国道49号 五十島トンネル旧道と旧旧道 3

概要

国道49号 五十島トンネル旧道と旧旧道の地図 わずか数百メートルの区間に廃美のエキスが濃密に凝縮された、五十島トンネル旧道。
あるときは雪解け水を漕ぎ、あるときは両側から迫る緑と戦いながらたどり着いた先には、重厚なコンクリートがその労をねぎらうように鎮座していた。

だがしかし、最初の訪問から約一年、ふと疑問が浮かんだ。

「トンネルあるところに旧道あり」

なるほど、五十島「トンネル」には、旧道として五十島「隧道」が存在する。

だが、ちょっとまてよ。
五十島「隧道」だってトンネルだ。そして、その竣工は昭和33年。
一方で、第1回で紹介したように、この国道49号線は旧き若松街道に沿うように、明治17年、あの三島の手によって開通したものである。


明治の開通から、昭和33年の五十島隧道の開通まで使用された道は、三島の道は、どこへ行った?

3-1 春の旧道

国道49号 五十島トンネル旧道と旧旧道 27 旧旧道の探索に訪れたのは2005年4月。一年でもっとも廃道探索に適した時期である。

すっかり緑を落とした五十島隧道には遠目ではまるで生命力を感じられない冬枯れした蔦が巻きつき、真夏に訪れたときとは明らかに異なる印象を与えてくる。
春の陽光に照らされたコンクリートはまるで大理石のように白く鮮やかに輝き、奥にある真っ黒な隧道と見事なコントラストを描いていた。
国道49号 五十島トンネル旧道と旧旧道 28 履道を見上げると、夏場は蔦に覆われて見えなかった扁額が見えた。
履道の扁額かと思いきや、隧道のものであり、「五十島隧道」の文字が鮮明に刻まれている。
扁額の表面はびっしりと蔦に覆われ、夏場は植物が風化から守っているのだろう。
緑はかたや侵食による崩壊の原因ともなり、かたやこのように風雨から身を守る鎧ともなる。

3-2 五十島隧道旧道(五十島トンネル旧旧道)

国道49号 五十島トンネル旧道と旧旧道 29 さて、目の前の隧道の旧道を探してみよう。

隧道の西側に接する履道から川の方を眺めてみると、なにやら平場を発見。平場はそのまま隧道に平行して川岸を伝っている。
見たところ明らかに崖を削ったような地形であり、これが五十島隧道旧道、現道基準で言えば五十島トンネル旧旧道か?
早速進入。
国道49号 五十島トンネル旧道と旧旧道 30 周囲は幾分土砂で傾いているものの、歩くのに支障があるほどではない。
もっとも、夏場にここを覗いたときは一面緑の中であり、注意していなければ道の存在にすら気付かないだろう。

進入してすぐ、明らかな人工物が地中から生えていた。
木製電柱の基礎部分と思われるそれは道のど真ん中に埋まっており、旧道落ちしてから設置されたものと思われる。
国道49号 五十島トンネル旧道と旧旧道 31 そのすぐ先にあった折れた電信柱。
上の写真の電柱が折れたものかとも思ったが、頭を根本側にして倒れているのは不自然だ。
以前、別の場所の旧道に木製電柱が大量に廃棄されている光景を見たことがある。この電柱もそういった経緯でここへつれてこられ、廃棄されたのかもしれない。

電柱の頭には腐食防止用の真っ黒いゴムがかぶせられ、そこには「昭和42年」の文字が読み取れた。
この時代にはすでに五十島隧道は開通しており、付近は旧道落ちしていたが、周辺の長大橋の建設ラッシュが続いていた頃だ。
この電柱がその喧騒を聞いていたのかどうかは分からない。
いまはただ、雄大な阿賀野川の流れを背にしながら、石を枕に、緑を布団に眠り続けるのみである。
国道49号 五十島トンネル旧道と旧旧道 32 旧道敷きはどうかというと、とにかく落石がごろごろ。
平坦なのは分岐地点のごくわずかの区間であり、電柱の基礎部分を過ぎた辺りからは上から崩れ落ちた岩石が地面を覆い尽くし、自然の地表となんら変わらない。あまりの変容振りに、正直本当に道であったのかを疑いたくなってくるほどだ。

幸いなことにその土砂の量はそれほど多くなく、道全体をふさぐほどではない。また、路肩の崩落という道自体の決定的な消失もなく、 歩きにくいことは確かだが進めないことはない。
国道49号 五十島トンネル旧道と旧旧道 33 電柱とその切れ端以外に人工物らしいものは皆無。
法面施工すらされていない削りっぱなしの崖からはぼろぼろと石が落ちてきている。
石は非常に角ばっており、転倒すればバックリと切れるだろう・・・くわばらくわばら。

路肩の崩落がないため、当時の道幅を推定することができる。
おおむね1〜1.5車線といったところだが、見通しの悪い左カーブでしかもガードレールもないのだから、対向車と鉢合わせとなれば命懸け。
明治、大正の車の少ない時代であればこそ許される規格であった。
国道49号 五十島トンネル旧道と旧旧道 34 五十島隧道は延長わずか30メートルほどである。当然、それを巻くように残るその旧道部分も距離は長くない。
角ばった落石に転倒しないよう細心の注意を払いながら進んでいても、5分もかからず反対側の坑口が見えた。
地形的に今通ってきた部分が三島の道と見てよさそうだが、それといった構造物はなく、距離が短いこともあって感慨は薄い。

