猿毛岳スキー場跡 1

概要

猿毛岳スキー場跡の地図
新潟県のスポーツといえば、やはりスキーである。
なにより、明治44年1月12日、オーストリアの軍人テオドール・エードラー・フォン・レルヒ(レルヒ少佐)が上越市高田において、 当時スキー板のはき方も知らなかった日本での初めてのスキー講習が行われ、これが日本の近代スキー誕生の日とされている。
こういった歴史的背景に加え、上越新幹線による都心からの地理的利便性もあり、特に湯沢や石打、 妙高などといった上越地方山間部では大きなスキー大会が毎年のように開催される。

新潟県のスキー場は戦前どころか大正時代から既に開設され始め、以降県内各所に次々にスキー場がオープンする。
興味深いところでは、弥彦山にもかつて2つのスキー場、山麓スキー場(昭和26〜42年)と山頂スキー場(昭和33〜50年)があったという。
今回紹介する猿毛岳スキー場(加茂市)の開設は昭和35年1月24日のことであった。
ただし、このときのスキー場は簡素なもので(といっても当時はそれが当たり前だっただろうが・・・)、リフトもなかった。
開設から3年後の昭和38年12月27日、リフトの設置などを含む整備が終わり、完成式が行われた。
なお、猿毛岳スキー場からわずか1km強のところには冬鳥越スキー場というスキー場があり、こちらは昭和7年開設の歴史あるもの。
しかし、猿毛岳スキー場開設時には冬鳥越スキー場にはリフトがなく、世代交代が図られるのかと思いきや・・・

新設された猿毛岳スキー場においては昭和39年に市民スキー大会が行われたりもしたが、それも一回限りで、翌年からは冬鳥越に移されている。
猿毛岳スキー場において主だった大会らしいものが行われたのはこれ一回のみであり、その後の活躍は見られない。
冬鳥越スキー場はその目の前に蒲原鉄道という鉄道線があり、交通の便が良かったが、猿毛岳スキー場はかなり奥まったところにある。
すぐ近くに行きやすいスキー場があっては、猿毛岳スキー場の存在意義も薄かったのかもしれない。

そしていつの日にか、猿毛岳スキー場はひっそりと閉鎖された。
いろいろと資料を調査したが、閉鎖の時期ははっきりしない。
「新潟県体育協会五十年史(昭和57年発行)」には、前述の弥彦山の閉鎖時期には触れられている一方で、 猿毛岳スキー場に関しては開設したことだけあって閉鎖については何もない。
この頃まではまだ現役であったのかもしれない。
しかし、その後のスキー年表などを見ても、やはり閉鎖時期に関しては不明である。
後述する内部の様子から判断すると、昭和のうちには閉鎖されたと思うのだが・・・


当時は冬鳥越に代わるスキー場としての脚光を浴びたこともあったかもしれない。
しかしその夢もむなしく、さしたる活躍もできず、人知れずひっそりと消え去った白銀のスロープは、今・・・

1-1 林道

猿毛岳スキー場跡 1 私、廃道ならまあどこでも行きますが、廃墟になるとちょっとこだわりがある。
どこかでお伝えしたように、そこはほぼ完全に人の手を離れていなければならない。
言い換えれば、きわめて自然と一体化しつつあることが大前提となる。
そんな物件に出会ったのは、実は偶然だった。
今回の探索はそれから日を改めて行ったものである。

写真はスキー場ふもとの猿毛集落。
この道を行けばスキー場に至るはずである。
案内看板などのかつての遺構などを求めたが、それらしいものは一切ない。
猿毛岳スキー場跡 2 うねる林道をひたすら登る。
スキー場が現役だった頃は、ここがそこへ通じる唯一の道であった。
今でも、そこに至るまともな道はここだけだ。

今ではうっそうとした植林地になっているが、かつては両脇は農地であり、視界は効いていた。
閉鎖後、周辺は造林され、相当姿を変えたようである。

1-2 猿毛岳スキー場跡

猿毛岳スキー場跡 3 麓から1キロちょっと、この間何度も足をついた。
それほどの急斜面であった。
その狭い道を抜けると、一気に視界が開ける。
こここそが、かつて市民の笑顔があふれたはずの、猿毛岳スキー場跡だ。
猿毛岳スキー場跡 4 道の両脇には草に覆われた平地が広がる。
これは駐車場の跡らしい。
各車両の境界に使ったのか、コンクリートブロックが等間隔に残っていた。
猿毛岳スキー場跡 5 最初に目に飛び込んでくる建物は、駐車場の横にあるこの二階建ての木造建造物。
現役時代の航空写真にもこの建物が写っていることから、スキー場に関連したものであろう。

