国道37号 礼文華トンネル旧道 礼文華峠 1

概要

国道37号 礼文華トンネル旧道 礼文華峠の地図
礼文華峠───
そこは北海道三大険路の一つに数えられた「礼文華山道」の筆頭たる峠である。
高々標高300メートル足らずの峠であるにもかかわらず、余りの峻険さ、地質の脆さから、徒歩の往来すら忌避されたその道は、かつて確かに一級国道37号線であった。


国道37号は北海道室蘭市から長万部町に至る国道である。
このうち、礼文華峠はその終わりに近づいた長万部町と豊浦町の町界付近にある。
この付近の海岸線は断崖絶壁が続き、山は複雑に絡み合い且つ軟弱な地盤で、古来よりその峠の峻険ぶりは多く記録されている。

峠の山道、すなわち礼文華山道が初めて改修らしい改修を受けたのは寛政11(西暦1799)年、松前藩によるものといわれる。
しかしながら松前藩は道路工事に積極的ではなかったようで(そもそも道路改修は幕命であった)、このときの工事は完成を見ず、 翌年に幕府から役人が来て完成させるものの、かろうじて馬を通す程度にすぎなかった。
当時の幕府はロシアの南下政策に戦々恐々としていた頃で、この幕命もその一環と思われる。
さらに幕府は松前藩の領土を召し上げ、戦力増強のために東北地方の諸藩にこの地を管理させた。
文化元(西暦1804)年、松前藩に代わって礼文華を統括していた津軽藩により再び山道の改修工事が行われ、文化3(西暦1807)年には道幅三尺(約1メートル)の道が出来上がるものの、 その後再び松前藩の管理となるとあっという間に道は荒れ果て、結局内浦湾を往来する海運に頼ることになる。

明治に入り、仮定県道中央線として指定されても状況は変わらず、明治11年にここを通行したイギリスの旅行家、イザベラ・バードも、険しい山道と道の荒廃振りを記録している。
ちなみに、この明治11年に礼文華峠を通行した旅行者は、記録にある限りたったの4人しかいない。
一方、天候に左右されやすい海運も穏やかでいられず、この頃内浦湾を往来する船便はひどいときには月に2、3回しか出られなかったという。

結局明治時代にはまともな改修を受けることなく、ようやく大正から昭和にかけて本格的な改修工事が繰り返され、 昭和27年に晴れて一級国道37号線の指定されることとなった。
しかしながら、一級国道といってもそこはいまだ江戸時代の道に端を発する峠越えの険路。
徒歩すらままならなかったという道をいくら改修しようとも、来るべき自動車交通には所詮焼け石に水である。
根本的な改良のため、昭和41年、峠の下を貫く礼文第一および礼文第二隧道が竣工し、長らく恐れられた礼文華山道は役目を終えた。


文献から見ても、礼文華峠の険しさは想像するに難くない。
おまけに現在の地形図にも残る旧国道の線形を見てみると、どうしようもないほどの九十九と複合カーブの連続である(地図参照)。
まるで迷路のようにグネグネと延びるその道からしても、この礼文華峠が普通じゃないことは明らかだ。
そこに興味を抱いて挑み、無残に散ったオブローダーも数多いと聞く。
いまだその牙衰えず、という礼文華峠の旧道に、私も挑もう。

1-1 雪辱戦へのプレリュード

峠東側の地図
思えばちょうど一年前のGWにも礼文華山道のひとつ、クリヤ隧道の旧道を探索したのだった。
実はそのときに礼文華峠も探索するつもりではあったが、諸事情により中止となり、今回はその雪辱戦である。
コンディション的には前回と同じく自転車で室蘭方向から走ってきたのだが、相変わらず激しい交通量にうんざり。


東側の現道と旧道の分岐点は峠からさらに山ひとつ越えた場所にある。
現国道は山中をトンネルで短絡するが、かつての国道はその山を迂回し、海沿いの狭い道を通っていた。
該当区間の探索は一年前に完了しており(レポート未執筆)、今回はさらにその先、礼文華峠を目指す。
国道37号 礼文華トンネル旧道 礼文華峠 1 海沿いの旧道は礼文の集落で内陸に向きを変える。ここから先は海沿いでは進めないからだ。
大岸で現道から分かれた道の大部分は道道として現役である。
その道はここから右に折れ、トンネルを抜けてきた国道に合流する。
一方で、かつての国道はこのまま直進していた。

この写真のすぐ先で礼文華川という川を渡る。
その場所(正確に一致はしないかもしれない)には、仮定県道中央線であった明治41年に竣工した「礼文華橋(延長52尺)」が架かっていたはずなのだが、当たり前だが何の痕跡もない。
現在の橋は旧道落ち後に架けられた新しいものだった。
国道37号 礼文華トンネル旧道 礼文華峠 2 分岐から先はセンターラインもない道になる。
この道は森林公園に続く町道である。

沿道には長閑な耕作地が広がり、どこか新潟の水田風景を思い起こさせる。
耕地の農道にしてはアホみたいに広い幅員がかつての国道の名残か。
もっとも、広大な北海道ではただの農道でも立派な二車線だったりするのだが。
国道37号 礼文華トンネル旧道 礼文華峠 3 周囲の景色が山らしくなってきたところで、徒歩すらままならないという礼文華の山には似つかわしくないものが現れる。
写真右に写るフェンスの向こうにある、JR室蘭本線である。
札幌‐函館間のメインルートとして、このあたりは普通列車よりも特急列車のほうが本数が多いという幹線だ。
もちろん鉄道がこのまま峠を目指して山を登っていくはずもなく、上下線ともここでトンネルに吸い込まれ、次に地上に出るのは3km近くも先だ。

