シーサイドライン脇の廃歩道 怒涛渦巻く断崖の道 4

概要

シーサイドライン脇の廃歩道 怒涛渦巻く断崖の道の地図 落とし穴を慎重に避けていくも、この先またトラップがないとも限らない。
落石云々以前に、本当に危険なのは足元である。

4-1 岸壁に刻む道

シーサイドライン脇の廃歩道 怒涛渦巻く断崖の道 47 この先は岩壁を削ってつけられた道が続いている。
今立っている付近は比較的近年(おそらくシーサイドライン工事と同時だろう)に改良工事が行われた形跡があるが、 この先は簡単なコンクリートの舗装がされているだけで、"へつり"を歩いていくことになる。
シーサイドライン脇の廃歩道 怒涛渦巻く断崖の道 48 今までくぐってきた隧道のあたりは海面に近く、それゆえに激しい浸食によりほとんど痕跡を残すところはなかった。
しかし、ここから先は海面から5〜6メートルを進んでいるため、比較的安定している。

ただ、高さがあるということは踏み外せば二度と戻ってこられないということでもある。
また、万が一どこかで道が寸断された場合、それを越えるのが困難になってしまう。


写真の一番奥、小さな岬になっているあたりに、何か立っているようだが・・・?
シーサイドライン脇の廃歩道 怒涛渦巻く断崖の道 49 道幅は人が二人並んで歩くのも苦労するほど。
路面はほぼ水平に続いているが、特にオーバーハングになっているところには水が流れている場所があり、 怪しいコンクリートとの相乗効果によってえらい滑る。
これまでの区間には潮溜まりのような場所もあったが、だからといって長靴なんかでここを訪れるのは危険である。

ビビリな私は壁に張り付く蜘蛛のごとく、壁際をカニ歩きで進んでゆく。

4-2 岬の十字架

シーサイドライン脇の廃歩道 怒涛渦巻く断崖の道 50 岬の遺物に到達。

はてこれは何だろう。
今まであったように道をふさぐように立てられたものではなく、道の脇に案内板のように立っている。
形状から察するに、それこそ観光案内の看板がかかっていたようにも見える。
一方で、中央の支柱をよ〜く見ると、何か文字が書かれていたような痕跡もある。
明らかに落書きとは異なり、文字が書かれていたところがわずかに凹凸になっているようだが、はっきりしない。
もちろん、書かれていたかもしれないその文字を読み取ることはできなかった。
シーサイドライン脇の廃歩道 怒涛渦巻く断崖の道 51 角度を変えて撮影。
夕景に映るそれはなかなか神秘的である。

昭和11年のこの道の開削当時からあるものとは思えないが、どうだろう。
とにもかくにも、この廃道歩きで神経を研ぎ澄まされている者にとっては、一瞬の安らぎを与えてくれる光景だ。
いや、神経が研ぎ澄まされているからこそ、何かそこに神秘性を感じられるのかもしれない。
日常とは異なる感覚が喚起される、それが廃道歩きだ。

4-3 親不知

シーサイドライン脇の廃歩道 怒涛渦巻く断崖の道 52 岬を回っても、へつり歩きはまだまだ延びていく。
明らかに人為的な手によってくり抜かれたこの道だが、掘りっ放しの壁面はもとより、一応舗装された足元もよくみると波打つような傾斜がある。
文字通り"荒削り"なこの道はとても観光用に造られたようには見えず、昭和11年当時のものであるといってよいだろう。

だが、不可解なことに当時の地形図にこの道は載っていない。
その地図にはこことは異なる山越えの道が描かれているが、その道は大正時代の地図にも存在する道である。
海岸線のこの断崖路が地形図に登場するのは、シーサイドライン開通直前だ。
この点だけを見れば、この道は昭和中期のものということになってしまうが、 シーサイドラインが開通するかなり前からこの道があったことは文献的に明らかになっており、 何らかの理由で地形図に載っていなかった道が、シーサイドライン工事の調査等によって地形図に描かれるようになったものと思われる。
シーサイドライン脇の廃歩道 怒涛渦巻く断崖の道 53 コンクリートの粗末な舗装はところどころで剥げているが、むしろこの方が滑りにくくてよい。
濡れたコンクリートはとにかく滑り、さらに気がつかないほど緩やかな坂になったようなところは極めて危険。
畳ヶ浦トンネルの入口には「落石のため通行止め」とあったが、転倒して滑落することのほうが身に迫った危険という気がする。
シーサイドライン脇の廃歩道 怒涛渦巻く断崖の道 54 入り江のようになったところでは、特に波が高くなる。
海面から数メートルの高さにある路面にも、時折波飛沫が叩きつけてきた。
波に持っていかれるようなことはないだろうが、まともにかぶればカメラが壊れてしまうのは確実。
波が引いた瞬間を見極め、小走りで駆け抜けて撮影。

