国道39号 銀河トンネル旧道 小函遊歩道 1

概要

国道39号 銀河トンネル旧道 小函遊歩道の地図
「層雲峡」という言葉、少なくとも北海道人なら聞いたことのない人間はいないだろう。
高さ数百メートルにも及ぶ垂直の柱状節理が屏風のように連なる、道内随一の景勝地に数えられている。
大絶壁は石狩川の両岸に並び、国道39号はその足元にある。


上記のような大絶壁が続く場所に、諸車を通す道を造ることは至難の業であったことは想像するに難くない。
自然発生的に道が誕生するような余地のない地形であり、その始まりは大正9年、上川側から温泉(現在の層雲峡温泉)へと向かう道路が開削されたところに端を発する。
その後、大正13年には当時の温泉経営者の私費によって石狩川右岸道路が開削され、自動車道への改築を経て昭和2年、層雲峡温泉までの道路が完工を迎えた。
その年の内に道路はさらに奥地にまで延伸され、小函への自動車道路は昭和6年7月に完工する。

小函〜大函間もすぐに着工されたが、天然資源保存の意見から中断。
その状況を打破したのは戦争であった。
他地方の道路史を見ていると、「戦局の悪化に伴って開削工事は中断され・・・」という文言を頻繁に目にするが、この場所は違っていた。
この地では戦争遂行のための森林資源が強く求められ、戦時中にも奥地を目指して道路開削が続けられていたのである。
「資源保護」のために中断されていた道路工事は、昭和17年、「資源獲得」を目的として10年ぶりに再開。
大函への道は着工から数年の後に完成する。
奇しくもその完工の年は、終戦の年である昭和20年であった。


柱状節理の大絶壁の足元を行くその道は、昭和32年に国道39号に指定された後、層雲峡の温泉とともに観光道路として長く活躍する。
その活躍は昭和後期にまで及んだが、自然の景勝と脅威は常に切っても切れず、落石などの災害により通行止めとなることは多かったという。
これの対策として、まずは昭和54年、最危険地帯であった小函〜大函間の絶壁下道路が小函トンネルによって迂回され、旧国道の路盤は遊歩道として開放されることになった。
それでも災害は続き、小函トンネルの開通から10年も経過しない昭和61年、新たに銀河トンネルが計画される。

そんな矢先の昭和62年6月9日午前6時36分ごろ、小函トンネルの層雲峡温泉側坑口に近い天城岩と呼ばれる絶壁が大崩落。
死者も出す事態となったこの大災害を受け、銀河トンネルのルートは大幅に変更され、結果、景勝地小函をも迂回する長大トンネルとして銀河トンネルが平成7年に誕生した。
銀河の滝〜小函間の旧国道もまた、町道流星銀河・双瀑線という恥ずかしいカッチョイイ名前で一般に開放された。(■変遷の詳細図
このように、銀河トンネル、小函トンネルによって国道の地位を失った絶壁下の旧道も、一級の景勝地を巡る遊歩道として生きていく・・・はずだった・・・

まず閉鎖されたのは、最初にバイパスされた小函〜大函間の町道で、平成10年前後に「落石の危険あり」として通行止めになる。
銀河の滝〜小函まではその後も開放され続けたものの、この区間も数年前に落石危険として通行止めとなってしまった。
すなわち、小函への道はすべて通行止めになってしまったのである。


旧道落ちしてもなお、その景勝を求め、開放される道というのは実に少ない。
そんな貴重な景色が広がる道は今、誰も到達できない場所となった。
そういう場所だからこそ、行ってみたいのだよ。

1-1 異質な観光客

国道39号 銀河トンネル旧道 小函遊歩道 1 イントロで触れた渓谷美としての層雲峡は他のサイトにお任せするとして、いきなり新道である銀河トンネルの層雲峡温泉側坑口。
この日は上川の町に車を置き、テント他の宿泊装備を満載した自転車で走ってきた。
この荷物のせいで難所の踏破能力は大幅に落ちており、この先の通行止め区間を完走できるかどうか、大きな不安を抱いていた。
国道39号 銀河トンネル旧道 小函遊歩道 2 坑口手前には旧道に分かれる道があり、しばらくは観光用として車も入ることができ、大きな駐車場も備わっている。
ここまで車で来れば、はっきりいって自転車も必要ないし、ぶっちゃけ日帰りでも余裕なのである。
でもさ、北海道の短い初夏を、それもこんな晴れた日に、エンジン音をBGMに進むなんて勿体無いのよ。


写真の滝は現道のトンネルの名前の元になった銀河の滝・・・いや、その隣にある流星の滝だったかな?
景色は確かに北海道でも一二を争うレベルといえるし、こういった岩峰は個人的に大好きだが、観光情報は上川町のHPでも見ていただくとしてだね・・・
国道39号 銀河トンネル旧道 小函遊歩道 3 ウチの役目はこっちっしょ、やっぱ。


大勢いる観光客が、皆、滝や岩壁に注目する中、ひとりそういった物に見向きもせずに前進してきた。

旧道敷きには土産屋が建っていたり、駐車場に転用されていたりしており、そんな状況が現道との分岐から1kmほど続いている。
徐々に観光客の姿も見えなくなってくると、ゲートと「通行止め」の標識が路盤全体を塞いでいた。
ありとあらゆる道路標識の中で、「通行止め」ほどソソる標識はないね。
国道39号 銀河トンネル旧道 小函遊歩道 4 ゲート手前で振り返って撮影。
見える滝はこんどこそ銀河の滝だろう、たぶん。


