国道8号 赤田トンネル旧道 曽地峠 2

概要

国道8号 赤田トンネル旧道 曽地峠の地図 峠に至るまで、ここが一桁国道としては放棄されるような理由は見当たらない。
それは、峠の先にある。

2-1 老兵の向こうに

国道8号 赤田トンネル旧道 曽地峠 16 峠から降りていくと、勾配こそ緩やかなものの、ヘアピンに近い強烈なカーブが待っていた。
峠付近に表示された「この先急カーブ」の文字もうなずける、きついカーブだ。
道幅はともかく、この屈曲具合はいまどきの県道にもほとんど見られないほどのブラインドカーブ。
峠を越え、下りに転じた途端に先の見えない急カーブ、まして路面が凍結しようものなら、車に乗らない私でも危険なことくらい想像がつく。
一桁国道ともあれば重い荷物を積んだトラックなども通るだろうが、大型車は制動力が効かなくなることも十分に考えられる。
明治天皇をお迎えした誇り高き峠の道路も、自動車交通時代には冬期の難所となってしまった所以を垣間見た。

さて、ここで目を惹いたのはカーブの外側に設けられた大きな駐車場のようなスペース。
峠からこの光景を見たとき、最初は左カーブを曲がりきれなかった車両の避難場所、 鉄道で言うところの安全側線のようなものに見えた(多分その意味合いもあるだろう)。
国道8号 赤田トンネル旧道 曽地峠 17 広場には車両を十台以上は駐車できるスペースが広がっている。
その足元には、役目を終えたカーブ標識がいくつも転がっていた。

「もはやここでカーブに恐怖するものもおるまい。私はもう眠らせてもらうよ」

長きにわたって新潟の風雪に耐えつつ、峠の最期を見届けた標識が、そんな言葉を語りかけてくるようだった。
国道8号 赤田トンネル旧道 曽地峠 18 広場のやや奥まったところには、なにやら巨大な石碑が見えた。
その巨大さ、わざわざ設けられた高い段、石造りの囲い、そこらの石碑とは雰囲気の異なる神妙さを感じるぞ。
接近。
国道8号 赤田トンネル旧道 曽地峠 19 「明治天皇御駐輦記念碑」

巨大な石柱には、その大きさに見合った豪快な書体でそう刻まれていた。
これこそが、確かにここが明治天皇の巡幸路となった証である。
しかしながら、旧道落ちして確実に人の往来が減ったせいか、石碑周辺は草刈もされておらず、 雑草なのか植木なのか判別もしにくいほど植物が茂ってきている。
栄光なる「御駐輦」のこの場所も、21世紀の今ではすでに地元民にすら見向きもされないのか。

「御駐輦」とは、天皇が乗った輿を停めること、要は総勢800人にも及ぶ隊一行の休憩などのことである。
明治天皇一行が長岡から柏崎へのルートとして選んだのは、かねてよりの妙法寺峠ではなく、この曽地峠であった。
これを大いに歓迎した地元民は、峠付近の眺望の良い場所に御野立所として東屋を整備し、首を長くして待ち望んでいた。

そして明治11年9月23日の午後、ついにその時がやってくる。
しかしながら、折りしもこの日は午後から降雨が続き、眺望はおろかぬかるんだ足元にとても歩を休めるどころではなかったらしい。
地元民が魂をかけて建設し、妙法寺峠・長岡街道からその地位を奪い取ったこの曽地峠も、 「休憩場所とはいってもこんなぬかるんで急な坂道で止まれるか!」といわれてしまい、結局一行は峠を素通りする形となってしまったのである。

巡幸路を奪われた妙法寺峠沿道の住民の落胆はもちろんあっただろうが、当の曽地峠沿道の住民もまた、あいにくの天気に落胆したことだろう。
御野立こそ叶うことはなかったが、その後先述の通り県道の指定を妙法寺峠からもぎ取り、長岡街道が没落していく中、 長岡〜柏崎間の要衝としてこの峠は栄えていくことになる。
唯一の心残りとして、果たせなかった御野立の夢をこめ、大正2年11月、この石碑が建立されたとのことである。
国道8号 赤田トンネル旧道 曽地峠 20 石碑の裏には達筆でなにやら刻まれている。
書き出しには「明治十一年九月二十三日此地御駐輦之際男爵高崎正風●詠之歌」(●は判別できない旧字体)と読めたが、 それに続く達筆部分は・・・読めるかこんなの。

事後の調査によると、巡幸隊一行の一人、当時の男爵御歌所所長であった高崎正風による歌らしく、
雲かゝる美ねのかけ地も御くるまを 免ぐらすまてに開けつるかな
だそうだ。
なるほど、当時の沿道住人の悲願、眺望優れたこの地において、天皇陛下がご休憩あそばれる事をどれほど望んでいたか、
そしてそれを妨げる降雨が、陛下が峠を過ぎてしまうまでに何とか晴れて欲しいという切なる願いが、歌を通して伝わってくるではないか。
国道8号 赤田トンネル旧道 曽地峠 21 その眺望だが、確かに目を惹くものがあるものの、「陛下にぜひこの景色を!」というほどのものでもない。
おそらくその原因は、近代の交通事情に合わせ、二度にわたって峠を掘り下げていることに起因していると思われる。
当然当時の峠は今よりも頭上にあったわけで、日本海彼方には佐渡島、左に米山も配するそれは見事な眺望であったと記録されている。

さらに、この石碑自体も足元の赤田トンネルの工事に伴って昭和60年に移設されたものであるため、これが本来あった場所からであれば、 ある程度の眺望は望めるのかもしれない。


