国道8号 親不知旧道 4

概要

国道8号 親不知旧道の地図
藪の海を掻き分け、ようやくスノーシェードにたどり着いた。
蟲たちに私の体という生贄を捧げながら。

4-1 雪覆工遺跡

国道8号 親不知旧道 47 内部はもうスノーシェードの原形をとどめていない。
かろうじて残った鉄骨を足場として植物が繁茂し、さながらジャングルの中に見つけた古代遺跡だ。

道幅は1車線程度。
足元には舗装された形跡はない。
周辺の区間が舗装されたのは昭和40年頃といわれているので、同時期に廃された区間であるこの場所が舗装されていないのは当然か。
スノーシェード外の激藪区間ほどではないが、足元からも柔らかな緑の植物が侵食している。
国道8号 親不知旧道 48 わずかに残された骨組みも、もう先は長くないことを予感させる腐食振りだ。
ひどいものでは、風に吹かれてゆらゆらと動いている有様。
ヘルメットの紐をきつく縛りなおした。
国道8号 親不知旧道 49 部分的にはこのように天井が残っている場所もあるが、それとて完全に無傷とはいかない。
足元にはその残骸と思われる鉄材が藪に埋もれて散見された。
スノーシェード内に崩落土といったものはほとんどないため、ほとんどが経年劣化または積雪や雪崩によるものと思われる。

現道への切り替えが昭和42年だから、スノーシェードの竣工は昭和30年頃だろうか。
すでに半世紀くらいは過ぎていそうだが、果たしてあと何年もつことか・・・
国道8号 親不知旧道 50 振り返って撮影。 天井の鉄骨まで青々とした木々の支柱になり果て、かろうじてその姿をとどめるのは日の当たらない山側の鉄骨のみ。
一冬ごとに雪崩が土と植物を運び、足元の植物達もこれからますます増えていくだろう。
いつか、土砂崩れで埋没しない限り。
国道8号 親不知旧道 51 スノーシェードが尽きたあたりで、現道に合流する。
左に見える白い箱は現道に関連したものだ。
初め、蜘蛛の巣が少ない箱の右側を通って現道に戻ろうとしたのだが、ここは緑が足元の断崖を隠した危険地帯。
危うく突き抜けるところであった。
国道8号 親不知旧道 52 何とか現道にたどり着き、旧道を撮影。
こちら側には入口にあったようなゲートはない。
もっとも、この藪の壁を見て、この先に道があると思う人間は一人としておるまい。

流石にあの藪の中に再突入するのはもう何かの罰ゲームでしかない。
現在の洞川橋を渡り、入り口に置いてきた自転車のところに戻ることにした。
国道8号 親不知旧道 53 現道から旧道のスノーシェードを見る。

朽ちた鉄骨に絡まる緑の植物達・・・
やはり、廃美は緑濃い時期が最も美しい。
文字通り、美しいものには棘があったりするわけだが。

4-2 駒返トンネル旧道

国道8号 親不知旧道 54 相棒に跨り、再び西へ。

このあたりの線形や勾配、幅員も決して良くはない。
これを改良する案として、海上に長大な橋を架ける案がすでに決定されている。
一部区間については橋ではなくトンネルを掘る計画で、実際そのトンネルはすでに供用されている(後述)。
しかしながら、海上区間については今のところ全く手付かずのようだ。
国道8号 親不知旧道 55 洞川橋から1km弱ほど、洞門とスノーシェードの中を進んでくると、その改良されたトンネルが口をあけていた。
これは平成5年竣工の駒返トンネル。
ごくごく最近に作られたトンネルではあるが、子不知高架橋前後の改良計画によっては、これも旧道化する可能性がある。
山側に長大トンネルを新規に掘削する案が採択されれば、このトンネルも放棄されてしまうからだ。
流石にそれはもったいないと思うのだが・・・
国道8号 親不知旧道 56 トンネルの脇にはその竣工まで使われた旧道が存在している。
この柵もまた難儀なもので、重い荷物を背負った自転車を担ぎ上げるのは無理。
脇から回ろうにも、柵の右側は落差数十メートルの絶壁であり、それも困難。
結局、またも相棒を置き去りにすることにしてしまった。
荷物さえなければまだしもねえ。
国道8号 親不知旧道 57 むっはー!

