弥彦山付近 猿ヶ馬場の廃墟 0

概要

弥彦山付近 猿ヶ馬場の廃墟の地図 越後国一ノ宮、弥彦神社。万葉集にも記載されるほどの永い歴史を持ち、 観光地の少ない新潟にあっては周囲の温泉とともに集客力のある数少ない場所だ。
古くは松尾芭蕉、吉田松陰も訪れた記録がある。

弥彦神社が神域とするのが、背後に日本海を抱く霊峰、弥彦山である。
頂までロープウェーが伸び、また登山道が良く整備されていることもあり、週末ともなれば家族連れから老夫婦まで、人並みでごった返す。


さて、弥彦山の南山ろくには、猿ヶ馬場という峠がある。標高は200メートルにも満たない小さな峠だが、この峠は古来、重要な役割を担っていた。
旧北陸街道と呼ばれた道は日本海に面した出雲崎、寺泊を経由し、ひたすら海岸を通ってこの地まで北上してくる。
内陸から見た弥彦山からはそうは見えないが、ひとたび裏手に回り、海岸部分を見てみると、その山塊は日本海の荒波に大きく削り取られ、 断崖絶壁を形成している。
海沿いに走ってきた北陸街道はこれを越えられず、この猿ヶ馬場峠にて内陸へと向きを変えていたのだ。

かつては茶屋もあったと聞くが、今その峠に立つと、見上げた先に映るのは不気味な廃墟である。
灰色のコンクリートの箱には植物が絡みつき、窓も抜け落ちたその内部に明かりがともることはない。
実はこの付近は私がトレーニングがてら暇つぶしによく走行する場所であり、峠から見える明らかな廃墟に興味を抱いていた。
だが、いくら見回しても、その建物へとアプローチする道がないのである。地形図を見ても、その等高線から車が入れるようなところではない。

いったいあそこは何なのか?
あの建物は何であったのか?

膨れ上がる好奇心は抑えきれず、「いってみりゃ何かヒントがあるかもしれない」ということで、道なき道を探し、 あるいは作ってでも、その場所へと立つことを決意した。

0-1 弥彦山スカイライン

弥彦山付近 猿ヶ馬場の廃墟 1 弥彦山山頂へ通ずる新潟県道561号弥彦岩室線は、弥彦山スカイラインという別名を持つ。
弥彦岩室線というといかにも弥彦と岩室をつなぐ主要道路のように聞こえるが、実際にはこの二つの集落はほとんど隣接しており、 またこれらを結ぶ路線としてはすでに主要地方道新潟寺泊線がその役割を担っていた。

弥彦山スカイラインという名が示すとおり、この路線は昭和45年の竣工当初から弥彦山への観光道路という使命を与えられ、 昭和56年までは有料道路であった。
当時の高度成長の勢いで作ってしまったのだろう、御神体である弥彦山にたいそうな傷をつけてまで作らねばならない道路であったのか、疑念はぬぐえない。
弥彦山付近 猿ヶ馬場の廃墟 2 わざわざスカイラインを通って山登りをしないと廃墟に到達できないというわけではないのだが、 私のトレーニングルートには常にこの道が入っている。
岩室側のスカイライン入口には廃隧道である間瀬隧道(昭和9年竣工)が口をあけており、

「岩室まで準備運動がてらの走行 → 隧道の廃美に酔いしれる → スカイライン登り → 山頂の店で小休憩 → 猿ヶ馬場峠へ降りる → 件の廃墟を見上げる → 海沿いに帰宅」

というのが私の黄金ルートなのだ。
廃隧道や廃墟は別にして、同じように考える自転車仲間も多いようで、土日にスカイラインを走れば必ず数台のローディを見ることができる。
山登りをしているMTBもきっといるだろう。
弥彦山付近 猿ヶ馬場の廃墟 3 間瀬隧道を筆頭にして、スカイラインの沿線には他にも興味をそそるものがある。

これは山頂近くにある坂井銅山史跡。
一般には間瀬銅山の名称で通っているようだが、その起源は元禄時代にまでさかのぼり、大正のはじめまで採掘が行われた銅山である。
そして聞くところによると、なんと坑口がまだ存在するとか・・・ゴクリ。

さらに、今回紹介する廃墟以外にも、少なくとももうひとつ、大変小さなものではあるが、廃墟があることを確認している。
廃隧道、廃墟、そして、いまだその口をあけ続ける廃鉱・・・さまざまな遺構に彩られた弥彦山、今後も順次お伝えしていこう。

0-2 猿ヶ馬場峠

弥彦山付近 猿ヶ馬場の廃墟 4 スカイラインの弥彦側入口は、そのまま猿ヶ馬場峠となる。

越後の人々に生活の術を授けたとされる弥彦の祭神、伊夜比古神はここから西にある野積集落の浜に上陸し、 弥彦に向かう途中、この峠で見送りの妃神と別れた。このとき、伊夜比古神は「さらば、さらば」といって別れたといわれ、 このことからこの峠は「さらば峠」と呼ばれていた。
現在の猿ヶ馬場という名は、これがなまったものである(弥彦観光協会、「地名の云われに関する伝説」より)。