ちなみに峠名は一般に曽地峠と言われるが、これはかつて麓の曽地集落に宿場があったためで、峠自体はここを拓いた集落、赤田町方にある。
赤田町方では、この峠のことを「弓の返り峠」と呼んでいるそうだ。
国土地理院発行の地形図も今では曽地峠と記載しているが、古い地形図では弓の返り峠と書かれている。

2-2 燻し銀

国道8号 赤田トンネル旧道 曽地峠 22 たいしたダメージがあるわけでもないのに、旧道の進入口は一応通行止めとされ、この史跡に足を運ぶものがいったいどれほどいるのか疑わしい。
私はその久しぶりの旅人だったのかもしれない。
広場を過ぎ、赤田町方へ向かって下りに転じる。

広場手前に強烈な急カーブがあったが、広場を過ぎるともうひとつ、つづらに近い右カーブ。
さらに、幅員も明らかに狭くなり、勾配も峠手前に比べてきつい。
こりゃあ県道ならともかく一桁国道としちゃあ致命的だ。

そんな道でも、随所に設けられたガードレール、そして取り残された街灯が、かつての幹線国道の威容をとどめていた。
もはや明かりのともることのないそれが、この旧道には二つ残っている。
いくつもの旧道を旅してきたが、街灯が残されていたのはこれが初めてだ。
旧道というか、ここはもう廃道なわけだが、一桁国道の輝きは廃されて数十年を経過した今でも、燻し銀のごとし煌めきを放っているようだった。
国道8号 赤田トンネル旧道 曽地峠 23 右側を見てみると、真っ赤なトラスの巨大な橋が見えた。
あれは現道の赤田大橋だ。
赤田トンネルの赤田町方側坑口は山の斜面に口をあけており、トンネルを出るとすぐにこの橋を渡る。

現代技術を駆使してまでも、今の地位を築き上げた明治の道を廃さねばならなかったのか。
国道8号 赤田トンネル旧道 曽地峠 24 上の写真のカーブをぐぐぐいっと大きく曲がると、再び幅員は広くなる。

路上には枯れ枝が散乱していたが、総じて旧道の状態は良い。
路肩の草刈も行われており、もともとの規格が高いこともあって、20年物の旧道とは思えないほどだ。
逆に言えば、廃美という観点からは少々面白みに欠ける道である。
それは妙法寺峠もそうであったが、妙法寺峠と曽地峠の歴史を覗いてみれば、きっと意義のある道に感じられるはずだ。
国道8号 赤田トンネル旧道 曽地峠 25 こちら側にも車止め。写真は振り返って撮影。
峠を挟んで両側が車両通行止めとなっており、必然的に、峠の石碑に到達するのは徒歩に類するものに限定されてしまう。
もはや石碑前の駐車場のような広場も必要なさそうだが、峠には電線が走っており、その保守管理用に利用されているのだろう。
国道8号 赤田トンネル旧道 曽地峠 26 車止めから実際の現道への合流地点までは、少し距離がある。
とはいってもほんの数十メートルほどで合流だ。

合流しているようだが、線形的に見ると、旧道はこのまま現道を横切って直進していたようだ(ページ上地図・ピンク色の部分)。
現道はこの先高度を下げていくにあたり、巨大な橋をいくつも連ねていることも、そこに旧道が存在したことを示している。
確証はないのだが、ここは自分の鼻を信じて、直進する。

2-3 嗅覚を頼りに

国道8号 赤田トンネル旧道 曽地峠 27 道はこんな感じ。
旧道といえども規格の高かった峠前後と比べると、明らかに型落ちしている。
そこに旧国道らしさは全くなく、どうも違うような・・・
国道8号 赤田トンネル旧道 曽地峠 28 隧道!

ではなくて、これは現道をくぐる暗渠部分だ。
一度現道を平面交差で横切ったが、今度は立体交差で反対側に出る。

鉄板で巻かれたその内部は、まるでどこかの下水道のよう。
なかなかに異様な雰囲気を漂わせており、これが隧道だったら私は狂喜していたであろう。
国道8号 赤田トンネル旧道 曽地峠 29 その先の舗装は多少荒れ気味。
見上げれば空にはみ出したように拡幅された現道が走っており、どうもあの道が明治から続く道路とは思えない。

峠の道が一世代前の道であるとすると、このあたりは二世代前の道といった感じだ。
かつて、柏崎市周辺の国道8号は「酷道」とも揶揄されたほどだったという。
離合もろくにできないこのあたりの道が、果たしてそうなのだろうか。
国道8号 赤田トンネル旧道 曽地峠 30 沿道には石油関連施設も建っていたが、総じて農道といった印象が強い。
結局、国道らしい遺構もないまま、ふもとの集落のど真ん中を走った挙句、現道に合流した。
線形的にはこちらの合流地点も無理のない進入角度となっている。
その後の調査によると、やはりこのあたりの道はかつての国道であった。
正確な切り替え時期は調べていないが、昭和34年発行の地形図には私が通った道が国道と記されており、 48年の地形図では新しい道に切り替えられているので、この間に改良が行われたらしい。
峠のトンネルは昭和60年竣工であるから、二世代前の道というのも当たりだ。
国道らしい遺構がなかったのは、もともと二世代前の道ということでそれらは時代とともにすべて撤去されたか、 あるいは現道に近い部分(場所によっては現道に削られている)を走っているために、現道建設に合わせて改修されたのかもしれない。
以上、妙法寺峠(長岡街道)からその地位を奪いし一桁国道旧道、曽地峠をお伝えした。
旧道とはいえ、漫然と走るだけではその情緒に触れることのない峠である。
そこに刻まれた歴史を紐解き、往時の姿を想像することこそ、廃美の極意ではなかろうか。
[ 05' 11/26 訪問 ] [ 06' 3/31 作成 ]
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