そんな長大トンネルなど望めないかつての国道は鉄道のポータル上部を巻き、さらに高度を上げる。
国道37号 礼文華トンネル旧道 礼文華峠 4 鉄道のトンネルを過ぎてすぐ、道が分岐する。
舗装された右の道はこのまま森林公園へと続く道、左の土道が旧国道である。
いよいよ数多の著名人が死の寸前まで追いやられたという廃道区間へと足を踏み入れることになる。

峠を越え、現道に復帰するまでの距離は7km以上もあり、かなり長い。
途中で自走不能になった場合、おそらく生きて帰って来れまい。
自転車の各所を点検し、熊よけの鈴を装備した。

1-2 分岐なき迷路

国道37号 礼文華トンネル旧道 礼文華峠 5 峠越えの廃道区間に入ったというのに、道はしっかり整備されている。
下草のない時期ではあるが、足元は草刈された形跡があり、あまつさえ四輪の轍すら克明だ。

まあ、生きてる区間から暫くは人が入り、いけるかも?と思わせておいて、ある地点で絶望の底に叩き落されるようなことは良くある。
気は抜けない。
国道37号 礼文華トンネル旧道 礼文華峠 6 極力勾配を避けるべく、すさまじい数のヘアピンと複合カーブ、九十九折が連続する。
右に左に前に後ろにと、せわしなく進行方向が変わっていくため、よく地図を見ながらでないと自分が今どこに居るのかもわからなくなってしまう。
こういった事情も、かつて礼文華峠を徒歩ですら進めない道と言わしめた所以かもしれない。

今のところ道の状態は良好で、路盤を逸脱さえしなければ迷うことはないとはいえ、この道がいつのまにか旧道から外れていく可能性もないわけではない。
GPSと地形図を交互に睨みながら、自分の現在位置を正確に追いながら進む。
国道37号 礼文華トンネル旧道 礼文華峠 7 グネグネグネグネグネグネ・・・
目が回りそう・・・

自動車交通のことを考えているのかいないのか、勾配だけは穏やかだが、自転車でもインベタでは走れない猛烈なヘアピンが二度も三度も現れる。
国道37号 礼文華トンネル旧道 礼文華峠 8 倒木は切られ、下草は刈られている。大きな崩落もない。
旧世代の線形に似合わず、道の整備はほぼ完璧だ。
少々落石が積もるような場所もあるが、一般の自動車でも難なく進める道である。
これがかつて、あのへなり氏をして二度も敗退せしめた道なのか?
国道37号 礼文華トンネル旧道 礼文華峠 9 道の惨状によっては進入不可と判定し、引き返すことも考えていただけに、ここまで整備されていてしまうとやや拍子抜けしたのも否めない。
何しろ、前年の礼文華山道某所の探索において、潅木と笹薮に埋まったガチンコの廃道に自転車を持ち込み、 遭難寸前にまで至った経験をしている(そのため、前年は礼文華峠まで探索できなかった)。
その苦い経験や、WEB上で語られる恐怖体験と、この道は余りにも違いすぎる。

そうはいっても、所詮独りきりの山登り。心細さは耐えがたいものがある。
遥か遠くに見える現道の自動車の音や、室蘭本線の列車が長い長いトンネルに入るときにあげる甲高い汽笛など、 人工の音が聞こえるたび、心底ほっとする。
人間はやはり自然の中では生きられない存在なのだ。
国道37号 礼文華トンネル旧道 礼文華峠 10 これはまた年代物のファンタだな。
長い歴史のあるファンタだけに、デザインから販売年代を推定できる。
このサイトを参考に見てみると、「ン」の上に丸が三つあることから、 このファンタは昭和49年から62年頃のものらしい。
そばにファンタレモン(昭和49年発売)の空き缶もあった。

空き缶はヘアピンカーブの頂点に数個散乱していた。
後にも先にも、礼文華峠の旧道でゴミがあったのはここだけだ。
国道37号 礼文華トンネル旧道 礼文華峠 11 礼文華峠が廃されたのはクリヤ隧道旧道よりもやや遅れた昭和41年。
放棄された時期が早いのと、その後の時間経過の長さから、道路標識には期待できない。
探索は主に法面などの構造物を探すことになる。

ただ、いくら足元が刈り払われているとはいえ、周辺の斜面は植物が繁茂しており、自然の斜面にしか見えない。
その斜面がもとよりそうだったのか、はたまたその植物の下に何かが埋もれているのか、判別できないのである。

そんな中、かろうじてかつての国道らしき遺構が認められた。
それは九十九のひとつ上の路盤にある、石垣である。
ほとんど土に埋もれ、見えるのはほんの数段に過ぎない。というかそれしかなかったのかも?
乱雑に積まれた石は隙間だらけで、蹴りのひとつで崩壊しそうなものだが、確かにかつて、あの上を自動車が走ったのである。
国道37号 礼文華トンネル旧道 礼文華峠 12 石垣の路盤に向かうヘアピンの先には大規模な掘割があった。
幅は5〜6メートル、深さは3メートルくらいだろうか。
ここがかつてただの山道ではなく、「一級国道37号線」として活躍したことを今に示す、大きな掘割だ。
徒歩でも甚だ苦労した礼文華の道は、このような努力によって、ある時期自動車であっても通れたのである。
国道37号 礼文華トンネル旧道 礼文華峠 13 地図を握り締めながら、前へ進む。
藪も崩落もない道、恐れるのはヒグマといつかこの整備された道が潰えるかもしれない可能性だけだ。
予想に反して旧道は林間の走りやすい道。
いつ牙をむくかも知れぬこの道、果たしてこのまま大過なく峠を越えられるのだろうか?
[ 07' 5/1 訪問 ] [ 07' 5/8 作成 ]
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