谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よ 2

概要

谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よの地図 残念ながら、西側坑口を確認することはできなかった。
気持ちを切り替え、先ほどパスした東側坑口へと向かう。

2-1 恐怖(?)の林道ツーリング

谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よ 32 谷根集落からだと、来た道を丸々戻るよりもこの六拡トンネルを潜って尾根の向こうに出て、東側坑口を目指したほうが近い。
地形図にはやはりここから東側坑口近くまで続く道も描かれており、それを辿ることにした。
もっというなら、六拡トンネルを潜らずにアプローチできる道もあるにはあり、そのほうがかなりショートカットできるのだが、 自転車ごと進むには難儀するような歩道であったため、パス。
谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よ 33 六拡トンネルを抜けて700メートルほど進むと、左に折れていく道がある(写真は振り返って撮影しているので、奥が六拡トンネル)。
これは林道の起点になるのだが、その名前が・・・
谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よ 34 蛇喰林道

こわ〜・・・
私は別に蛇が嫌いというわけではなく、むしろ爬虫類系は大好きだったりするのだが、喰われるのは困る。
あまりの蛇の多さに、興味本位で入った者が喰われてしまうのか、それとも蛇を喰わねばならぬほどサバイバルな道なのか・・・
どっちにしろ、先へ進むことをちょっぴりためらわせる。
熊対策はしてきたが、蛇対策はしてこなかったなあ・・・
谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よ 35 そうはいってもここを行かない限り、山をグルッと迂回して海から登っていかねばならない。
ただの名前に気圧されてたまるものか。

入口のコンクリートは取り付け部分の急坂の箇所のみで、すぐに砂利道になった。
一時期は廃道並に荒れていたこともあったというが、砂利はごく最近になって敷かれたもののようで、管理の手は行き届いている。
谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よ 36 で、その管理の手が入ったのは、この崩落の補修のためであろうと思われる。
真新しい崩落の痕跡はおそらく平成17年に柏崎周辺を襲った6.28水害のものだろう。
今ではすっかり復旧され、通行に支障はない。
足元にはガス管が埋まっているらしく、その保守の関係もあると思われる。

その先もしっかり整備され、ちょっとした林道ツーリングにはもってこいの道だ。
まあ、熊対策ぐらいはしといたほうがいいと思うが。

2-2 隧道までのバリケード

谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よ 37 蛇の恐怖を微塵も感じることなく、わずか1500メートルほどで終点に到達。
整備されたダートは実に快適であったが、残念ながら眺望はあまり開けない。

蛇喰林道は谷根隧道を発見した柏崎市史資料編にも写真が載っており、昭和45年竣工とのこと。
谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よ 38 林道が終わると道は舗装路となり、ふもとまで続いているような様子だ。
一方で、私が目指すのはこの怪しい土の道(振り返って撮影)。
地形図では、確かにこの先で隧道近くの道へと続いている。
路面は土だが、車の轍ははっきりとしている。
谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よ 39 またか・・・

分岐から数十メートルほどは比較的快適に走れたのだが、いざ目的の道へと入るはずの場所に、その入口はなかった。
地図の上では、林道の終点から数十メートル入ったこの場所で分岐し、隧道東側坑口へと続く道に入ることができることになっている。
初めはここがそれだとも気付かずに、別の道に入ってしまったほどに、完璧に道がない。
GPSで見当違いの方向に進んでいることに気付いた上、その間違えた道すらも、しばらく行くと廃道になってしまった。
この写真は、戻ってきて分岐らしき場所を写したものだ。

・・・行けるかこんなところ。

2-3 米山登山道

谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よ 40 結局蛇喰林道の終点から舗装路を下り、海岸付近までやってきた。
まったく、当てにならない地形図だ。

で、改めて東側坑口へ向け、柏崎トルコ文化村の廃墟を通過。
先ほど腹痛のため引き返した地点へと戻ってきた。

以前にも書いたが、頭上の北陸自動車道より先から砂利道になる。
時間はすでに午後3時近かった。
ここから隧道東側坑口までは2km近くあり、先ほどのようにバリバリの廃道だったりすると、ちょっと先へは進めない時間だ。
また、地図上の道は小さな沢の右岸を走っているが、隧道は左岸にある。
橋など当然望めるわけもなく、どこかで渡渉も必要になることが予想された。

