昭和炭鉱跡 隧道マーケット 1

概要

昭和炭鉱跡 隧道マーケットの地図 私はメジャーどころよりも、誰も知らないマイナーな廃道や廃墟が好きである。
人の後追いは知的好奇心を刺激されないし、先人たちのレポートを見ていただければ、わざわざ私が新たに世に紹介することもなかろう、というのが基本的なスタンスなのだ。
なのだがしかし、中にはやはり例外というものは存在するのであって。
そのひとつがこれ、昭和44年4月に閉山した、昭和炭鉱
なかでも注目したのは、隧道マーケットといわれる、ここ以外に聞いたことのない異色の存在である。


昭和炭鉱は北海道雨竜郡沼田町にあった炭鉱である。
沼田町は雨竜炭田と呼ばれた炭田に位置し、明治期より炭鉱と運命を共にして発展した。
昭和炭鉱は明治の頃に試掘権を設定され、大正7年に明治鉱業の所有となった。
当時の昭和地区は道なき原始林に覆われた山中であったが、昭和4年には仮事務所が完成。
昭和5年10月、昭和炭鉱を終点にした炭鉱鉄道である留萌鉄道が全通したことを機に、出炭を開始した。
昭和42年には開業以来最大の出炭量である229,800トンを記録するも、すでに進んでいた石炭産業の斜陽に伴い、昭和44年に閉山。
最盛期の昭和29年頃には人口3800人を数えた昭和地区も、閉山と共に人口はゼロに。
山の奥地のまた奥地という凄まじい場所に、かつての炭鉱住宅や選炭場を遺したまま、人の営みが消えたという。

正直、ここまでの歴史はどこの炭鉱集落にも聞こえる話だ。
昭和炭鉱が日本中のどこの炭鉱とも異なっていたのが、隧道マーケットの存在である。
聴きなれないその言葉、簡単に説明すると、隧道の内部が商店街であったというのだ。
いったいどういう経緯でそんな奇怪なものを造ったのか、今にしてそれを伝えるものはなく、その竣工年もよくわかっていない。
そもそも、わざわざ隧道を掘ってまで商店街を作る必要があったのか、理由もよくわからない。
今伝わっているのは、廃隧道と廃墟の融合体ともいうべき、隧道マーケットの骸である。


こんな異色の存在、いくら有名どころとはいえ、行かないではすまされないわけで。
JR恵比島駅から道道を進み、さらに林道を経た先にあるという、かつての炭鉱跡地に向け、自転車を走らせた。

1-1 自転車の天敵

昭和炭鉱跡 隧道マーケット 1 時は平成23年ゴールデンウィーク真っ盛り。
家の周りでは桜も咲き始め、藪もおとなしいこの時期といえば、絶好の探索季節である───のだが、鉱山街に向かう道すがらには、まだまだ雪が残っていた。
この先、鉱山街へは除雪など望むべくもない林道を進まなくてはたどり着けない。大丈夫か・・・?


昭和炭鉱へは、JR留萌本線恵比島駅から北上する道道でアプローチした。
その途中、幌新温泉という温泉地があり、そこにはレトロな蒸気機関車が静態保存されている。
炭鉱が閉山するまで、この道道に沿って留萌鉄道という炭鉱鉄道が走っており、幌新温泉には昭和炭鉱も含めて資料館が建設されているのだ。
駅看板には「幌新温泉」「←昭和」「明日萌→」の三つの駅の名があるが、留萌鉄道にあった駅は昭和駅だけで、あとの二つは観光用のもの。当時の駅看板とかがあると良いのに。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 2 道道は幌新太刀別川という川を遡るように延びる。
途中、何度か右岸に左岸にと川を渡る箇所があり、旧橋が残る場所もあった。
また、併走する留萌鉄道の遺構が残る部分もあり、機会があれば回を改めてレポートしたい。
まずはともかく、隧道の中が商店街という奇天烈なその場所を、早く見たいんだ。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 3 恵比島駅から約16kmで、道道は川から離れ、左手にある峠に向かって登っていく。
かたや、さらに川に遡っていくのが右手の道。
かつての炭鉱街は右である。


ここまでの間、恵比島駅近辺と幌新温泉以外、ほとんど人家のひとつもない山の中を進んできた。
昭和炭鉱が現役であった頃、周辺には他にも炭鉱があったというものの、昭和炭鉱の秘奥ぶりといったら凄まじいものがある。
炭鉱という生活の支えなくしては、とても暮らすことのできない場所であったことは否めない。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 4 あぎゃああああ

