昭和炭鉱跡 隧道マーケット 3

概要

昭和炭鉱跡 隧道マーケットの地図 思えば隧道マーケットという言葉を知ったのは、何年前になることだろうか。
有名どころだけに、探索者の手は入っているだろうが、内部の様子はいずれ自分の目で見たくて、意図的に見ないようにしてきた。
だから、この中がどうなっているのかは私も知らない。
ワクワク。

3-1 危険なショッピング

昭和炭鉱跡 隧道マーケット 38 なんとも異形なる商店街入口よ。
50年前のその姿とは比べるべくもないが、今に伝わるその姿は、決して家族連れの買い物客を受け入れる姿ではない。
ひたすらに人を拒み、滅びの運命を受け入れた姿である。
私を威圧するかのごとく見下ろすその姿は、竦ませるだけの迫力を持っている。
洞内から伝わる冷気が頬を掠め、なおのこと不気味さを演出していた。


扁額があるべき位置になにか取り付けられていたような痕跡がある。
往時にはここに「昭和商店街」とでも大書されていたのかもしれない。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 39 坑口にはグシャグシャになった木製の扉の残骸がある。
ここにもまた、看板のような痕跡が残されていた。


洞内には靄が立ち込め、すぐ奥のほうも霞んで見えた。
先に明かりは見えず、風が通っている様子もない。
当然とはいえ、にこやかにお買い物に出かけられる様子ではない。
これほど危険なショッピングもあるまい。


午後4時半、お買い物スタート。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 40 入口には目立つロッテの入れ物。
入ってすぐのところにあり、目立つために多くのサイトで紹介されている。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 41 これは配電盤の痕跡だろうか。
これも入口すぐの壁に設置され、洞内の明かりを管理したものと思われる。

いまでこそ鬼気迫る様態となっているものの、現役当時としてはそんな様相もなかったはずだ。
現役当時の隧道マーケットとは、今で言うところの地下街のような認識だったのかもしれない。
今我々が地下街に何気なく買い物に行くのと同じように、昭和地区の人々にとっては、隧道に何気なく買い物に行ったのだろう。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 42 隧道の規模は縦横2メートルほどで、断面は一般的な隧道に見られる円形や馬蹄型ではなく、側壁は垂直に突き立っている。
側壁を構成する物は、20cm×10cmほどの大きめの煉瓦であった。
その煉瓦は、おそらくズリを固めたもの、要するにカラミ煉瓦であろう。
また、アーチ部分の円弧は極端に短く、いわゆる欠円アーチと呼ばれる構造である。
崩落しやすい構造に見えるが、見える範囲で天井がどうかなっている様子はない。


湿度の高い洞内には霞が立ち込めていた。
フラッシュをたくとまともな写真が写らないほどである。

反対側の坑口は完全閉塞には至っていないはずだが、空気を入れ替えるためには小さすぎるらしい。
また、これだけの湿気があるということは、少なくない漏水がこの隧道内に発生していることを予感させる。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 43 振り返って撮影。
まぶしい緑も必ずしも生還の光とはならない可能性がある。
空模様は穏やかでなく、坑口前の川が増水してしまえば、ここから帰る手段がなくなるのである。
まあ隧道探索の10分20分でそこまで増水することもあるまい・・・
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 44 欠円アーチの構造的欠陥が、徐々に現れてきた。
天井には無数に亀裂が走り、コンクリートの塊が宙吊りになっている。
その一塊でぺしゃんこにされそうだ。
そんな塊の下を歩こうってんだから、恐ろしいことである。
そんなときは全身を固め、ただ落ちてこないことを祈りながら行くしかない。
ひー。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 45 こいつぁ・・・○ーソンの袋じゃないかっ
ここには、全国唯一、ローソ○隧道内店があったのだ!

───なわけはなくて、誰か現代人の仕業だ。
ちゃんと持って帰ってください。
とっていいのは写真だけ、残していいのは足跡だけ。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 46 側壁の煉瓦はどれも歪な形をしており、それは強度の歪みとなって隧道に影響を及ぼす。
本来直方体として形を保っているはずの煉瓦は砂のように粉々に粉砕されており、経年劣化したカラミ煉瓦の特性らしい。
上も横も、危ない隧道だ。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 47 上も横も、そして下も。
どういう力が働いたのか、地面は向かって左側が盛り上がり、大きな亀裂ができていた。
おかげで足元は常に傾斜した状態で、至極歩きにくい。

なにかこう、隧道全体が上下左右からぎゅっと圧縮されたような印象を受ける。
カラミ煉瓦と欠円アーチでは、地山の圧力を防ぎきれなかったのか。

3-2 隧道マーケット

昭和炭鉱跡 隧道マーケット 48
ふおっ!
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 49 ここで・・・買い物を・・・?

入口から50メートルほどで、商店街に到着。
果たしてそれはどんなものかといえば、隧道の側壁をくりぬき、そこに扉をはめ込んだ異形の代物。
これがかつてのお店だったのだというから驚愕だ。

こんな間口の店が、向かって右側にずっと並んでいる。
明かりが照らせる範囲以上に続いており、ここからは何軒の店があったのかはわからない。


店の扉には切実なスローガンが今も掲げられていた。
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 50 「みなさん手を握り合って頑張ろう 昭和支部閉山反対斗爭本部」
昭和炭鉱跡 隧道マーケット 51 「守ろう俺達○手でこの炭○」○は判別不能

油性のマジックで書かれたらしいこれらの声は、閉山から50年も過ぎた今ですら、通る者がいなくなった廃隧道の中で叫んでいた。
半世紀も前、数千人が暮らすこの炭鉱町で、天地をひっくり返したような大騒ぎがあったことを想像するに難くない。
炭鉱を生活の糧とする人々にとって、閉山とは自分の人生を大きく変え、周りの人間との関係もズタズタにするものだったのだろう。
隧道マーケットという極端に特殊な環境にあっても、その声を叫ばずにはいられなかった。
そんな声が、崩壊しつつある隧道マーケットの中に何十年も閉じ込められるとは、当時の人も想像しえなかったことだ。
終末期の炭鉱の断末魔にも聞こえる閉山反対の声。
そんな時代の声が生々しく伝わってくる。
かたや、隧道マーケットとして賑やかだった時代の声は、残念ながらまだ聞こえてこない。
さらに奥に、そんな声を伝えるものが何かあるのだろうか。
進もう。
[ 11' 5/6、11' 7/16 訪問 ] [ 11' 11/19 作成 ]
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