このほかにも、猿ヶ馬場峠には興味深い伝説が数多くあり、とてもここではお伝えしきれない。 上記のリンク先にはこれらが載せられているので、ぜひ参照されたい。
弥彦山付近 猿ヶ馬場の廃墟 5 お地蔵様に祈りを捧げる相棒。

峠付近には二体のお地蔵様が鎮座しており、磨耗の激しさから、悠久の時を越えてきたことがうかがえる。
ひょっとしたら、芭蕉や松陰もこのお地蔵様を眺めていたのかも?
お地蔵様は答えてくれなかった。
弥彦山付近 猿ヶ馬場の廃墟 6 イントロで述べたように、この峠にはかつては茶屋があったという記録がある。
峠にあったのは「藤が茶屋」といったそうだが、大正の頃になくなってしまった。
ちょうどお地蔵様がある辺りにはわずかな平場が見られ、判読不能な文字が刻まれた石碑なども置かれているものの、 どうもスカイラインの工事でこの近辺を徹底的に荒らしまわったようで、 かなり地形に手を加えられている(そりゃそうだろう、本来峠であったところの山に、車道を切り開いたんだから)。
実際の茶屋跡はもはや見ることはできない。

0-3 峠を見下ろす高台に

弥彦山付近 猿ヶ馬場の廃墟 7 さまざまな伝説によって感じられる歴史のロマンをぶっ飛ばしてくれるようなモノが、峠から見上げた先に、ある。
緑濃い季節には大半を隠されてしまうが、その異様な存在感を隠しきれるものではない。
人通りも多く、人目につきやすい高台にある廃墟は、やはり心霊スポットとして知られていたようだ。
このことについては後で詳細を述べたいと思うが、探索時点では私は心霊スポットということを知らず、恐怖心など感じるよしもなかった。
弥彦山付近 猿ヶ馬場の廃墟 8 高台の周囲は崖に囲まれ、まともな道はない。これは何度もここを通ったときに分かっていた。
比較的勾配を抑えられるのが、この藪を突っ切っていく手段だ。
写真は10月のものだが、探索時は一年で最も歩きやすい4月であったため、視界はまずまずであった。
また、地面には排水溝のような函型のブロックが埋められており、その縁だけは植生が薄く、ここを通っていくことができた。
おそらく写真のような春先以外の季節には足元も見えず、進入には相当な気合いがいるだろう。間違っても自殺志願者などには・・・おっとと。

進むほどに勾配はきつくなるが、周囲の植生は葦のような密度の濃い雑草から潅木へと変化していくため、足元は見やすくなる。
下草がなくなると、明らかに踏み跡と見られる道が現れ、進むのに支障はない。もちろん春先の話だが。

(以上の写真はいくつかの時期に分けて撮ったものをまとめており、これより先の写真が4月の内部探索時に撮ったものです)
弥彦山付近 猿ヶ馬場の廃墟 9 踏み跡もさすがに一直線に登りつめていくことはできず、くねくねとつづらを折って登っていく。
ややもすれば、目的の地はもう目の前である。

正面は垂直に近い壁が5〜6メートルだろうか。踏み跡は左に折れ、ここを迂回する。
弥彦山付近 猿ヶ馬場の廃墟 10 登りきると、ようやく建物の全景が見える。

一瞬平屋かと思ったが、入口がない。
周囲を見回すと、ここから一段低くなったところにそれがあった。先ほどの崖の真上にあたる。
ちなみに、写真の足元には大きく口を開けたため池のようなものがある。足元も見えない夏場に無理やり来た場合、転落する危険が大きい。
弥彦山付近 猿ヶ馬場の廃墟 11 ようやくたどり着いたその入口。
いい廃墟だ。抜け落ちた窓に剥げた塗装、そして絡みつく植物。往時の姿など想像することすら難しいほどに、朽ち果てている。

だがしかし、私が今日ここに来たのは廃美を堪能するためだけではない。
この建物がいったい何であったのか?それを追究しに来たのだ。
研究分野は全然違うが、私とて研究者の卵、知的好奇心はここへ来てUnlimitedである。
弥彦山付近 猿ヶ馬場の廃墟 12 さあ、この建物はいったい何を語ってくれるのか?聴きに行こうではないか。
散乱したガラスを注意深く避けながら、静寂が包むその中へと足を踏み入れた。
幸か不幸か事前情報なしでのぶっつけ本番の現地調査。
手がかりがなければ廃美を堪能しておしまいとなる(それはそれでいいんだけど)。
「今」だけではない、「かつて」を知りたいのだ。
[ 05' 4/16 訪問 ] [ 05' 11/2 作成 ]
これより前の記事はありません次の記事へ
ひろみず http://d-road.sytes.net/ webmaster@d-road.sytes.net
弥彦山付近 猿ヶ馬場の廃墟0123