やっぱり来ちゃった、残雪の登場です。
道道から離れた途端、10cmほどの積雪が残る道となった。
歩きならともかく、自転車でこの積雪は乗っては進めなくなるレベルだ。
かといって炭鉱街まで徒歩で行くには少し遠い。
まあ、この雪ならば、自転車があっても乗ることはできなさそうだが・・・

救いは四輪の轍だ。
ひょっとして炭鉱街まで続いてくれてるかな〜、なんて・・・
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 5 なわきゃないっすよね^^

道道から分かれてすぐ、鎖による封鎖があり、轍はここで切り返して戻っていってしまった。
ここからは林道(昭和二股林道)となる。
探索時点ではこの林道の様子が良くわからず、廃道も危惧していた。
果てさてこの先炭鉱まで続いてくれることやら?つかたどり着けるのか?(体力的な意味で)
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 6 つかたどり着けるのか?(廃道的な意味で)
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 7 日向の雪は解けている。
路盤は良く締まっており、夏場は草刈もされているらしく、現役林道として今も利用されている様子がわかる。
後はこの状態で炭鉱街まで続いてくれることを祈るばかり。
もうひとつ、春山に"山親爺"が現れないことを祈るばかり。ちりんちりん。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 8 あ゛あ゛あ゛あ゛・・・

自転車に乗って進めたのは100メートルもなかった。
それを過ぎると、終わりなき雪原の道。
でも今日は、相棒を棄てることはしない。
それは、最近車に頼りすぎている自分への喝でもあった。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 9 道道からはほとんど確認できなかった留萌鉄道の痕跡が、林道の脇にいくつも見えるようになった。
昭和23年の地形図には林道がなく、唯一留萌鉄道だけが昭和炭鉱に行く手段であった。
昭和31年の地形図から林道がその姿を現しており、この頃までは昭和炭鉱に行くためには留萌鉄道以外に交通手段がなかったわけである。
留萌鉄道は営業中の業績は非常に好調だったというが、周辺の炭鉱と一体化した鉄道であった以上、炭鉱の終焉と共に姿を消した。
昭和44年のことである。

1-2 汗だくの雪原

昭和炭鉱跡 隧道マーケット 10 「ぜはー」
「ぜはー」

雪原という風景のくせに、私の格好といえばTシャツ姿である。しかも汗だく。
砂浜でタイヤ引いて走るトレーニングってこんな感じすかね。自転車引きずってるし。


林道入口にあった、「1.8km先路盤決壊」と書かれた看板の原因と思しき場所に着いた。
幌新太刀別川を渡る古びた橋の手前で、路盤の半分ほどが崩落している。
残った部分でも自動車が通れるくらいの幅があるため、関係車両はこんなところでも行き来しているようだ。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 11 沿道には小規模なコンクリートの廃墟が散見される。そろそろ炭鉱街に入ってきたらしい。
散見するだけで、探索には行っていない。
それどころじゃないです。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 12 うわ、どっちだこれ。

雪原の道が左右に分かれた。
線形的にはどっちも道の続きのようで、判断できない。
左は古い橋で対岸に渡る道、右は山肌に登っていく道。


正解は左だったのだが、私は間違えて右に行った。
怪しいと思いつつも引き返すきっかけをつかめず、結局ここに戻ってくるまで40分以上も無駄にしてしまった。
もちろんその40分間は全て雪原歩きである。

1-3 商店街入口

再び分岐に戻ったのは午後1時前。
林道の入り口から2時間近くを歩いている。
失った体力を回復すべく、パンをかじってまた歩き出した。
山親爺の恐怖があると、どこでも落ち着いていられない。


分岐から左に行くと、その出会いはあっけなかった。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 13
む!
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 14 発見!!