旧道の洞門上には標識のonparade!
左から、「駐車禁止」「洞門名」「追い越し禁止」「速度制限40」「扁額」「つづら折れあり」「幅員減少」「最徐行」だ。
こんなもん全部見てたら前方車両に追突すると思うのだが、何が何でもドライバーに警告は欠かさないのである。
いったいこの先どんな道になっているのか、この標識達がそのワンダーランドへの案内役。
国道8号 親不知旧道 58 中は資材置き場になっている。
定期的な保守管理、それも普通の道とは比べ物にならない頻度での保守が必要とされる親不知の道で使われる、さまざまな資材が並んでいた。

現道は駒返トンネルで崖の中を貫通している一方で、旧道はこのように崖にへばりついて進む。
そんな道ではやはり落石などが頻発するわけで、この区間は全て洞門に覆われている。
旧道における洞門の名も駒返洞門だ。

「駒返」というのはこの一帯の地名で、古来より「駒返しの難所」として知られていた。
名の由来は聖徳太子が出羽の羽黒山に参詣する際、駒をここから都に返したとか、木曽義仲が都に攻め上る際、愛馬を通すことができず、 木曽に引き返したかとか、いろいろいわれがあるようだ。
また、子不知の区間としては最大の難所でもあり、数多くの雅人によって歌も詠まれている。
国道8号 親不知旧道 59 天井には蛍光灯がつけられていたが、現役時代から設置されていたのかどうかは不明だ。
現道の洞門区間にはナトリウムランプもなく、ここの蛍光灯は旧道落ちしてから設置されたのかもしれない。
国道8号 親不知旧道 60 この区間がバイパスされた最大の原因がこれである。
っていうか、現地ではそんな断言できる資料など持ち合わせていないが、これはもう確信した。
ただでさえ圧迫感を感じ、実際に幅員狭小な洞門が、ここでますます狭まっているのだ。
ありえんよ、これ。

駒返区間の洞門はひとまとめにして「駒返洞門」と呼ばれるが、実際には時代の異なる洞門がつぎはぎに連なっている。
この狭小区間は昭和初期の改修工事で設置された洞門であり、幅は6.5メートルしかない。
大型車同士の離合は困難を極めた。
国道8号 親不知旧道 61 おまけにこのようにカーブしているものだから、なおさら始末が悪い。
車両側面同士の接触事故は耐えなかったという。

なお、写真はだいぶ感度を上げて撮影しているが、内部はかなり暗かった(上の写真参照)。
これは洞門の窓に植物が繁茂して、光を遮っているからである。
減益当時は刈り払いはしていたようにも思うが、洞門外に人が歩けるスペースなどない。
下手したら、現役時代からこんな有様だったりするかもしれない。
国道8号 親不知旧道 62 内部にはいくつもの青看が落ちていた。
ただし、どれも所有者(?)のタグが貼られており、捨ててあるというわけではない。
多くは国道から取り外したもののようだが、残念ながら白看はなかった。

また、看板の裏にはこっそりとおにぎりも存在。
これもまあ、「旧道に残された国道標識」の一種といえよう。
国道8号 親不知旧道 63 洞門はまた広くなったり狭くなったりを繰り返しつつ、外へ出る。
もう現道はすぐそこだ。
国道8号 親不知旧道 64 こちら側の洞門天井にも幾つかの標識が並んでいたようだが、蔦に覆われてほとんど見えない。
廃美に蔦は必須のオブジェであるが、ブルーシートに包まれた資材がいただけない。
ま、資材置き場に勝手に入ってきた者が文句を言える立場ではないが・・・
国道8号 親不知旧道 65 現道への合流口は、入口と同じ柵で封鎖されている。
柵の向こうにある巨大な橋梁は、北陸自動車道のものだ。
前時代的な洞門を潜り抜けてきた私には、まさにあれは未来の光景として煌びやかに映ったものである。

徒歩で探索してきた私は柵を越えて現道に合流することは容易であったが、 旧道入口の自転車までとぼとぼと現道の無機質なトンネルの中を歩くのはつまらん。
再び旧道へと戻ることにしよう。
交通量が多いせいか、親不知の旧道はどこもガードが固い。
「荷物を持っては越えられない柵」というのは、おそらく不法投棄対策だろう。
この柵では、古タイヤ一本も投棄できない。
[ 06' 9/3 訪問 ] [ 06' 10/6 作成 ]
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