探索のかなり前にも、このゲートまでは歩いてきたことがある。
そのときは観光シーズンで、交通整理のおっちゃんも付近にいて、この先へ進むことはできなかった。
進入は早朝でなければ駄目かと考えていたが、意外にも今日はノーガード。滝がよく見える場所(=観光客がいっぱいいるところ)からも、ここは死角になる。
国道39号 銀河トンネル旧道 小函遊歩道 5 テント装備の場合、高さ2メートルにも満たないこのゲートを越えることもできず、普段なら単身徒歩に切り替えるところだ。
が、この遊歩道を自転車で通り抜けできない場合、延長3388メートルもある銀河トンネルを行かなくてはならない。
それを厭い、ゲート横の少し低くなった柵を、自転車を担ぎ上げて越えることにした。
人影の見えない渓谷に、数十kgの荷物を担ぎ上げる私の「んぬわあああああ」という声が響いたかもしれない。

1-2 天城岩崩落事故

国道39号 銀河トンネル旧道 小函遊歩道 6 かつてはセンターラインが引いてあった箇所に歩車分離用の縁石が延びている。
それはとこどころで切れ、わざわざ待避所を設けている箇所もあった。


通行止めとなってから数年が経過しており、植生の勢いは廃道らしさを醸し出している。
ゲートにあった「当分の間」という通行止め期間は、もはや永遠に続くんじゃないだろうか。
国道39号 銀河トンネル旧道 小函遊歩道 7 通行止め区間なら、多少観光案内をしても良いだろう。

ゲートから700メートルほどで、雲井の滝という滝に着いた(この時期だとあまり見えない)。
遊歩道時代に設置されたらしい案内看板もまだしっかりしている。
国道39号 銀河トンネル旧道 小函遊歩道 8 さらに進むと急に道の状態がよくなり、道路脇に層雲峡測候所が見えてくる。
旧道の通行止め状況がいまいちよくわからなかった探索当時には、ここから先は関係者が行き来する一般的な道路なのだろうと思ってしまった。
イントロで紹介したとおり、この先は完全通行止めの廃道となっている。
層雲峡でも最も迫力のある場所=危険な場所も、まだこの先にある。
国道39号 銀河トンネル旧道 小函遊歩道 9 いや・・・少なくとも以前のある時期、ここはもっとも危険な箇所であった。
その原因は石狩川を挟んで対岸にある、高さ100メートルを越える垂直の大絶壁、天城岩である。
これついては、イントロで少し述べたように、昭和末期のある日、死者数名を数える大崩落を起こしている。
国道39号 銀河トンネル旧道 小函遊歩道 10 事故を記した上川町史第三巻には「層雲峡小函天城岩崩落災害」として詳述されている。
それによれば、昭和62年6月9日午前6時36分頃、目の前の天城岩が土砂量15000立方メートル、重量3万トンにも及ぶ大規模な崩落を起こし、直下の石狩川はもちろんのこと、それを越えて国道(今私が立っているところ)すらも巨大な岩石の下に埋めた。
当時は銀河トンネルの着工前で、この場所にも自動車が通っていた。
しかも、運悪く現場を走行中のトラック2台とサイクリング中の車列が巻き込まれ、それぞれのトラックのドライバーとサイクリングの先導者が死亡、さらに6人の重軽傷者を出す惨事となった。
岩石は高さ6メートルにもわたって国道を埋め、その中から発見されたトラックはもはや原型を留めぬ状態であったという。

1-3 えっ

国道39号 銀河トンネル旧道 小函遊歩道 11 探索時には事件のあらましを知らなかったので、詳しい探索は行っていない。
少なくとも目立つ場所には、慰霊碑的なものや、当時の痕跡のようなものは見当たらなかった(天城岩を示す看板のほうが目立っていた)。


事故現場のすぐ先には天城岩覆道(昭和63年竣工)がある。
国道39号 銀河トンネル旧道 小函遊歩道 12 銘版によれば、延長は204メートル。
事故後に建設されたもので、この中を自動車が通った期間は7年にも満たない。


出口に見えるのは・・・作業小屋?
国道39号 銀河トンネル旧道 小函遊歩道 13 ではないね、なんだこれ?
一瞬旧道敷きを利用した畜舎のように思えた。
手前の壁には扉がついているが・・・何の施設か分からないのに手をかけるほど向こう見ずではない。
もう少し進んでみた。
国道39号 銀河トンネル旧道 小函遊歩道 14 ふぬわっ!!!

こっ、これは・・・銀河トンネルの横坑!
作り付けの立派な回廊が横坑出口と天城岩覆道をつないでいた。
その意義を示すかのごとく、周辺にはどこから来たのか落石が散らばり、これまでの区間では最も荒れている印象だ。


この回廊が、内部で横坑に接続していることは間違いない。
ってことはあれだ、さっきの扉か。
国道39号 銀河トンネル旧道 小函遊歩道 15 滝の沢トンネルじゃあるまいし、ピカピカのトンネルの横坑が開いてるわけねーよな・・・

どれどれ。
国道39号 銀河トンネル旧道 小函遊歩道 16
えっ
あいちゃった。
[ 09' 6/27 訪問 ] [ 09' 7/5 作成 ]
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