国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 3

概要

国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道の地図 前回の訪問から9ヶ月もたった翌年7月、ようやく再訪の機会が得られた。
まあ、内実行こうと思えばいつでも行ける距離なもんで、後回しにしていただけなんだが。

早朝から角海浜隧道の探索にて釣り人の好奇の眼差しに耐えながら、一路日本海沿いに南を目指した。

日本海に面して走る国道402号は旧北陸街道にあたる。
一部防風林の中を走る箇所もあるが、総じて景色は良く、夕陽に染まる佐渡や日本海は絶景である。

3-1 再会への道のり

国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 24 野積の集落で見かけた看板。

一見なんてことのない車両進入禁止の看板であるが、左にはこう書いてある。拡大

「違反車はタイヤの空気を二本抜きます」


ジーザス。なんてこった。
タイヤの空気を抜くって実力行使かよ。
車に戻ってみたら後輪がパンクしてましたとか、いいのかそれ。
つーかなぜ四本でもなく一本でもなく、二本なんだ。中途半端すぎるじゃないか。


自転車といえども油断はできない。
速やかに退散する。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 25 旧寺泊町の国道沿いには海産物を売る店が立ち並ぶ。
良好な漁場と佐渡への出港地として港は栄え、巨大な看板が軒を連ねる姿は「魚のアメ横」ともいわれるほどだ。

また、佐渡への出港地としての役割は古来から現在に至るまで続いている。 承久の乱で配流された順徳天皇や立正安国論を唱えて幕府に煙たがられた日蓮など、数々の著名人がこの地より佐渡へ渡り、 二度と戻らなかった者も数多い。
そういった経緯もあってか、地名の通り寺社仏閣が実に多い、歴史の街である。

3-2 国道352号

国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 26 潮風を背に受けながら、そろそろ海水浴客も見え始めた夏の海沿いをさらに南下。出雲崎から352号を内陸へと入った。

旧道の出雲崎側は探索済みのためパスし、新トンネルの中永トンネルに立つ。
当たり前だが、以前と変わるところはない。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 27 トンネルの内部、出雲崎と長岡の行政区界付近には待避所が設けられている。
いくら明かりがついているとはいえ、自転車のスピードでは暗黒に近い箇所も多く、緊張を強いられる長大トンネルではいい休憩ポイントになる。

ちょうど境に当たる部分には、壁に「出雲崎町」「長岡市」のペイントが施されていた。
しかしこの長岡市のペイント、よく見ると「市」の部分に白く「町」と浮き出ているのがお分かりいただけるだろうか?
同様にして、「長」のところに「三」、「岡」のところに「島」とある。すなわち、もともと「三島町」と描かれていたのを書き換えたということだ。

散々レポートの中で「出雲崎側」「長岡側」と書いてきたが、正確には中永隧道や中永トンネルの長岡側というのは三島町という自治体であった。
しかし、ここを訪れた年の4月に長岡市と合併し、消滅。前回訪れたときは合併前であり、ここには「三島町」とペイントされていた記憶がある。
合併の余波はこのような人目につかないところにまで及んでいたのだ。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 28 再び長岡側の新旧合流地点に立った。
やはり前回予想したように、復旧作業は着々と進んでいる。

隧道封鎖によって完全に行き止まりのように思うのだが、地形図を見ると隧道付近になにやら建物があり、 一応そこへのアクセスは確保しておこうということか?
その割には今年いっぱい通行止めであって、それが急務というわけでもなさそうだが・・・。いまいち、何のために復旧するのか判然としない。

3-3 地球の復旧作業、人類の復旧作業

国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 29 前回の土砂崩れ現場とほぼ同じ位置で撮影。
切り通しを埋めていた土砂はすっかり取り払われ、同じ場所とは思えないほどである。
先に見えるゲートは中永隧道封鎖のため通行止めと告知するものだが、前回の訪問時には土砂に埋もれて全く影も形もなかった。
土砂は3〜4メートルくらいは積もっていたことになる。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 30 入口の看板どおり、今まさに工事中といった雰囲気で、向こうの車から作業員が見ているのではないかとひやひや。
訪問日は日曜だったため、その先の飯場にも人影はなく、多少の後ろめたさを感じながらも進んでゆく。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 31 出雲崎側の旧道区間がそうであったように、こちら側も細かいカーブが連続するものの、十分な二車線幅がとられている。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 32 おそらくは完全に土砂で埋もれていたであろう区間もご覧の通り。
左に写る白い物体は、無残にも土砂になぎ倒されたガードロープの支柱たち。
きっとこの道が現役の頃から流れる車列を見続けていたであろう彼らも、一夜の豪雨により天に召された。
崩れ落ちる土砂とそれに抗う金属が上げた最後の雄叫びは、いかほどの轟音をもって山中にこだましたか。

白い布に包まれた遺体のように点々と並ぶ彼らを見て、ふとその惨劇を想う。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 33 現道との合流地点からおよそ1キロほどの地点でスノーシェッドに遭遇。
この付近はまだ十分な復旧が行われていないようで、向かって右側の車線は土砂に埋まっている。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 34 おまけにスノーシェッド左側の土台部分はすっかり抜け落ち、支柱が宙吊りである。
鮮やかな赤い色をした柱が本来の支柱であるが、その足元は完全に空中。流石にこのままでは雪対策どころではないのだろう、内側に柱で補強されていた。

そして、スノーシェッド右側には、ある有名人の名前が・・・
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 35 読めるだろうか?
古ぼけたプレートにはこうあった。

中永雪履工
施工延長 196米 田中角栄

中永隧道の工事は主に戦後に行われたが、これに際して、当時の長岡市長を会長とした県道出雲崎長岡線全通促進連盟が結成された。
この会を全面的に支援したのが、当時の衆議院議員であり、長岡鉄道の社長でもあった、田中角栄氏である。
彼の功罪をいまさら論ずるつもりはないが、その業績は確かに新潟を豊かにしたことは誰も否定しない。
冬は新潟の豪雪に閉ざされるような山間地では、各地区を結ぶトンネルがどうしても必要であった。 その手法はさておき、これによって時には命までも救われた人間がいたことは事実であろう。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 36 路肩が崩落した地点を中心に、その内側は支柱と鎖で補強されている。
だが、この補強のために幅員、高さともひどく狭まり、通常の車両は通れない。つまり、この先は復旧工事がされていないということだ。
一抹の不安を覚えながらも、この補強を施した作業員は宙吊りになったスノーシェッドの下、如何な心境で工事を行ったかと想うと、 私の不安もちっぽけなものであった。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 37 スノーシェッド内もやはりくねくねと曲がった線形であり、現役時代、暗い内部でこのカーブはさぞ危険であったろう。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 38 案の定、スノーシェッドを抜けた先は土砂に覆われていた。
もっとも、担ぎを要するような大崩落はなく、MTBならこの程度の道はお手の物。

スノーシェッド前まで続いていたトラックの轍はなくなり、代わりに小さなキャタピラの轍が続く。
特に大規模な崩落があったようには見えないが、ある程度の土砂はこのキャタピラ車によって除去されたのかもしれない。
国道352号 中永トンネル旧道 中永隧道 39
ちょ
旧道完走目前にして、最後に訪れた致命的な大崩落。
さすが角栄の道だ、一筋縄ではいかせてくれない。
[ 04' 10/17、05' 7/17 訪問 ] [ 05' 11/2 作成 ] [ 06' 1/24 追記 ▼該当箇所にジャンプ ]
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