このまま砂利のままでいければ、行って帰ってくることも可能だろうが、どうだろう・・・
谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よ 41 なんて考えてたら、高架橋を越えた先は舗装されていた。
というか、ここは大型バスの駐車場らしい。
乗用車に関しては先ほどの怪しい立体駐車場に停めていたようだが、観光バスなどはこちらに停めていたのだろう。
谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よ 42 その駐車場の先に、確かに山へと入る道が伸びている。
自動車の轍が続いているようにも見えるが、見る限り、付近の棚田が耕作されている様子は全くない。
加えて、道路わきに埋もれた進入禁止の標識が、この先の道の惨状を予感させる。

登山道って、聞いてたんだけどな・・・
谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よ 43 標識の脇には、さらに通行止めの看板が落ちていた。
朽ち方からして、テーマパークが現役の時代からこの先は通行止めだったに違いない。
谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よ 44 周辺の棚田に人の手が加えられてる様子はないが、足元の泥には確かにいくつもの人の足跡が残されていた。
国道からの分岐に道標があったとおり、 ここは江戸時代から続く歴史ある米山登山道である。
だが、谷根の隧道も少なくとも西側は完全に自然に帰り、隧道に入らないで尾根を登りきった先(林道終点辺り)も、まともな道はなかった。
足跡がある以上、登山道としては現役であることが想像されたが、ほとんど行き止まりのようになったこの道の先から、どこへと抜けられるのだろう?

沢に削られて一部狭くなったところもあるが、一車線幅の道は今のところ廃道と呼べるほどではない。
谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よ 45 ここにも小さな石垣が。
これも、明治の道普請の名残と思われる。

等高線に従って山腹を蛇行していた西側の道と違い、東側のこの道は沢に添って遡る道であり、掘割が連続したさきほどの道とは少々趣が異なる。
川沿いであるため、一応、GPSも効くくらいには開けている。
谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よ 46 ヤバイヨヤバイヨ。

道自体は失われていないものの、両脇から伸びる植物の侵食は部分的にひどいものがある。
道いっぱいに広げたシダのような植物が気持ち悪い。
谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よ 47 ここは道ですか?沢ですか?

かつて、谷根隧道の周辺には耕地があったといい、谷根のメインストリートが青海川駅へ向かう道となった後も、 これらの利用のために自動車すらも通ったという。
すなわち、ここは紛れもなく車道である。

その耕地への利用も、減反政策が進む中で消えていった。
谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よ 48 徐々に"密林"の顔を見せ始め、廃道らしくなってくる。

写真の場所で道は二手に分かれ、そのまま沢の右岸を遡っていく旧車道(写真左の踏み分け道)と、 渡渉して尾根方向へまっしぐらに登って行く徒歩道だ。
徒歩道は地形図にも描かれているが、この先は尾根を越えた後、私が先ほど敗退した「谷根隧道西側坑口の道」へと続いている。
この道も・・・深く入りすぎれば、帰ってこれなくなりそうな道らしい。

ちなみに、米山登山道といわれる道は旧車道のほうであり、隧道東側坑口もそちらだ。
谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よ 49 で、上の写真にも写っているのだが、分岐のすぐ先で致命的な崩落によって道がふさがれてしまった。
もっとも、足元がなくなったわけではないので、このように無理やり乗り越えて先へ進むことは余裕(写真は振り返って撮影)。
土の地面には踏み固められた足跡が階段状についており、崩落自体はだいぶ前に起こったもののようだ。

ただ、写真にあるようにかなり落差があり、自転車をこの先に連れ込むのは不可能ではないとはいえ、ちょっと面倒なことになりそうだ。
さらに、ここまでのおよそ800メートルは何とか自転車に乗って進むこともできるほどの道であったが、この崩落を境にした先は、 藪と土砂に包まれた完璧な廃道。
ちょっと、夕方になってから自転車抱えて入るようなところでは、ない。






・・・すいません、撤収です。
進めば進める道で、決して退却ではない。断じて。
アイヌの言葉に、「狩人は足元が明るいうちに家路に着く」ともあるのだ。
今回はこれで撤収としたが、もちろん探索をあきらめたわけではない。
この日から一週間と空けず、再び現地に赴いた。
[ 06' 5/21、06' 5/27 訪問 ] [ 06' 6/23 作成 ]
前の記事へ次の記事へ
ひろみず http://d-road.sytes.net/ webmaster@d-road.sytes.net
谷根隧道 古道の先に明治の隧道を見よ012345