国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 1

概要

国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道の地図 国道352号は新潟県柏崎市を起点とし、栃木県にまでも至る長大路線である。中永トンネルはその起点近く、 新潟県出雲崎町と長岡市の中間地点にある。

越後国において、日本海沿いに伸びる北陸街道と内陸を走る三国街道は非常に重要な街道と位置づけられてきた。
特に北陸街道出雲崎は佐渡で取れた金の水揚げ地、北前船の寄港地、街道の宿場町として栄え、江戸時代には幕府直轄の天領地とされたほどであり、 当時の面影は今なおその街並みの随所に見ることができる。
その出雲崎と三国街道は城下町長岡を結ぶ道が、国道352号におけるこの区間の前身といえよう。

両街道の間には小木ノ城山脈がそびえており、これを越える山道は当時からいくつか存在していた。
その中で最も利用されていたのが現国道よりもやや北よりにあった剣が峰峠を越える道であったが、 近代になって徒歩道レベルの峠越えでは時代に追いつけず、明治43年には道路改良を目的とした測量が行われ、いくつかのルートが検討された。

現在の国道352号にあたる中永(ちゅうえい)越えの道はメインルートでこそなかったものの、 出雲崎側、長岡側にすでに存在していた県道の延長線上であるなどといった理由から、このルートが選ばれることになり、 大正になって正式に現ルートの開削が決定される。

どういうわけか、その決定からしばらく工事は始まらなかったのだが、 同時期に開通した越後鉄道(現JR越後線)と長岡鉄道(昭和53年廃止)を連絡するルートとして積極的に開削の請願が出され、 大正12年になってようやく工事が始まったのである。
昭和のはじめには中永隧道の工事を残すのみとなったが、昭和初期の不況下と戦時統制の下、工事は中断。 終戦直後の昭和25年には再開され、昭和29年8月、中永隧道が完成し、全線が開通した。開削の決定から数十年を経て、ようやくの全通であった。
当時の路線名は県道出雲崎長岡線、通称中永線と称され、先に述べた出雲崎側、長岡側の県道もこのとき統合された。

昭和33年にはこの道をバスが走るようになり、57年には県道から国道352号に昇格した。
計画の当初から隧道を視野に入れていたようで、トンネル掘削の容易さなどもルート決定の決め手となったらしいが、 当時の計画で建設された隧道は現在の巨大車両にとっては狭すぎた。
それでも中永隧道はごく最近まで活躍し続け、平成も13年になってようやくその役目を中永トンネルに譲り、隠遁生活へと入ることになる。

1-1 中永隧道 出雲崎側

このレポートを執筆する時点ではまだ記事にしていないのだが、この日は新潟県道69号 阿弥陀瀬トンネルの旧道を探索した後、 近くの林道から尾根伝いに現地へと向かった。
そのため、レポートの開始地点は峠付近、すなわち、隧道からということになる。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 1 現地へ向かう林道の中にある中永峠。左に見える看板には「中永峠 220.6m」とある。

先述の通り、メインではなかったとはいえ、中永越えの山道も古くより利用されてきたが、林道で見たこの中永峠が、 当時から利用されていた中永越えの峠であるかどうかはわからない。
位置的には隧道の真上にあたる。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 2 林道から下りてくると、隧道の西口、出雲崎側に出る。
そこはもう隧道の目の前であり、振り返れば深い切り通しの中に真っ黒な口を開けた中永隧道が見える。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 3 隧道に接近。石組みのアーチが美麗である。
ごく最近まで供用されていただけに、致命的な痛みはない。
しかし、さすがに草刈まではされておらず、周囲からは隧道を塞がんという勢いで植物が繁茂している。
つる性のものも多く見られ、このまま放置すれば、坑口のほとんどを緑が覆うことになるだろう。

私が現地へのアプローチに使用した林道も含めて、周辺には縦横に林道が伸びている。 隧道を境として西側は林道へのアクセス路として活用されており、ちょうど秋の山菜シーズンと重なったせいか、かなりの数の車が駐車していた。
坑口は簡単な車止めでふさがれているが、内部へ続く轍がいくつも見られ、駐車場代わりにでもなっているようだ。


どうでもいいが、車止めの真ん中においてあるヘルメットはなんだ?
中に入るときはこれかぶって入れってこと?自転車用のキノコメットじゃだめかしら。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 4 扁額は草に覆われ、はっきりと見ることはできないが、右書きで「中永隧道」の文字が見える。
銘板の類は見当たらなかった。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 5 中永隧道西側坑口前。
まだ午後2時過ぎだというのに、短い秋の日差しはもはや頼りなく、深い切り通しの中までは届かない。 ただでさえ山の中であり、もたもたしていると暗くなってしまう。
撮影もそこそこに、照明装備を整え、入洞。

1-2 中永隧道内部

国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 6 内部へは照明に繋がる電気設備が伸びていく。
まだまだ痛みは少ないが、さび付いたナトリウムランプを見るに、やはりここが廃された隧道であることを実感する。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 7 振り返って撮影。

内部は滑らかにコンクリートを吹き付けてある。流石に崩落はない。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 8 隧道の延長は340メートルと、廃隧道にしては長いほうだ。
しかし、自転車で進入しているため、その長さは気にならない。 さらに、出口まで一直線に伸びており、常に明かりが見えるというのは心強いものがある。
とはいえ、いくら両出口が見えるといっても、中間地点では真っ暗であり、写真は画像処理を施してかなり明るくしてある。

滑らかなコンクリートを伝うように水が染み出しているが、水滴を落とすほどではなく、この程度の漏水は現役トンネルでもよく見られる。
ただ、水と一緒に染み出した粘土質の泥が部分的に堆積しており、うかつに踏み込めばグチョグチョと汚らしい音を立てて自転車周りがひどく汚れる。 このような土質はこの地方一帯に見られ、しばしば土砂崩れ現場などで私を悩ませるのだ。

両側壁に見られる白い筋は車両がこすってできた傷であり、やはりこの隧道は大型車にとって狭かったようだ。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 9 土以外には目立った障害もなく、淡々と進む。
自転車で進入できたこともあって、難なく東側坑口まで到達できるのだが・・・
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 10 東側坑口はこのように上から下までガッチリと金網でふさがれており、ここを行き来することはできない。
西側は通行自由なのに、東側だけふさいでしまうことに何の意味があるのか?
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 11 金網の隙間から外の様子を撮影。
西側に比べ、東側の取り付け道路は荒れている。木が道路をふさぐように倒れているが、車止めのつもりらしい。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 12 金網に背をもたげて隧道内部を撮影。
一般的には「不気味」とも形容されるような廃隧道の典型ともいえる光景だが、暗闇の中をまっすぐに貫き、 出口の明かりが光輝くさまに、神秘的なものを感じてならない。
隧道内部へは西側から進入できるが、通り抜けは不可能である。
金網に行く手をふさがれた私はひとまず引き返し、新トンネルを抜けて反対側から金網の向こうへアプローチすることにした。
[ 04' 10/17、05' 7/17 訪問 ] [ 05' 11/2 作成 ] [ 06' 1/24 追記 ▼該当箇所にジャンプ ]
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