。
昼夜を問わず、まともな食料にもありつけず、工区の中でももっとも過酷といわれた北見峠直前で、彼らは何を思いながら鑿を持ったか。
否、もはや、思い巡らす余裕すらもなかったのかもしれない。

そうして命の灯火すらも散ったとき、囚人たちは路傍に土葬されたという。
当初は棺桶などに入れて弔ったというが、やがてそれもされなくなり、遺体はそのまま埋められた。
不幸にも時の中で埋葬場所は忘れ去られ、犠牲者の3分の2以上は未だにこの山中のどこかに眠ったままなのである。
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 24 魂の眠る道を、好んで訪れるものなど、もういないのが実情。
紅葉彩るかつての一級国道も、囚人道路という名前だけを残し、彼らの墓標たる道や、橋や、掘割は、山の中に消えようとしている。

2-3 私の気持ちは笹の茎にも劣る

国道333号 北見峠旧道 囚人道路 25 路盤自体はほとんど流出していないし、上からの土砂崩れで塞がるようなところも全くない。
じゃあ進める道なのかというと、そうでもないんだよね・・・
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 26 藪がやばいです。
足元が見えるのは日陰だけで、あとはほとんど笹の原。
笹が路盤をきれいに埋め尽くしているおかげで、あたかも笹が大河のごとし。
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 27 笹のある部分が路盤とほぼ一致しているので、このあたりは道幅が広かったらしい。

笹の中は進めなくもないが、進むスピードはガタ落ちなので、法面に逃げてきた。
いつまで続くんだ・・・
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 28 藪が落ち着くところでは、その全貌も見やすい。
囚人たちの魂によって築かれ、かつては一級国道39号線を名乗った道の今である。
現役時代、この狭さでは除雪することもできず、二桁国道ながら冬期通行止めというのは、やはりボトルネックであったという。
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 29 現道と分かれてからちょうど1時間が経った。■現在地
ここまで、明示的に立ち入り禁止を示すものはなく、強いてあげれば線路が路盤を横断していたことだったが、ここへ来て初めて車止めとして盛られた土が道を横切っていた。
なぜこんなところに???
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 30 車止めを越えても、状況は良くもならず悪くもならず。
相変わらず日陰と日向でメリハリの効いた藪具合だ。
藪はメリハリ効いてるんだけど、道は等高線に沿ってなだらかに登るのみで、橋や掘割を越えてきた前半部分とは打って変わって恐ろしく単調。
さすがにダレてきました。
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 31 変わったことといえば、現道が直線距離で100メートルも離れていないところを走っているため、稀に走る車の音が聞こえてきたくらい。
ただし、高低差が50メートルくらいあるので、余程切羽詰った状況でない限り、斜面を突っ切って現道にエスケープすることは遠慮したい。
となれば、当初の予定通り峠に進まなければならないのだが・・・
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 32 距離的には、ちょうど半分くらいの2kmちょっとは進んだ。
逆に言えば、あと同じだけの時間を、この単調な状況で進まなければならないということ。

ああ、なんだろう、何かのきっかけで、気持ちが折れそう。
国道333号 北見峠旧道 囚人道路 33 ポキッ・・・
気持ちを折ったのは、「笹原」だった。
進みにくい笹薮を苦労して越えていった結果、そこに何かしらの遺構があるのならばまだ良い。
これまでの道の残存状況やこの先の地形を考えて、おそらくそういうものに巡り合うことは無さそう。
打算的で邪な考えがよぎった途端、目の前の困難に突入する気力は・・・尽きました。

次回はもうひとつの打算、「峠まで車で行って、そこから徒歩で降りてこよう」。
[ 10' 10/23 訪問 ] [ 11' 4/1 作成 ]
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