国道37号 クリヤ隧道旧道 1

概要

国道37号 クリヤ隧道旧道の地図 国道37号は北海道渡島半島の付け根に位置する長万部町から内浦湾沿いを時計回りに走り、胆振地方は室蘭市に至る、 全長80.8kmの一般国道である。
今回紹介するクリヤ隧道とその旧道は、長万部-室蘭間のほぼ中間付近、内浦湾で最も奥まったところにあり、 豊浦町と虻田町(現洞爺湖町)の町境付近にある。

室蘭市からは古くより札幌市とを結ぶ"札幌本道"が存在したが、現在の国道37号にあたる内浦湾沿いの陸路においては、 道内でも3本の指に入る険路、礼文華(れぶんげ)山道を抱えており、函館-室蘭間の連絡は船による往来がほとんどであった。
江戸末期、周辺地域が幕府直轄領になると、それなりに改修も行われたようだが、 明治末期に至っても一雨で流れ去ってしまうようなお粗末な道であったという。
とはいえ、悪天候では数日もいたずらに過ごさざるを得ない船便では用を足せなかったのか、 こんな道でも明治時代には仮定県道中央線の指定を受けている。

沿道自治体からの道路改修の要望もあり、大正9年には地方費道(本州でいう県道)室蘭-函館線の指定を受け、 ぼちぼち予算もつけられて道路の改良がなされていったようだ。
やがて本路線は準地方費道長万部停車場室蘭線などと名前を変え、戦後の昭和27年には一級国道37号線となり、 一級・二級の区別がなくなった現在でも37号線として往来を捌いている。


陸運を阻んできた「礼文華山道」であるが、これは狭義には礼文華-静狩間の礼文華峠を指し、 広義にはその前後を含めた山道を指すようで、今回の区間、クリヤ隧道が存在するあたりも広義には含まれる。
クリヤ隧道は、"その筋"の方には出るだの出ないだのでなかなか盛り上がれる物件なのだそうだが、 私はそんなことどうでもいい。
一級国道時代、はるか江戸時代より、ようやくの思いで開通させた隧道。
その裏には、かつて旅人の往来を拒んだ山道が眠っている。

1-1 クリヤ隧道

国道37号 クリヤ隧道旧道 1 ゴールデンウィークもたけなわな平成18年5月3日。
前日に帰省のために北海道入りしたばかりだというのに、早くも自宅からはるか離れた山中に私はいた。勿論、相棒も一緒だ。
この日は37号の終点、室蘭側から走ってきたが、沿道に観光地も多いこの辺りはどこへ行っても人、人、人。
車の排気ガスでへろへろにされながら虻田町を抜け、豊浦に入ろうかというところで、それに出会った。

写真右のトンネルがクリヤ隧道、左の車止めが旧道の入り口だ。
国道37号 クリヤ隧道旧道 2 で、これが「出る」とかいわれるクリヤ隧道虻田側入り口。
別になんてことのないトンネルだが、竣工が昭和35年という現役の二桁国道にしては類を見ないほどの年代ものである。
坑口は真円というよりも楕円に近く、おまけに縦に長い楕円であり、なおさら圧迫感を与える。

交通量も多く、個性的なトンネルというのはそれだけで怪談話が自然発生してしまうのだろうか。
この隧道がない時代、いったいどれほどの人間がここを越えるのに命を掛けたか。
この隧道によりどれだけの往来が可能になったか、理不尽な恐怖にはしゃぐ彼らは知っているのだろうか。

隧道の価値を知るためにも、旧道へ向かおう。
国道37号 クリヤ隧道旧道 3 隧道は内浦湾沿いの岸壁をショートカットするように穿たれており、その旧道は岸壁に沿って巻くように付けられている。
岸壁といっても道は海面から100メートルの高さにあり、周囲の光景は山そのものである。

旧道にはコンクリート製の電柱が伸びており、その保守点検ぐらいには使われていることがうかがえる。
一応、足元には四輪の轍もあるが、車止めから先はその痕跡も薄い。

簡素な車止めの脇を相棒とともにすり抜け、内部へと進入した。

1-2 DANGERな道

国道37号 クリヤ隧道旧道 4 しばらくは穏やかな道が続く。
車止めをよければ自動車でも入ってこれそうな道だが、すでに足元からその轍は消えていた。
ただ、場合によっては自動車でも進入可能なこの辺りには、不法投棄が目立つ。
中にはどう見てもアスベストらしき綿のような塊もあるのだが・・・
この道は未来を考えていない人のみお入りください。
国道37号 クリヤ隧道旧道 5 現道との分岐から100メートルほど進むと、道は直角に右に曲がった。
カーブの辺りは崩落だか人為的だかわからないが、2メートルほどの高さまで土砂が積もり、 その上はこの時期でも元気な熊笹に覆われている。
なるほど、保守管理の車両が入ってきてしかるべき道なのに、入り口であっという間に轍が消えたわけはこれか。
国道37号 クリヤ隧道旧道 6 って落ち着いて分析してる場合じゃねえって!

崩落と藪のコンビネーションにより、自転車の往来に対する難易度が一気に跳ね上がった。
だが、直線で短絡する隧道ですら延長300メートル以上あるというのに、旧道入り口からたかだか100メートル程度で引き返すわけにも行くまい。
徒歩による簡単な偵察の後、「行ける」と判断した私は早速自転車ごと突入である。
国道37号 クリヤ隧道旧道 7 クララ自転車が立った!