現道(いや旧道か)との合流地点は特に土砂崩れがひどく、道の痕跡は認めがたい。
崩れた土砂の上に生える木々の太さからして、すでにここは自然の山の斜面でしかない。
すっかり元の山に帰りきったこの光景からは判然としないが、かつての道は左に見える隧道延長部分(茶色いコンクリートのあたり)に接続していたようで、 仮に土砂がなくとも旧旧道敷きを完全にトレースして旧道部分に戻ることは不可能だ。
足がかりになる木々は見ての通りいくらでもあり、その気になれば空中歩行をしてこの先の履道に到達することもできるかもしれないが・・・
・・・そもそも道じゃないんだから行かなくてもいいっしょ?(弱気)

元来た道を戻り、隧道を抜けて反対側から覗いてみることにした。
国道49号 五十島トンネル旧道と旧旧道 35 相変わらず劣化激しい五十島隧道。
竣工からまだ50年も経っていないというのに、この有様はなんだ。
仮にも当時は二級国道として整備を受け、幹線として機能したはずなのに、その凋落振りは目を覆うものがある。
竣工からたった20年余りで放棄され、現在では供用されていた時間より放棄されてからの時間のほうが長くなってしまったわけだが、 放棄の理由にコンクリートの質の悪さでもあったのではないかと勘ぐりたくなるほどの惨状だ。

崩落へのカウントダウンは、Point of no returnをとっくに過ぎている。
国道49号 五十島トンネル旧道と旧旧道 36 隧道を抜け、旧旧道方向を望む。

上述の通り、こちらから直接旧旧道に至るのは困難である。
合流地点を埋め尽くした土砂は履道内部にまで侵入してきており、脚をかけると簡単にガラガラと崩れ落ちた。

これは、さっき無理に合流しようとしていれば、死んでたな・・・

背筋に寒いものを感じながらも、身を乗り出して合流点を撮影。
ご覧の通り、道の痕跡は切り取られた崖がわずかにその姿をとどめるのみ。
こちらから旧道を探していたら、見逃していたかもしれない。

3-3 足元に見える明治の道

さて、今踏破した旧旧道だが、切り取られた崖以外に目立った道路構造物はなく、明治の情緒を感じることは難しい。
ともすれば、ここが本当に道であったかも疑問に思えてしまう。
法面施工もないために崩落がひどいことはお知らせしたとおりである。

だが、これほどまでに自然の斜面に帰りつつある一方で、路肩の崩落は全く見られなかった。
これはひょっとして、足元を支える「何か」がいまだ生きているのではないか・・・?
国道49号 五十島トンネル旧道と旧旧道 37 今回の探索でひとつお伝えしていなかったことがある。
それがこの階段の存在。五十島隧道西側坑口(旧旧道へと進入した側)にある。

冬枯れした植物がびっしりと絡みつき、夏場は正直言って階段の存在に気付かなかった。
足元にあるかもしれない「何か」。
そこへ誘うようにして姿を現した謎の階段に、私は胸の高鳴りを抑えることができなかった。
ひとつの段と同じぐらいの大きさになった根に躓きながら、慎重に階段を下りる。
頑丈な手すりが設けられ、半分を木々が覆っているものの、往時の幅はかなり広かったようだ。
中央には自転車を押して歩けるようなスロープまである。現代でも廃スペック、いや、ハイスペックな階段だ。

だがしかし、正直なところ、この階段の正体はどうでもよかった(そのため、写真もあまりない)。
川面からの旧道の姿を、早くこの目で見たかった。


川面に降り立ち、そして見上げたその先には・・・
国道49号 五十島トンネル旧道と旧旧道 38
きたaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!!!!
国道49号 五十島トンネル旧道と旧旧道 39 やはりあった!!!!石垣yyyyyyyyy!!!!!!!
明治の、三島の、石垣が!!!!

私の予想は間違っていなかった!
五十島隧道には確かに旧道が存在し、明治に築かれたその石垣は度重なる風雪にも頑なに耐え、21世紀にもなお、その道を守り続けていたのだ!
国道49号 五十島トンネル旧道と旧旧道 40 石垣は旧道敷きに従って忠実に伸びていた。
上から落ちてきた土砂や木々に阻まれ、全体を望むことはかなわなかったが、道が隧道に吸い込まれた区間にも、確かに、石垣は存在した。

もはや、迷いは消えた。
あの瓦礫に覆われた道は、三島の道。
明治17年、西暦にして1884年からを120年以上の時を経た、三島の道の、今の姿であった。
国道49号 五十島トンネル旧道と旧旧道 41 階段を降りた先はほんの数メートルで行き止まりとなった。
ごく小さな砂浜のようになっていて、歩ける幅は、人一人分くらいだったか(石垣ばかり見てたため、印象にない)。
また、旧道敷きの下は切り立った崖になっており、ロッククライミング以外でここを往来する手段はない。

階段で接続された周囲の正体はよくわからないが、対岸の五十島集落と結ばれた船着場かなとも思う。
ここからやや上流に行ったところに川を渡る橋があるが、これはかなりの長大橋で、竣工も古くない。
しかし、これは全くの想像であり、何か根拠があるわけではない。

写真は嬉々として階段を戻るときのもの。そのスペックがお分かりいただけると思う。
貴重な明治の遺構を目のあたりにし、足取りも軽い。
さらにこの後、磐越西線旧線 旧吉津トンネルの探索に赴き、レンガ隧道に狂喜乱舞したのだった。

・・・はしゃぎ疲れました。
濃密な廃美を見せてくれた五十島トンネル旧道、そして、明治の道を今に伝える旧旧道。
「宝の山」といってもいいほどの強烈なその刺激は、ここ以外に味わったことがない。

120年以上も耐え続けた石垣は、まだ何十年も耐え続けるだろう。
一方で、50年近く耐え続けた五十島隧道は、多分もう長くはない。
「宝」のひとつが自然に帰る日は・・・近い。
[ 04' 7/3、05' 4/2 訪問 ] [ 05' 11/25 作成 ]
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