隧道が川の右岸にあることがわかっており、林道は左岸にある。
そのため、対岸に注目して歩いていると、分岐からものの10分も行かないうちに穴があった。
坑口がほとんどふさがっていることに加え、坑口の回りは絶壁で、坑口への取り付け道路らしいものもない。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 15 とどめはこの谷の深さだ。
上述したように、坑口は川を挟んだ対岸にある。
そこに至る橋はすでになく、おまけに川岸は切り立っていて、徒手で上り下りすることは非常に難しい。
たとえ地形が穏やかなところを選んで対岸に渡ったとしても、坑口周辺が絶壁になっており、近づくことができない。
さらにさらに、雪解け水が濁流となって谷底を暴れまわっており、渡渉そのものが非常に危険。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 16 まあいい、隧道の入口はひとつだけじゃない。
隧道は湾曲する川を短絡するように造られている。
さらに上流に行ったところに、反対側の坑口がどこかにあるはずだ。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 17 冬枯れした木々の間から、不気味に巨大な遺跡がちらちらとこちらを伺っているようだ。
これらの施設は選炭場の遺構らしい。
カラミ(ズリを固めて煉瓦にしたもの)でできた施設もあり、かなりの規模と数がある。
植物がない今の季節にしか見えないだろう。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 18 廃墟は廃墟で特級品のものがズラリ。
そのひとつだけでレポートになるほどのものだが、今は隧道の反対側を見ることと、植物がない代わりに雪があまりにも深く、かえって接近が困難であることもあって、これも見るだけ。
昭和炭鉱はメジャーな廃墟でもあるので、他のサイトで紹介されているところを参照してほしい。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 19 「そうはいっても、そうもいかんでしょ!」

やっぱり、目の前にこんな大規模な廃墟が並んでいては、素通りするのはあまりにも惜しい。
写真に写るのは、かつての炭鉱住宅で、炭鉱アパートといわれるものだ。
汚れたコンクリートが背筋にゾクリとするものを感じさせた。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 20 うははっは・・・なんじゃこれ・・・

2階建ての炭鉱アパートがズラリ。
圧巻はその数で、道の両脇と、さらにその後ろにも控えている。全部で10棟近くあるだろう。
見上げるほどの規模のアパートが、全て廃墟となり、道の左右から私を見下ろしている。
ゴーストタウンという言葉が、これほどまでしっくり来るところはあるまい。

視覚的にこれほどの人工物に囲まれながら、人の声も、機械の音も、一切しない。
聴覚的な人工物が、何一つ無いのである。
自然あふれる風景に機械音が不釣合いなように、人工物が立ち並ぶ中に自然の音しかしないというのも、えもいわれぬ不安感を思わせるものだと悟った。
あなたもあるだろう、日中に人の声であふれる学校であるがゆえに、夜の静寂がなおいっそうに不気味に感じたことが───

ははっ、怖ぇ。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 21 いまや幽霊が住まうかと思える廃墟となった炭鉱アパートにも、50年ほど昔には数千人以上が暮らしていた。
そんな人々が利用していたのが、この隧道マーケットなのである。

反対側の坑口も、林道から藪と川をはさんだ対岸に口をあけていた。位置としては、炭鉱アパートよりも下流にあり、下流の坑口から約200メートル進んだところ。
残念ながらこちらにも橋は残っておらず、橋台のようなコンクリートが残るのみで、取り付け道路も完全に消えていた。
谷底はさきほどよりも浅く、アプローチは不可能ではない───が。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 22 この濁流は渡れん・・・

ゴウゴウと音を立てて流れる川。
濁った川面で、深さだってどれくらいあるのか想像がつかない。
濁り茶色となった水も、その勢いに乗って真っ白な泡を飛び散らせている。
私の体などあっという間に持っていくであろう勢いだ。
こんなところを渡渉しようものなら・・・

なお、先ほど深かった谷が200メートルほど遡っただけでこんなに浅くなったのは、別に林道が下ったのではなく、川が林道のレベルまでせりあがってきたため。
しかも、緩やかに上がってきたのではなく、二つの坑口の間にがあるのである。
ここで足を取られたらどうなるか、いうまでも無いですよね?
時期が悪いの一言に尽きる。
雪原を2時間近くも歩いた末に見た廃墟は、それはもう凄いものだ。
しかし、本来の目的地である隧道マーケットは、目の前にありながら、凄まじく遠く感じられた。
今は───行けない。
今じゃなければ、水量が落ち着いてから来ればいい、それだけだ。

再訪は夏になった。
[ 11' 5/6、11' 7/16 訪問 ] [ 11' 10/9 作成 ]
これより前の記事はありません次の記事へ
ひろみず http://d-road.sytes.net/ webmaster@d-road.sytes.net
昭和炭鉱跡 隧道マーケット12345