藪密度の濃さに、スタンドのないこの自転車すらも一人立ちできる。
国道37号 クリヤ隧道旧道 8 何とか登りきり、土砂の頂上付近より振り返って撮影。
笹は強度がなく、見通しは遮られるものの無理やり掻き分ければ何とか進んで行くことは可能だ。
保守管理道となれば刈り払いくらいは・・・と正直期待していたのだが、甘かった・・・

1-3 常識をぶち破れ!

国道37号 クリヤ隧道旧道 9 あれ、道、道は?

電柱がある以上、道に迷うことはありえないと思っていたのだが、どうもおかしい。
旧道入口付近の電柱は道の左側にあったため、その先も電柱は常に道の左側にあると思われたのだが、そうではなく、 電柱は路盤の左から真ん中、右と、かなり自由自在に動いていたらしい。
常に電柱を道の左に見ていようとすると、このようにただの斜面に突入するハメになる。
国道37号 クリヤ隧道旧道 10 もっとも、本来の路盤もただの斜面と変わりなくなっているが・・・

真上には確かに水先案内人である電線が走っている。
路肩の位置からしてこの場所が本来の国道であることは間違いない。
だがしかし、横から崩れた土砂に埋まり、道も斜面も区別がないほどに荒廃しまくっている。

足元の岩はともかく、横から通せんぼする潅木には難儀させられた。
ようやく人一人分の歩ける幅はあろうかというところだが、自転車に絡みつく枝が邪魔で仕方ない。
国道37号 クリヤ隧道旧道 11 「海が青いねえ・・・」

右の斜面からは崩落した土砂が迫り、目をそむければ自然に体と視線は左に向かう。
海抜100メートルの山の中なのに、すぐ脇は海である。
このあたりの地形が如何に人の往来を拒むものであるか、ご想像いただけるだろう。
無論、写真に写る斜面の先は落ちたら戻ってこれない急斜面である。

ひたすらに蒼い内浦湾の海面には、幾艘もの舟艇が見える。

「落ちたら彼らに助けてもらえるだろうか・・・」

1-4 現れた国道の遺構

国道37号 クリヤ隧道旧道 12 現道と分かれてから20分は経過したが、実はまだ最初の土砂を乗り越えたところから50メートルも進んでいない。
あの笹薮を越えて以来、平坦な部分は全くなく、行程の90%以上が上から崩落した土砂とその上に生えた潅木により、 分速1メートルでの歩みを余儀なくされるのだ。
前方の枝を取り払い、自転車を30cmほど前へ出し、続いて自分も一歩だけ前へ出る。自転車に絡み付いた枝を引きちぎって、また前方の枝を取り払い・・・
こんなことの繰り返し。

電線の保守管理に人の手が入っているはずなのだが、徒歩であっても往来はし難く、"保守道"とすらいいがたい状況だ。
本当に管理してるのか?いざ管理するとなったら、どうやって保線夫達はここを往来するんだ?綱渡り?
国道37号 クリヤ隧道旧道 13 いくら40年も前に放棄された道とはいえ、旧国道を示す道路標識のようなものどころか、道の痕跡すら、 進行方向にだけ高い木々がないことと、土砂に覆われなかった崖沿いのわずかな平場のみ。
平場といっても崩れた土砂から伸びた潅木が行く手をふさいでいるため、まともに進めるところではない。

ただ、ちょっと様子見に路肩(崖)スレスレまで近づいてみたところ、ついにここが旧国道であった痕跡を見つけた。
国道37号 クリヤ隧道旧道 14
「いいい、い石垣か!!!!!!!!!!」
国道37号 クリヤ隧道旧道 15 (熊よけの意味もあって)私は思わず山中でそう叫んだ!
なんということだ、徒歩道としてすら機能しえないほど荒廃の進んだ旧国道に、こんな遺構が!

ちょっと分かりにくいが、この写真は真上から足元を撮影したもの。
あいにく下へ降りられるような場所を見つけられず、石垣全体を捉えることはできなかった。

路肩の石垣はおよそ3メートルの高さで、ほとんど垂直に造られている。
石と石の間はコンクリートで固められており、大正から昭和のものだろう。

礼文華山道のあまりの険しさに道の改修もままならず、一雨で流れ去るといわれたこの道路も、 放棄されてから40年にも渡ってその足元だけは残されていたのだ。

それだけ価値のある構造物を、北海道三大険路のひとつに建設する・・・
それがいったいどれほどの苦労であったか・・・大正、昭和を生きた先人の偉業に、ただただ頭が下がる。
目の前は徒歩道としても機能し得ない廃道そのもの。
その一方で、その廃道を守る路肩の石垣は、確かに存在した。
かつて人の往来を激しく拒んだ礼文華山道を克服しようとした、先人たちの努力の結晶だ。

そこに車輪のついた車が通るのは何十年ぶりだろうか?
車道として放棄されて数十年、先人の努力に報いるべく、進まない歩にも力がこもる。
[ 06' 5/3 訪問 ] [ 06' 5/12 作成 ]
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