やってることは古来の親不知を歩いた旅人同然・・・
シーサイドライン脇の廃歩道 怒涛渦巻く断崖の道 55 道には階段になっているところもあった。
道幅は進むほどに狭くなり、もう人一人がやっと通れるくらいだ。

こんなところに道を築かねばならないほど、この付近の地形は厳しい。
道の頭上にある国道も、第一隧道そばの小浜トンネルから角田集落までの間は、地形をごっそり造り替えてようやく通しているような道である。

もともと小浜トンネル〜角田集落間には、シーサイドライン開通以前にも観光用の車道があったという。
それは完全に一車線の怪しい道だったようだが、おそらくこのような断崖の歩道を観光スポットにするべく造られたものだろう。
その車道も当時の地形図には全く載っておらず、昭和11年竣工のこの道とあわせ、このあたりは地図上の空白地帯となっているのだ。

現在の国道はその車道を拡幅する形で造られている。
シーサイドライン脇の廃歩道 怒涛渦巻く断崖の道 56 こんな断崖である。
削った道がなければ、とても人の往来など不可能。

4-4 岸の題目

シーサイドライン脇の廃歩道 怒涛渦巻く断崖の道 57 さらに進むと、「南無妙法蓮華経」と彫られた直径50センチほどの岩が右側の岸壁に埋め込まれているのだが、これには逸話がある。

1271年、日蓮聖人が佐渡へ流罪となった際、嵐にあって角田に漂着した。
そのとき、龍神供養のためにこの岩に題目を記したといい、それがこの「岸の題目」である。
この伝説が事実ならば、この岩は700年以上も前に日蓮によって刻まれた岩ということになる。

まあ、この道が昭和竣工のものであることや、700年も風雨に晒されているわりには鮮明に文字が残っていることなど、 ツッコミを挙げればきりがないのだが・・・
野暮なことはいいっこなしだ。すべて聖人の法力ということで納得しておく。
シーサイドライン脇の廃歩道 怒涛渦巻く断崖の道 58 岸の題目の真上の国道には、日蓮の銅像が置かれている。
台座には岩の題目の由来が書かれており、また、そこには「道路事情の変化に伴いこの地に銅像を建立し」たとある。
つまり、現在ではこの国道が往来を捌いているが、かつてはこの下の遊歩道がその役割を担っていたということであろう。

銅像の建立年は昭和59年で、シーサイドライン開通から10年が経過している。
この頃には、下の遊歩道を歩くものはほとんどいなくなっていたのかもしれない。
シーサイドライン脇の廃歩道 怒涛渦巻く断崖の道 59 題目の足元には、石柱が倒れていた。
題目に関連したものであることは間違いないが、由来はちょっとよく分からない。
石柱には昭和57年建立とかかれており、頭上の銅像ができる2年前だ。
これらのことから、昭和57〜59年頃にかけて、この歩道が廃されたことが考えられる。
シーサイドライン脇の廃歩道 怒涛渦巻く断崖の道 60 また、題目の周辺にはいくつかの遺構も見られる。
錆びや劣化が激しく、もともとの姿はもはや想像でしかうかがうことはできない。
配置や宗教的な遺構であることを見るに、ロウソクや花を立てる場所であったのだろう。


気の利いたことは何もできなかったが、一応手を合わせ、先を目指した。
シーサイドライン脇の廃歩道 怒涛渦巻く断崖の道 61 終わりが見えん・・・
第一隧道の前で相棒と別れてから、もう30分以上歩いている。
戻るときは国道を通れるとはいえ、あまり自転車から離れてしまうのは不安だ。
[ 06' 3/5 訪問 ] [ 06' 4/28 作成 ]
前の記事へ次の記事へ
ひろみず http://d-road.sytes.net/ webmaster@d-road.sytes.net
シーサイドライン脇の廃歩道 怒涛渦巻く断崖の道12345