しかし、扉は完全に封鎖され、内部には入れない。
というか、窓から中をのぞいてみたところ、中には真新しい除雪機や農具などが収納されており、どうもスキー場閉鎖後は個人の所有物となっているようだ。
なので、これは廃墟とはいえないし、内部侵入というわけにもいかない。

それに、たとえ本物の廃墟であっても、木造であるせいかおそらく私の食指は動かないだろう。
私が好きなのは、
猿毛岳スキー場跡 6
こおゆーの
猿毛岳スキー場跡 7 曇天の空と冬枯れした寂しい木々が、うらぶれたコンクリートと絶妙なまでに融合している。
藪は壁を這い登り、場所によっては天井にまで達する。
武者震いがした。

だが、かつてこのゲレンデを庭として滑りまわった方にとっては、この廃墟は酷なものかもしれない。
楽しい思い出の詰まった場所、あるいはこの建物自体にも何かしらの思い出があるかもしれない。
そういう建物が、無残な姿で骸を晒しているのだ。
切ない。

(注:自転車は廃墟のオブジェではありません)
猿毛岳スキー場跡 8 建物の周辺には、いくつもの照明塔が立っている。
ナイター設備まであったのだ。

かつてのゲレンデはこの写真の左側になるのだが、今では植林地となっていて見る影もない。
植えられた木々の高さは10メートルをゆうに越えており、閉鎖後かなり時間がたっていることは想像に難くない。

ちなみに現地訪問は二度目になるが、最初(偶然に通りかかって)訪れたときは、ここが何なのか分からなかった。
写真のナイター設備を発見し、初めてスキー場であろうことを予想したのである。

1-3 洞窟博物館

猿毛岳スキー場跡 9 大きく口をあけた内部へと入っていこう。
スキー場に付設された建物ということで、スキーロッジの廃墟と思われる建物だが、 この建物の出入り口はこのような車庫のような空間のほかには勝手口のようなものしかない。
客を迎えるようなものではどうもなさそうだ。

車庫にしては天井は低く、伸張しつつあるコンクリート鍾乳石もあり、頭をぶつけそうな感覚に陥る。
猿毛岳スキー場跡 10 入って右奥に、誘うようにして開く扉。
建物本体へはあそこから入っていくことになりそうだ。

車庫のような周囲の空間には、外観から見えた大きな煙突の根元が口をあけており、元は屋内であった可能性もある。
猿毛岳スキー場跡 11 その空間には雑然と物がおかれていた。
どれもこれもボロボロであり、不法投棄なのか現役時代の遺構なのかも判断しかねる。
ただ、以前来たときにはブルーシートに包まれた除雪機があったのを記憶しており、今回はそれがなかったことから、物置程度には使われているようだ。

で、そんな中で目を引いたのはこれ。
これは・・・唐箕(とうみ)というやつだな。
刈り取った稲の選別に使うものだが、昭和30年代には姿を消したといわれている。
物によっては博物館に収められるような品だというが、こんなところに・・・
スキー場とはあまり関係のないもののように思えるが、イッツレア。
猿毛岳スキー場跡 12 唐箕は美品であったが、その他の木造構造物はことごとく腐り果てている。
否、木造構造物に限らず、長年にわたる風化により天井のコンクリートもかなりヤバイ。
猿毛岳スキー場跡 13 ここは洞窟か。

コンクリート鍾乳石は既に50cm以上も伸びており、長い年月を実感させた。
イントロでお伝えしたように、猿毛岳スキー場は開設時期こそはっきりしているものの、閉鎖時期は不明。
しかし、この木材の腐り具合とコンクリートの劣化ぶりを見るに、20〜30年は経過しているような気がするのだが・・・?
猿毛岳スキー場跡 14 さあ、いよいよ闇が包む建物内部へと足を向けよう。
スキーロッジとは少々趣の異なるこの建物の、かつての姿と、今の姿を見るために。
猿毛岳スキー場 施設内部1 この建物の見取り図と現在地。(探索から時間が経過しているため、細部に誤りがあるかもしれません)
外観の写真に写っていたように、この建物の外壁には屋上に登る階段があり、かつては屋上にもうひとつ、木造の建造物があった。
おそらくそちらが本来のスキーロッジであろうが、ではここは・・・?
[ 06' 4/22 訪問 ] [ 07' 2/16 作成 ]
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