国道8号 親不知旧道 6

概要

国道8号 親不知旧道の地図
古来、北陸道最大の難所として知られた、親不知。
その中でももっとも過酷であった絶壁の道が、天嶮である。
風波穏やかなときならばいざ知らず、日本海の荒波が叩きつけるときなど、「道を歩く」という本当に当たり前のことが、命がけであった。

そんな苦労を克服すべく、明治16年、断崖の上に新たな道が造られた。
その時、天嶮の絶壁には響いたであろう。
人々の想いが、歓喜の雄叫びが。

6-1 天嶮トンネル

国道8号 親不知旧道 79 振り返って撮影。
風波地先から、6%という一桁国道としては非常にまずい急勾配で一気に登ってきた。
この登りも、「天下の険路」たる天嶮に対する必死の抵抗だ。
国道8号 親不知旧道 80 登り坂の頂点には、ひとつの古い隧道がある。
名は「天嶮トンネル」。昭和41年の竣工だ。

明治時代に造られた新道も、昭和の時代にはすでに時代遅れとされた。
そして建設されたこの天嶮トンネルであるが、平成の時代ではこれもすでに時代遅れである。
中は歩道もなく、幅員は6.5メートルと狭小なのがその理由だ。
先に述べた、風波地区の線形改良とともに、この隧道も放棄されることが決まっている。
線形改良にはいくつかの原案があったが、それらの大前提としてこの天嶮トンネルは「利用は考えないものとする」とされている(「親不知のみち 第二編」)。
国道8号 親不知旧道 81 すでに死の宣告が下された天嶮トンネル。
一方で、昭和の時代に死の宣告を下された明治の道、すなわち天嶮トンネルの旧道は、まだ生きている。
その道は現在では「親不知コミュニティロード」と名づけられ、市道の遊歩道となっているのだ。
観光ホテルの玄関前の道が、その入り口になる。
国道8号 親不知旧道 82 ここから先は自動車、バイクは通行できない。
観光ホテルの前に大きな駐車場があり、車はそこに置いていくことになる。

今はまだ全く着工の気配がない親不知地区の線形改良であるが、仮にその工事が完了しても、 観光資源、また文化遺産の豊富なこのあたりが廃道化することはないだろう。
車両でのアクセスを確保するため、天嶮トンネルも活用されるものと思われる。

6-2 歓喜の声が、明治より今へ

国道8号 親不知旧道 83 遊歩道は東屋や歴史の案内板など、非常に設備が充実している。
道好きにはたまらない。

東屋の中には天嶮の断崖を模した精巧なジオラマが置かれていたりと、実に興味深いところだ。
国道8号 親不知旧道 84 明治の道は天嶮トンネルが貫通する崖を回り込むように作られている。
道幅は狭く、災害の多発しそうな道ではあるが、それでも、絶壁と海に挟まれた古来の親不知のような危険を感じることはない。
感じられないことこそが、明治時代に大変な大工事の末に造り上げたこの道の成果なのだ。

この道が生まれるまで、あるいはそれを生み出すための工事に際しても、途方もない数の人命が奪われたはずである。
それはきっと、並みの国道旧道の比ではない。
天嶮の崖の上に道を築きあげたその瞬間に、人はその恐怖から解放されたのだ。
重機も何もなかった明治時代に、人の手で、波間の恐怖を打ち砕いたのだ。
国道8号 親不知旧道 85 その完工に人々は沸き立った。
その歓喜の叫びは、一枚の岩に刻まれた。
立派な書体で、いくつもいくつも、その喜びが刻まれた。
国道8号 親不知旧道 86
「如砥如矢」
国道8号 親不知旧道 87 右書きで大書されたそれは、「砥(と)の如(ごと)く 矢の如し」と読む。
築かれた道が砥いだ石のように滑らかであり、矢のように速く移動できるという意味である。
このたった四文字が、親不知がどれほど恐ろしい存在で、新たな道を待ち望んだかを全て言い表している。

6-3 明治国道

国道8号 親不知旧道 88 人々の魂の声が刻まれた岩を過ぎ、現道を目指して西へ進む。
さすがに昭和中期にすでに役目を譲った箇所だけあり、線形や幅員、法面の斜度などは非常に危うい。
ただ、それも片側二車線歩道つきの近代的道路に見慣れた人間の感想に過ぎない。
国道8号 親不知旧道 89 車道としては、当時の遺構らしきものも見られる。
国道として現役だった時代には舗装されていなかったはずなので、ある程度改良は施されていることには違いない。
国道8号 親不知旧道 90 それにしても、市道として活躍する一方で、完璧に管理されているというわけでもなさそうだ。
路上には落ち葉が積もり、倒木なども若干見られた。
もっとも、これらがまた明治の国道にいい味を添えている。
国道8号 親不知旧道 91 崖を無理やり削って造った道である。
法面は何とか補強されていたり、落石防護ネットが張られていたりするが、災害の頻度は間違いなく現道よりも多いはず。
今のところ問題なく通行できるが、いざ災害となれば、分断されてしまったまま復旧されないかもしれない。
国道8号 親不知旧道 92 なにせ、ここは風波の展望台から眺めた天嶮の崖の上だ。
路盤が崩落してしまったら、いったいどうやって復旧するというのだ。
海に向かって沈下した路盤を見て、薄ら寒くなった。
国道8号 親不知旧道 93 静かな道に騒々しい車の音が聞こえてきた。
時刻はそろそろ午前8時近い。
いくら日曜日とはいえ、もう国道は忙しくなっていた。

6-4 富山へ!

国道8号 親不知旧道 94 天嶮トンネルの西側坑口の目の前で、旧道は合流する。
先ほどお伝えしたとおり、トンネル内は歩道がない上に大型車が多い。
旧道である遊歩道が通行可能であるのならば、自転車や徒歩ならば旧道に回ることをお勧めする。
おもしろいし。
国道8号 親不知旧道 95 天嶮の次に現れる地名が「浄土」である。
天嶮で死地を潜り抜け、かろうじてたどり着いた地につけられた名前だ。
ここまで来れば大丈夫、という意味で、私のように東から来たものにはこれで親不知を通過できたということ。
旅人にとって、まさに極楽浄土を感じられた場所である。

国道も天嶮を越えると、後は親不知西の集落、市振までずっと下り坂になる。
自動車交通にとって長い下り坂は必ずしも歓迎されないかもしれないが、自転車の私には極楽浄土。
その道のりは「如砥如矢」
滑らかな道を矢の如く走り、富山を目指した。
市振の集落へとたどり着き、古来の旅人がそうしたように、私も一息ついた。
新潟という場所柄、富山や金沢に出かけることは多いのだが、自身にとって自転車での富山入りというのはサイクリストとしてのひとつの目標でもあった。
市振からさらに西へ進み、県境である境川を越える際には、 いいようのない達成感に打ち震えたものである。
廃物も面白いが、やっぱり私は自転車が好きなのだ。
[ 06' 9/3 訪問 ] [ 06' 10/20 作成 ]
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